第45話 そろそろ、ラスボスのお時間ですよ④
ドアが完全に閉まるのを確認してから、さくらはリビングへ戻った。
そこには、早くも泣いている聡子がいた。武蔵の言っていたことが的中していて、ちょっと悔しい。
「ごめんね、さくらちゃん。情けない母親で。武蔵くんも、あなたを苦しめすぎ。もっと強くいたいのに、あの人の前でだけはなれないの。ああ、でもね、今は過去の人。私には、涼一さんがいる。あなたや、玲も類も。それに、生まれて来る孫も」
「つらかったんですよね、社長さんとの恋を諦めたときのこと。よかったら、少し話してくれませんか。私、お母さんのことがもっと知りたいです。誰かに話したら、ラクになるかもしれませんよ」
さくらはハンカチを渡した。ティッシュも用意してやる。
きれいに化粧されていたはずの顔は、すっかり崩れている。でも、なんだか愛らしい。さくらはほほ笑んだ。
「……じゃあ、聞いてもらおうかな。人に話すのは、はじめてなんだけど。恥ずかしいな」
ティッシュでハナをかんだあと、聡子は戸惑いながらも、ひとことずつ語りはじめる。
「武蔵くんとはね、家が隣どうしだったの。小さいときからきれいな男の子で、中性的だったのね。誰からも好かれていた。私も、ずっと好きだった。武蔵くんも、同じ気持ちでいてくれた」
「両想いだったんですね」
「でも、家具屋のひとり娘の私は、中学を卒業したら婿取りをして、家を継ぐと決められていたから、ずっと秘密にしていた。どうしても結婚させられるなら、私の好きな人がいいと、親にお願いしたこともあったけど、子どものわがままだと言われて、取り合ってもらえなかった」
メイクが崩れてしまっていても、聡子はきれいだ。素直な告白をしているせいかもしれない。
「親が連れてきたのは、京都の職人の次男。真面目で、静かな人だったな。私とは十歳ぐらい離れて、やけにおじさんに見えた。十五の女の子と二十五歳の青年が婚約結婚なんて、犯罪めいているわよね。で、十六で結婚、すぐに玲が生まれた。夫は仕事熱心。帰りが遅い。私にはあまり興味がなさそうで、週に何度か義務のように寝るだけ。少女好きならまだしも、普通の人だったら嫌よね。発達途上の女なんて。自分でも、暗黒時代だったと思う」
「社長さんは、それでもこまめに会いに来てくれたんですよね。聞きました」
「まあ、そんなことまで? そうなのよ。うれしかったな。幼なじみだし、愛らしい女装もするし、私の家族にも武蔵くんにはほとんど警戒心がなくて。でも……お互いに好意を持っている、年頃の若い男女をふたりきりにしたら、どういうことになるのか、さくらちゃんにも想像がつくわよね」
さくらは頷いた。聡子の身体に、類が宿った、のだ。
「結果は、ご想像の通り。玲は穏やかな父親似だけど、類は外見が私、性格は武蔵くんそのものだった。夫は子どもにも関心がなくて、類が自分の子じゃないなんて気がつかなかったみたい。武蔵くんは、さすがに罪を感じたのか、うちに来なくなった。モデルデビューしたって聞いたのは、類が生まれて半年後ぐらいかしら。玲と類を抱っこしているうちに、不景気に押されて会社が傾き、夫は事故死。父も病気で亡くなった。浮気の罰が下ったのね」
「でも、聡子さんは絶望しなかった」
「そのあとはあなたも知っているように、私が社長になって会社を生き返らせた。子どもたちにはじゅうぶんな愛情を与えられなかったけれど、よく成長してくれた。ふたりとも、私の宝物」
「はい」
新しく流れる涙を拭いてやる。まるで、さくらが母親のようだった。
「涼一さんに、告げてもいいわよ。柴崎聡子は、かつてとんでもない浮気女だったって。夫を不幸にして、子どもも自分の手で育てられなくて、なのに新しい人を求めるなんて、自分勝手の極み」
「私、言いません。父さまには、社長さんとのことは言いません。もう、遠い過去です。社長さんからではなく、できれば聡子さんから教えてほしかった、というのが本音ですが。聡子さんは二十年近くも罪に耐えた。社長さんに会って、今でもときめく……とかなら、話は別ですけれど?」
「まさか! 恋だの愛だのという感情は、もうとっくに壊れたもの。素敵な人を好きになってよかったと思うけれど、現在はただの……ちょっと情がある程度の、ビジネス相手。こちらの利益を脅かすようなら、切る覚悟はできています」
胸を張る聡子の様子に、安心した。だいじょうぶそうだ。
「でしたら、私は黙っています。その代わり、嵐山のお墓には、毎年欠かさずあいさつへ行きましょう? 私と、できれば父さまと、玲と、類くんも一緒に。来年からは、私の赤ちゃんも。みんなで」
「さくらちゃん、ありがとう。ほんとうに、ありがとう。私、あなたを娘にできて、ほんとによかった。最高の気分。涼一さんに、類にも感謝する」
「私も、同じです。こんなにステキなお母さんがいるなんて、ちょっとした、いいえ……大きな自慢ですよ」
類の父親の正体を暴いても、誰も幸せにはならない。
過去のことは胸に秘め、未来を見据えよう。
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