第38話 覚悟と決意と将来と①

 東山区にある片倉医院。北澤ルイのマネージャー、片倉の実家である。


「片倉さんの実家なんだ、ここ」


 目覚めたさくらは、いたって元気だった。

 起きてまずしたことは、食事である。病院の朝食を平らげたあとも、足りないと愚痴をこぼし、なんと類を使い走りにしてドーナッツを買わせた。


「うちの大学を出たって聞いたけど、医学部卒でタレントのマネージャーなんて異色だね」

「実家が産婦人科っていうのは知っていたけど、ぼくも初耳だったよ。片倉さん自身も医学部とはね」


「あー、おいしい。『ひつじ』のドーナッツ、好きなんだあ。ありがとう」

「いいえ、これぐらい」

「天下の北澤ルイが、私のために急いで買ってきてくれた、っていうのもポイント高いよね。あー、贅沢でおいしい。最高の気分」


 笑顔のさくらに、類は頬をひきつらせた。万が一ってこともあるし、ひと晩、つきっきりでいたのに、ちょっと損したかも、と思いながら。昨日、泣き叫んだのは、どこの誰だよ……心配しすぎて、ハゲるかと思ったじゃん。


「類くん、学校へ行きなよ。昨日も仕事で早退したんでしょ、なるべく授業に出ておかないと単位が足りなくなるよ。一年生って、必修科目が多いし」


 そう言いながら、ご機嫌のさくらは三個目のドーナッツに手を伸ばす。


「今日はいい。さくらのそばにいる」

「でも、いろいろ検査もあるって、看護師さんが言っていた。私が検査をしている間、類くんは暇になっちゃうよ。だから、学校の帰りがけに、なにかおやつを買ってきて」

「は、まだ食べるの? それが目的?」


 類は驚いた。


「うん。なんだか安心しちゃって。そういえば最近、食欲がなかったんだよね。つわりだったのかもしれない。でも、原因が分かったし、病気じゃないんだから、たくさん食べていいんだなって、解放感」

「太るよ」


「お願い、類くん。赤ちゃんを育てるために、たくさん食べないと。食べたい」

「……仕方ないなあ、もう。ま、一度は、入院の荷物を取りに帰るつもりだったし、学校が終わったら来るね。でも、検査結果によっては、今日退院なんてこともあるみたいだけど、この前ぼくがさくらにみっちり看病してもらったから、お返ししてあげる。で、なにがいいの。差し入れのおやつは」

「『ふたば』の豆だいふく! 出町柳(でまちやなぎ)の」


 類は、しばし絶句した。


「……えー、あれを買いに行けって? 並ぶんでしょ。カリスマモデルさまに、一般人に混じって行列しろと?」

「へへー。いいでしょ、お願いします。おとなしくしているから。先生や看護師さんたちの分もね。じゃ、いってらっしゃい」

「はいはい、ぼくのだいすきなお姫さま」


 結局、類はさくらに甘い。さくらも類には甘いけれど、それ以上の甘さである。


「じゃあ、ぼくのお願いも聞いて。おなか、さわらせて」

「いいけど……類くんが言うと、なんかいやらしいな」

「さくらが、そういう想像ばっかりするからだよ」


 苦笑しながら、類はさくらのかけている布団を半分ほどめくった。

 ベッドに座り、パジャマの中にそっと手を差し入れた。


「……ん。くすぐったい」

「我慢して。それとも、感じちゃう? ここに、ぼくたちの赤ちゃんがいるんだね」

「うん」


「まだ、ぺったんこ。全然、ふくらんでいないけど?」

「もうすぐ、おなかが出てくるみたいだよ」


「動く?」

「まだまだ。でも、早い人は、そろそろ胎動に気がつく時期なんだって」

「男の子かな、女の子かな。楽しみすぎて、苦しい」


 さくらは笑った。


「気が早いよ、類くん?」


 軽くキスしたあと、類は病室を出て行った。



 類は、後姿もかっこいい。さくらは、にやついた。

 どんなかわいい赤ちゃんが、生まれてくるのだろう。男の子でも女の子でも、とにかく類に似ているとうれしい。


「私に似ていたら、どうしよう」


 それに、名前はなんとする。類とさくら、だから……。


 いや、待て。いつ生まれてくるのか? 赤ちゃんほしいなんて言いつつも、なんの準備もなかった。


 とりあえず落ち着けたので安心してしまったけれど、問題はいろいろとある。


 相手は、類……人気モデル『北澤ルイ』でもあるのだ。

 自分だって、まだ大学生。学業をするために京都へやってきたはずなのに。類は一応、さくらを追いかけてきて京都で進学したけれど、どこをどうしたら妊娠出産なんてことになるのだ?

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