第32話 さくらさがし①

「あまったふたりで、九州旅行」


 さくらは今、福岡県の博多駅にいる。

 これから涼一と、さくらの母のふるさとまで行くのだ。


 さくらは京都から新幹線で、涼一は羽田から福岡空港そして地下鉄を経由して。

 特急ハウステンボス号に乗り換え、隣のS県へ。S県は、日本でいちばん地味な県として話題……にも、ならない。地味だ。


 類と聡子は多忙ゆえ、不参加。父子ふたりで温泉宿に宿泊し、明日帰る予定。


「そういえば、父さまとふたりだけの旅行って、はじめて?」

「最近のさくらは類くんとばかり、出かけていたからね。ふたりのはじめての夜も、京都郊外にある、超・高級旅館だったそうじゃないか……ぶつぶつ」


 涼一は、類に嫉妬丸出しの発言をした。


「そんなことまで類くん、父さまにしゃべったの!」

「まあ、でも今回は、父子旅行を提案してくれてうれしかったよ。わたしも、そろそろ行かなくてはと考えていたんだ」


「……うん、あのね。父さまが、いやじゃなかったら、お母さんとはどこで出逢ったのか、結婚したのか、そろそろ聞きたいな」


乗り込んだ特急列車が、するすると動き出した。降りる駅までは、一時間ちょっとかかるという。


「そうだな。そろそろ、話しておこうか。さくらも、結婚や妊娠を考える歳ごろになったことだし」


 涼一はコーヒーをひと口、飲んだ。


「聡子がいなくて、ちょっとよかった。やっぱり、彼女には聞かれたくない話だ。さくらの母……『絽華』(ろか)という名前だったんだが……わたしたちは、結婚を反対された」

「ろかさん。難しい名前だけど、『花』なんだ。私と一緒。反対されているあたりも」

「絽華とは、夏に仕事先で逢った。当時、彼女は大学四年生、就職も決まり、北野リゾートのとあるホテルには、夏休みの短期アルバイトで派遣されていた。笑顔のかわいい、明るい女の子だった。お客さんにも職場でも、人気があったね。ひとめぼれだった。告白したら、オッケーをもらえて、内緒で付き合いはじめたんだ」


「私に、似ていた?」

「ああ。赤ちゃんのときはそうでもなかったけれど、成長するごとに、よく似てきたよ。顔も姿も性格も。今は、驚くほど似ている。たまに、絽華がそこにいるのかと驚くぐらいだ」


 母に似ているなんて、うれしい。


「会社内はもちろん、仕事先の従業員との恋愛は、特にご法度なんだよ。たぶん、どこの会社も同じようなものだと思う。結婚するならいいけれど、単なる遊びだったら、ややこしいだろ。くっついたって別れたって、明日も一緒に仕事はするんだ」


 なるほど。会社、大変だなあ。


「絽華の家に挨拶に行ったら、若すぎるって断固反対されて。でも、どうしても絽華と結婚したくて……」

「したくて?」


「類くんと同じ作戦を使った」


 それって、まさか。


「ご想像通り。赤ちゃん、作ったんだ」

「らしくない……父さまらしくない!」

「乱暴な方法だったと思う。大学の卒業も控えていたし、就職先もあったのに。当時の絽華は二十二歳だったが、もともとあまり身体が丈夫ではなかったんだ。勢いで妊娠して勝手に入籍したまでは、一応我々のもくろみ通り? だったんだが」


 当時のことを思い出したのか、父は苦々しそうに、ほほ笑んだ。


「絽華は生み月より二か月ほど早く、女の子を出産したんだ。本来なら、予定日は五月ごろで、さくらは類くんと同学年のはずだった。幼いころのお前は、ほんとうに小さくて心配したよ」


 その先を、聞くのが怖い。さくらは胸をおさえて唇を噛んだ。


「……さくら。聞きたくないなら、やめておくよ」


 さすがに、涼一もさくらの様子を気遣った。


「だいじょうぶ。続きをお願い」

「分かった」


 小さく頷いて、涼一はさくらの手をぎゅっと握った。

 自分の手も、涼一のそれも、とても冷たい。おそらく、極度の緊張で。


「では……心して聞くんだよ。絽華は、さくらの母は、お産が原因で体調を崩して亡くなった。お前を生んで、ひと月後に」


 覚悟はしていたつもりだったけれど、突きつけられると、やはり厳しいものがある。


「私を生んだせいで、お母さんは」

「違う。さくらのせいだけじゃない、決して。妊娠は、ふたりで望んだことだったし、運命だったんだ。自分を責めてはいけないよ。私はさくらに恵まれて、ほんとうによかったと心の底から思っている。なんなら、覗いてみてほしいぐらいにね」

「父さま……」

「病院をこっそり抜け出して、お前の出生届を提出しに行ったのが、最後の外出だった。病院のすぐ隣が区役所で、なんとかなると思ったんだろうね。前にも言ったが、わたしは『さくら』ではなく、『安子』か『寧子』……『やすこ』に、したいと思っていた。無事に、成長でるように、と願って」


「だから、ないんだ。写真。一枚も」

「見たら、あのときのことを思い出してしまうし、そもそもさくらを抱いている写真を撮る暇もなかった。絽華の写真はお寺に預けてあるから、あとで見せてもらおう。とてもかわいらしい人、だった、よ」


 涼一も、語尾が涙声だった。


「今でも、お母さんのこと、すき? すてきな聡子さんが、そばにいても?」


 涼一は強く頷いた。


「ああ。私の中に、絽華は今でも住んでいる。そして、私の言いたいことも、分かるね? 出産は命がけなんだ。さくらたちも赤ちゃんを望んでいるなら、危険があることを絶対に忘れないでほしい。私たちのようにはなってほしくない。できたら、卒業→入籍→妊娠の順番でよろしく」



 父子が降り立ったのは、武雄(たけお)温泉駅。ここからは、涼一の運転でレンタカーになる。

 夏の午後、いちばん暑い時間帯だ。さくらは帽子をかぶり直した。


「田舎って言ったら失礼だけど、地方の交通事情はとんでもないことになっているよね。年々、鉄道もバスも廃線が続いている」


 さくらもバスの時刻表を見て驚いた。一時間に一本、なんて時間もあるどころか、朝夕の運転しかない路線もある。これじゃあ路線バスの旅、できないな……さすがS県。


 墓前にお供えするお花を買って、車に乗る。


「お墓があるお寺は、隣のT市なんだ」


 今日のお宿を、武雄温泉に決めているらしい。


「泊まるのは、父さまの会社のホテル?」

「うん。ホテルっていうより、旅館かな。ま、類くんにふだん連れて行ってもらうより、安価なお宿だろうけどね。庶民が想像できる範囲の、ほんのちょっとだけ背伸びした温泉旅館。一年前に、フル改築したばかりだから中はきれいだよ」


 とはいえ、夏休み。多少は社割が効くかもしれないけれど、たぶん高い。

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