第43話 そろそろ、ラスボスのお時間ですよ②
聡子は立ち上がった。
今日の武蔵社長は、現役モデル時代を彷彿とさせる、スーツの男姿である。
「武蔵くん……」
「ちょうどよかった。ルイの母親であるあなたにも、話をつけたいと考えていたから、訪れる手間が省けたよ。なるべく早めに帰るけど、とりあえず座っていいかな、庶民の小娘さん」
「どうぞ」
さくらはソファを勧め、お茶を並べた。
社長の、聡子に対する態度がまるで違う。言い方がとてもやさしい。さくらなんて、庶民扱いなのに。
聡子はとても動揺しているらしく、視線をあちこちにさまよわせている。
「どうして。どうして武蔵くんがここへ? さくらちゃんあのね、武蔵く……類の所属事務所の社長は、私の幼なじみで」
「それはすでに説明してあるよ」
「武蔵くんがモデルになったときには驚いたけど、類を売り出したいって言われたときはもっと驚いたわ。あの子、わがままな性格でしょ、多少見た目がいいぐらいで仕事なんてできるのかなって。でも、類の今があるのは、武蔵くんのおかげ。私、会社が忙しかったから、類の教育はほとんど武蔵くん任せで」
「雑談は、俺が帰ったあとにしてくれないか」
「さくらちゃんに、武蔵くんのことを説明しているだけじゃない。雑談なんて決めつけないでほしいわ、心外」
「こいつには、だいたい話してあるんだ。ルイが、俺たちの子だってことも」
聡子の顔色が変わった。
「うそ、でしょう。さくらちゃん、信じていないわよね。この人の、悪い嘘よ。類は私の子。柴崎家の子よ!」
「ただし、父親はこの俺」
「やめて!」
武蔵に飛びかかった聡子は、武蔵の口を塞ごうとしたけれど、簡単に止められてしまった。たやすく、両腕を武蔵につかまれてしまう。
「それは、誰にも告白しない約束だったじゃない! なのに、この子に言うなんて、契約違反だわ、ひどい!」
次第に、聡子は声も息も荒くしていた。
「庶民風情のこいつが、どうしてもルイから離れようとしないんでね、父子の見えない絆を教えてやったのさ。断とうとしても、断てないつながりを」
「父子なんて知らなくても、類くんはじゅうぶんに社長さんに憧れ、尊敬しています。でも、類くんにも将来を選ぶときが来た。それではだめですか」
感情的になってはいけないと思いつつ、さくらも引きずられてしまいそうになる。
「ルイの才能を枯らしてはならない。ルイの器は、俺以上。ルイには、俺がいる。お前のように、愛だの家族だの、ちゃちな安っぽい存在は、必ずルイの足手まといになる。別れたほうが、お互いのためだと何度も言っただろう? なのに、危険を承知で孕むとはね」
「さくらちゃんは、類を癒してくれる。あたためてくれる。ときには励まし、厳しくもする。私ができなかったことを、すべて与えてくれるのよ」
「はっ。これだから、女は愚かなんだ」
武蔵は、つかんでいた聡子の腕を放すと、大きな声を立てて笑った。嘲笑だった。
「そんな女、世の中には腐るほどいるって。ルイの相手が、この娘でなければならない理由は、聡子が、涼一とかいう新しい旦那に捨てられたくないからだろう? 今、ルイとこいつの仲が壊れれば、聡子の結婚生活も破綻する。心身両面で、娘をひどく傷つけられたら、夫はお前に離婚を言い出すに違いない。なぜ、あんな普通の男と結婚した? 再婚するならば、俺がいたのに」
「彼と結婚したのは、私が涼一さんを愛しているからよ。それ以外に、なにがあるというの。どうして、武蔵くんに愚弄されなきゃいけないの」
「いや。お前は、新しい夫を利用した。年ごろの義娘と同居し、兄弟を煽って奪い合わせ、最後はルイが勝つよう、巧妙に仕組んだ。やさしくて真面目で奥手の兄より、貪欲で猛獣な弟のほうが、確実に娘をものにすると踏んだんだ。孕めば、簡単には別れられない。結果、ここまでは見事なまでに聡子の筋書き通りに進んでいる。二組の新婚夫婦は安泰だな」
このままならば、社長が指摘する通り、さくらと類は入籍し、新しい家族をつくるだろう。
武蔵社長が話している間、聡子は社長を睨みつけ、強く唇を噛んでいた。さくらの知らない聡子だった。
聡子はいつも、ほほ笑みを絶やさず、明るくて楽しい人なのに。容姿もよくて、仕事もできる自慢の母親なのに。家事ができないところは瑕だが、ありあまる魅力でマイナス面をカバーしているのに。
「武蔵くんから、類を返してもらいたいと思ったことは確か。長男の玲が、家を出て行った。あの子は意思が固いから、柴崎家には戻って来ないでしょう。さんざん苦労させたぶん、将来は好きなことをやってほしい」
暗くほほ笑む聡子に、さくらはぞっとした。鳥肌が立った。
「ならば、私には類しか残されていない。いつまでもモデルなんてできないもの。世界進出なんて、あの子も望んでいないし、さくらちゃんと家族がいれば留まるでしょう。涼一さんに、かわいくて真面目な娘がいたことはうれしかった。女の子がほしかったせいもあるけど正直、類が気に入ってくれたらいいなっていう下心も、多少はあった」
そこまで言い切ると、聡子はさくらに向き直った。
「ごめんなさい、こんな母親で。武蔵くんの言うように、私は便利なあなたを利用していたのかもしれない。類には、さくらちゃんと柴崎家を継いでもらいたい。柴崎の家は、そうやって続いてきた。私も、家のために、武蔵くんとの恋を諦めた」
ああ、やっぱり聡子は武蔵を好きだったんだ。さくらは胸の奥がちくちくと痛んだ。
「聡子さん、私は類くんを大切に思っています。類くんと出逢えたのは、聡子さんがいたからです。『便利』で『利用』なんて、言わないでください」
「おー。すっかり聡子に洗脳されちゃって。なんてかわいい娘さんだこと」
武蔵がさくらを冷やかした。
「いいえ。柴崎家の跡継ぎは類くんだと、まだ決まったわけではありません。そうでしょう、お母さん?」
さくらは、聡子をまっすぐに見て宣言した。視線はそらさない。
聡子の目には、焦りやおびえがありありと浮かんでいた。
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