第44話 そろそろ、ラスボスのお時間ですよ➂

「……さくらちゃん、あなたはなにを言いたいの?」


「私。聡子さんと父さまの赤ちゃん、待っています。生まれてくるだろう赤ちゃんが大きくなるまでは、私が柴崎家を支えます。類くんの力もちょっと借りて。だから、安心してください」

「認めてくれるの? こんな女を? 私、武蔵くんを忘れられずに、夫を裏切ったのよ? 類を妊娠したときは悔やんだけれど、あの人はなにも知らないまま死んだ。類も真実を知らない」


「私が、お母さんの過去を一緒に背負います。誰にも言いません。類くんにも。父さまにも」


 さくらは、聡子の手を握った。


「私も、ひとりで寂しいとき、考えます。気の合う玲を選べば、悲しい気持ちにならずに済んだのにって。類くんを選んだばっかりに、次々に女の子が出てきて私を苦しめます。普通の私なんて、すぐに厭きられちゃうんじゃないか、という不安がいつもあります。玲のところへ帰れたら、どんなにラクかと。だから、お母さんの気持ち、少しは分かるつもりです」

「……ごめんなさい、だめな母親で」


 聡子は握った手を引き寄せてさくらを抱き締めたが、妨害が入った。


「ばかな茶番はやめろ。ならば、俺がルイにすべてを打ち明ける。俺について来いと。才能を殺し、家の犠牲になるな、と」

「そんなことをしたら、傷つくのは類くんです。社長さんの思惑で、今さら父親だと名乗られても、苦しむのは類くんですよ。なぜ黙っていたのかと、なぜこのタイミングで切り出すのだろうか、と。また体調が悪化したら、社長さんのせいです」

「私も戦います。もし、類に真実を告白するならば、あなたの事務所への支援を中止し、類も退社させましょう」


「聡子、それは」

「一見うまくいっているようでも、内情は自転車操業なのね。事務所を宣伝するために、新しいタレントを次々と投入する。あなたのやり方は最初こそ受けたけれど、相当苦しいはず。土地の売買に手を出して失敗したあたりから、噛み合っていないもの。うちの会社で製作している、タレントグッズ展開も打ち切るわ」


「それはだめだ。シバサキファニチャー製のグッズは、とても評判がいい。若者向けに価格が抑えてある上、なにしろ質が高い」

「タレントグッズは、女子中高生がメインターゲットなんだから、高くしたら売れないじゃない。ほかのグッズも作ってくれないかって、依頼は山ほどある。もちろん、あなたの事務所よりも、はるかにいい条件で。これまでは、あなたとの仲を尊重してやってきたけれど、あなたの都合で類を振り回すならば、こちらもそれなりの態度で対応する」


 さくらの知っている聡子が、戻ってきた。老舗の家具屋からはじまって、タレントグッズまで作っていたとは。さすがは聡子。


「仕事に、私情を挟んでくるのか」

「それは、あなたも同じ。さくらちゃんとの家族を取るか、あなたとの海外進出に賭けるか。それぐらいなら、類に聞いてもいいわよ。あなたも、焦っているのね。類との、契約更新の時期が近づいているからかしら」

「契約更新?」


 さくらには初耳だった。


「類と武蔵くんの事務所はね、三年ごとに契約内容を考え直すことにしているの。若いし、なにがあるか分からないでしょ。私は一年更新を主張したんだけど、類を縛りたい武蔵くんは五年を主張してきて、間を取って三年。つまり、この秋の契約書が最後になる可能性もあるってこと」


 新しい契約に『モデルは大学卒業まで』と盛り込められれば、類はモデル引退となる。類もそれを願っているはずだ。さくらも、聡子も。


「もちろん、簡単には辞められない。モデルは類の天職だと思うし、類の仕事は多くの人を支えている。類のせいで、失業する人も出るかもしれない。ファンもたくさんいる。類だって、辞めたとたんに後悔するかもしれない。でも、あらかじめ方向を決めておけば、覚悟ができる。準備もできる」

「私は、類くんを守ります。その考えは変わりません」

「はっ、ばかばかしい」


 やれやれ、と社長は立ち上がった。


「そのぶんだと、とんでもなく精神屈強な子どもが生まれてきそうだな。俺は大阪へ行く。せいぜい、転んだりしないようにな、小娘さんよ。お前、そそっかしいようだから」


 ――転んだりしないように。


 それは、遠回しに『仲を認めた』という意思表示だったのだろうか。

 真意を確かめたくて、さくらは社長のあとを追いかけたが、廊下の途中で社長に止められた。


「俺について来るな。大切な『お母さん』の、そばにいてやれ。あいつ、このあと号泣する」

「まさか。聡子さんが?」


 聡子には、号泣など似つかわしくない。涼一が泣いても、聡子はいつもなぐさめる側だった。さくらは首を傾げたが、とりあえずリビングに戻ったほうがよさそうだった。


「俺とあいつは古い仲なんだ。あんたや新しい旦那、兄弟たちよりもよく分かっている」


「……じゃあ、今日のところは類くんのことをよろしくお願いします。私は、聡子さんを見ます」

「はいはい。あんたみたいな普通の、でも肝の据わった女がいいなんて、ルイも悪趣味だ。そういえば、この話を知っているか?」


 しみじみとさくらの顔を見てから、意地悪そうに武蔵社長は笑った。


「この夏、『海外ロケと夏休み』と称してお前たちを引き離したとき、俺はルイのベッドに毎晩違う女を送り込んだ」

「ええっ?」


 それは初めて聞いたさくらだった。


「恋人とは遠く離れている。海外の、南の島のリゾート。夏休み。解放感。好条件が揃っていたが、あいつはどの女にも、触れなかった。俺が厳選した、あいつ好みの女ばかりだったのに、指一本すら。そんなことが一週間続いて、ルイは俺のところへ怒鳴り込んできた。くだらないことはやめろ、女性たちも傷つく、と。だが、俺はやめなかった。本来、性に奔放なルイの、禁欲生活が長く続くはずがない。どこかで、必ずしくじると思っていた」


「そ、それで……?」


「『今すぐやめてもいいが、もし、ひと夏、送り込まれたどの女にも手を出さなかったら、お前たちの仲を考えてやってもいい』という、追加条件を出した。なのにひと夏、女どもを無視。あっさり乗り切った。まさかの結末だった」

「それ、どこかで聞いたような条件! 絶対、信用できない条件です! 破る前提の条件!」


 この社長が、さくらとの仲を考え直すわけがないのに。類が気の毒でたまらなくなった。


「だが、ルイは約束を守った。お前とのささやかな将来のために。案外、ルイも中身は普通なのかもな。じゃあな、聡子をよろしく」

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