第40話 敗者による最後の訴えは、ただ虚空に響くのみ①
知らせを受けて駆けつけた玲は、烈火のごとく怒った。祥子もあきれた。
すでに類も病室へ戻ってきている。
「ふたりとも十九で大学生、結婚前なのに妊娠。あれほど避妊しろと言ったのに。しかも、生むとかどういうことだ、類! 頭を冷やして、もう一度よく考え直せ」
類につかみかかる玲を、祥子が止めた。
「暴力はあかんえ、玲。そやけど、類もさくらも、まずは学業優先やろ? うちかて、できる範囲での協力は惜しまへん。けど、さくらの将来を思うと、今の時期の出産は、やっぱりないと思うで」
「私、赤ちゃんがいても、自分の夢は諦めません。すぐに諦めがつくぐらいなら、そんなのは、夢でもなんでもないと思います。ただの妄想です」
「へえ、言うなあ。さくらのくせに」
祥子は感心していた。
「玲にくっついて京都へ来て、お情けの追加合格でどうにか入学でけた女の子が、類の赤ちゃんを孕むなんて、これは奇跡やで?」
「俺は反対。さくらが苦労するのが、目に見えている。さくらも、どうしてあと三年……類が大学を卒業するまで、我慢できないんだ? それでも、結婚妊娠は早いぐらいなのに。子どもの存在に頼るしかないほど、お前たちの絆は、もろくて簡単に壊れそうなものなのか?」
「ちょっと! ぼくたちの関係を侮辱したら、玲でも許さないよ? 生ませる。もう、決めたことなんだ」
類は玲を激しく睨みつけた。今にも、飛びかかりそうな姿勢である。
「待って、類くん。私はね、三年後の類くんと一緒にいたいと思っている。でも、今の類くんとも一緒にいたくて。絶対に離れたくないの」
「ああ……さくら、なんてかわいいことを!」
玲から視線を外し、類はさくらに頬ずりしてちゅっちゅした。
「だからって、子どもの命を結婚の取引き道具に使うのか。お前たちの勝手な都合と、わがままで? 周囲に心配や迷惑をかけてまで?」
……たぶん、玲の言っていることが、世間では正しい。
しかし、さくらは違った。
「それでも、類くんと一緒にいたい。類くんが赤ちゃんを望むなら、私もほしい。大学にも行く」
「赤子を背負って、どうやって大学へ通うんだよ?」
「それは、保育園へ預けて、とか。許されるなら、学校にもだっこして行くし」
「だ、だっこ! うちの大学に、だっこ……天下の国立大学やで?」
「だめですか。じゃあ、ベビーカーで行けるかどうか聞いてみます」
「さくら、強者過ぎ。そもそも焦点、ちゃうし」
祥子は笑った。
「でも、前例がないだけかもしれません。類くんも、大学へ連れて行く気満々ですから、分担できればいいな」
「日本一のカリスマモデルさまが、子連れで講義を受けるなんて、ありえへんやろ。前代未聞やで。なにその超前向き姿勢。玲か類か、迷っていたときのさくらとは別人やん」
「母になって、常に強くありたいと思いはじめました」
「あっ……、そう」
ふたりは若干、引いている。
西陣の救急病院には、文子医師が詳しい報告を入れてくれた。
片倉医院では産科を掲げているけれど人手不足で、お産はほとんど扱っていないのだという。ふだんは、夫の内科医の仕事を手伝うことのほうが多いらしい。
「ばか息子が東京から帰ってくれば、すべては丸く収まるんだけど。私、お産がやりたいのよ。さくらさんが、少子化対策に赤ちゃんをぽんぽん生んでくれることを願うわ。北澤くんたちがいれば、史人も京都へ帰るきっかけになるんじゃないかしら」
「そ、それは」
片倉は額に汗を浮かべており、タオルでしきりに拭いていた。
「あとは、聡子はんたちへの報告やね。どないな顔するんやろか。うちも同席せなあかんな。こないな興味深いイベント、放っておくわけにはいかへん」
「そのへんは、類が言うべきなんだろうな。予防線は張ってあるんだろ」
「うん。赤ちゃんがほしいほしいって、いつも言っておいたから、いよいよ来たか、って感じのとらえ方になるだろうね」
「涼一さんはショックだろうな。かわいいひとり娘を、手放したとたんの事件に」
「類なら、しゃあないわ。さくらに惚れ抜いとるし」
「そうそう。さくらは身も心も、ぼくのもの」
「となると、最大の関門は」
やはり社長、だろう。妊娠のことはもちろん、類の実の父なのかもう一度尋ねたい。聡子にも、事実を聞かなければならない。気が進まないけれど、類に関わる重要な件だ。さくらは黙って見過ごせない。
「修羅場やね、修羅場!」
違った意味で、祥子は浮かれている。
「社長には、まだ言ってありません。今朝一番で、いきなり有給届を出して京都へ飛んで来たので、おそらく社長もなにかあったと感づいているはずですが。類と話を詰めてから、慎重に決めます」
「北澤くんの仕事には、大きな影響が出るでしょうね。さわやかな好男子でずっと売り出してきたモデルが突然、婚約宣言。入院騒ぎに、今回のこと。事務所が総力を挙げても、かばいきれないわね。一ファンとしたら、切ないわ」
文子女医は天井を見上げて、ふうっと、ため息をついた。
「る……類くんを、育児グッズ業界が放っておかないと思います! 類くんおすすめのおもちゃなら、世間のママさんは喰らいつきます! 類くんおすすめのおむつ、類くんおすすめの肌着、類くんおす……」
「もうええって、さくら。これを機に、きっちり入籍しなはれ。婚約なんてゆう不安定な間柄やのうて、結婚や結婚。苗字が変わるわけでもなし、不便はないやろ。ま、でき婚やけどね!」
でき婚……。
確かにそうだけど、そう呼んでほしくなかった……でも、おめでた婚とか授かり婚という呼び方も、しらじらしい。
「は!」
しかしそれよりも今、さくらは大切なことに気がついた。
「ねえ類くん、お願いしておいた、私の豆だいふくは?」
「あ、やば……忘れた……! 早く病院へ戻ることしか、考えていなかった!」
類はさくらの病室を、脱兎のごとく逃げ出した。
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