第33話 さくらさがし②


 車は、郊外によくあるスーパー・チェーンの飲食店・病院・郵便局などの町並みの中を少し走ったと思うと、すぐに田んぼに囲まれたのどかな道に進んでいった。


 峠越えの坂道、ゴルフ場、瓦の載った古い家々がぽつんぽつん。


「ここだよ」


 二十分ほどの場所に、目指すお寺はあった。広くない。

 緊張する。ここに、母が眠っているのだ。


「お母さんの出身地でもあるんだよね。実家って、まだあるの?」

「いや。絽華が亡くなって間もなく、ご両親は家を処分して引っ越して……連絡がつかなくなってしまったんだ。健在だといいんだが」


 母のお墓や先祖代々のお墓も、父が定期的にお布施を送って管理しているらしい。

 先に連絡を入れてあったので、住職さんが迎えてくれた。


「ようこそ。遠いところをよく、きんしゃったね」


 住職さんは、剃髪に袈裟姿のご老人だった。ややふっくらとした体型で、穏やかな笑みを浮かべている。


「お久しぶりです、高井(たかい)住職。娘の、さくらを連れてきました」


 まず、涼一はさくらを紹介したので、さくらも応える。


「は、初めまして! 娘のさくらです。今、京都で大学生をしています。二年生、十九歳です」

「こんにちは。初めまして。絽華さんに、よう似ていますねえ。さあ、どうぞ中へ。暑いけんね」


 仏さまの前で、まずは冷たい麦茶をいただいた。

 お経を上げてもらう。ちらっと父の様子を見たら……泣いていた。さくらも、静かに手を合わせる。


 そのあと、本堂背後にある墓地へ移動。

 小さなお墓だった。墓石には、さりげない字で『絽華』と彫ってある。


「ふるさとに戻りたいけれど、大げさなことはやめてほしい、と言われてね」


 お花とお線香を供え、静かに水をかける。


「ここに眠っているのは、お母さんだけ?」

「私が死んだら、ここに入る。遺言な」

「ほんとに? さとこさ……」

「しっ。聡子には、玲くんも類くんも、さくらもいる。絽華には誰もいない。現世は、きっちり聡子に尽くすつもり。全力フルパワーでね」


 なにも言えなかった。

 うれしいような、悲しいような、正反対のふたつの感情が混ざっていた。



 ……目が痛い。でも、お線香が目にしみたわけじゃない。


 最後に、写真というか、父がお寺さんに預けた、一冊のアルバムを見せてもらって、ふたりはお寺を離れた。



 母は、やさしい笑顔の人だった。いつも笑っている。たぶん、カメラを向けている涼一に向かって。

 一枚だけ、大きなおなかをさすっている写真があった。

 いとおしそうに、手をおなかに伸ばす姿。それは、さくらの涙腺を崩壊させた。

 父と娘は、抱き合ってわんわんと泣いた。泣きまくった。セミの鳴き声よりも大きな声で。


 泣きすぎた。目が痛い。


 母の両親の音沙汰は、お寺にもないらしい。どこかで、元気でいてくれますように。いつか会えますようにと願うばかりだった。


 さくらは、母の実家跡を見たいと涼一に言うと、もちろんその方向へハンドルを切ってくれた。

 けれど、実家のあったと思われる場所は、大きな食品加工場になっていて、近所の人に聞き込みもできなかった。



 北野リゾートの温泉旅館に一泊した、翌日。

 もうひとつ、さくらに見せたいものがあると、涼一は語った。


 武雄温泉楼門。


 写真では見たことがあったが、本物を見るのははじめてだった。

 竜宮城の入り口、みたいな外観をしている門を想像してほしい。


「さて。名門有名大学・建築学科のさくらなら、これをだれが設計したのか知っているね」

「はい! 辰野金吾(たつのきんご)です!」

「はい、正解です。日本を代表する建築家・辰野はここ、S県出身なんだよ。知っていたかい? 特別な期間には、門の上にのぼれるらしい」


 涼一は、残念そうに門を見上げた。


 辰野金吾の代表作は、東京駅。赤レンガの駅舎、である。長らく復原作業を行っていたが、現在ではうつくしい姿が誇らしげに日本の首都を飾っている。


「東京駅の中に、秘密があってね。南北ドームに、動物……干支のレリーフがあるんだけど、十二のうち八つしかないんだ」


 あ、その話、ちょっと聞いたことがある。けれど、さくらは黙って頷いた。


「残りの四つは、この楼門の上に隠してあるらしいよ」

「見たい!」


 東京駅のレリーフは、見るチャンスがあるだろう。けれど、この楼門まではそうそう来られない。京都からも東京からも、とても遠い。


「でも、父さまはうっかりしてね。公開期間と時間を確認するの、忘れちゃったんだよ」


 いやな予感がしたさくらは、張り紙を見た。


「ここに……、九……時から、十時って書いてある!」


 すでに、時刻は十一時を過ぎていた。

 あと、数時間早く来たら、見学できたのに。ひどい父だ。


「だからね、また今度?」


 涼一はいたずらっぽく笑った。 


 あ、そうか。わざと、なんだ。さくらは気がついた。

 母のお墓や武雄温泉に強い思いを残すため、わざと。建築家になりたいという、さくらの初心も思い出させるために。


「次は、絶対に類くんと来る。類くんと見たい……たぶん、類くんもこういうの好き……夜景のきれいなハウステンボスへも行きたい、あ。じゃない、父さまと、類くんと一緒に。できたら、聡子さんも」


 そんなさくらを見て、父は笑った。


「さくらの本音が、だだ漏れだね」

「さくら。このまま、東京まで一緒に帰らないか。類くんは仕事だし、京都ではひとりなんだろう? 聡子も、さくらを待っているよ」


 何度目の誘いだったか。もう数え忘れた。


「ううん。京都にいたい。類くん、いきなり帰ってくるかもしれない。芸能人のスケジュールって、突然変更するときあるんだよ。ひとりにしたらかわいそうだし、私が待っていたいの」


「そうか……それなら、いいんだが……もしかして、聡子に会いたくないのかと」


 さくらは、どきりとした。まさか、心を読まれている? あの事実、父は知らないはずだが。


「そんなことないよ! 私だって、お母さんに会いたい。一緒にお料理して、おしゃべりして、買い物へ行って、普通の母子みたいなことがしたい……でも」

「類くんか。さくらも、親より男を選ぶようになったんだな」

「うん、そう思ってくれて構わない。類くん、だいすきだもん」

「言うね」


「父さまが、京都へ遊びに来ればいいのに」

「いやだよ、娘とエロモデルさまの愛の巣なんて。よっぽどのことがない限り、上がりたくない」

「言うね!」


 同じことばを言い返して、さくらは笑った。


 うまく、ごまかせただろうか。聡子と武蔵の件は過去のこととはいえ、涼一も傷つくだろう。さくらだって聞いただけの話だ、あやふやなことを伝えて、父を苦しめたくない。


 駅前でレンタカーを返し、帰りは博多駅から新幹線で並んで座った。

 さくらは京都駅で降りた。ホームで、手を振って父を見送る。


 ごめん、父さま。東京へ一緒に帰りたいけれど、聡子さんに会いたくない。どんな顔をしたらいいのか、分からない。


 しばらく、ひとりの生活が続くのは覚悟の上。


 さくらは背筋を伸ばして歩きはじめた。

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