第30話 天下分け目のファンファーレ!⑦

 翌日の月曜日からは、類は大学へも復帰した。 


 さくらは心配のあまり、類の大学の正門まで付き添うことにしたので、まだ自宅にいる。いつもよりも、登校時間を遅らせている。


「いいよ、もう。だいじょうぶだよ、さくらだって自分の講義があるんでしょ」

「私、今日は二限からなの」

「それにしたって。過保護だなあ、もう」


「だって、昨日も貧血を起こしたのに」

「無理はしない。気分が悪くなりそうだったら、家に帰るって。そんなに心配なら、昨日の夜はもっと早くに寝かせてくれればよかったのに。仕事終わりで病み上がりのぼくに対して、あのおねだり攻撃はないよねえ、はあ。どうしていきなり、あんなに積極的になったの?」


 昨夜のことを思い出すと、身体の奥が、ぎゅっとなる。

 さくらは、何度も類にしがみついた。


「ごめん。その件は、言い訳できない。類くんが、とても欲しかった」

「ちょっと。まさかの『欲しかった』発言。しかも『とても』? ねえさくら、悪いものでも食べた? 熱でもある? 倒れる前兆? まさか、地球が消滅するとか?」


 類はさくらの額に手を当てた。


「正気。私、ずっと類くんと一緒にいたいだけ」


 額に添えられた類の手を、さくらは自分の頬に寄せた。


「さくら。今夜もぼくをあげるよ。今夜どころか、今すぐにでも」

「うれしい。あ、でも遅刻しちゃうから、夜を楽しみに待つことにする」


 はたから聞いていたら、耳が腐りそうなほど甘ったるい会話を交わす。


「へえ、否定はしないんだ。珍しいね。こういうときはいつも絶対、『冗談はやめて』って言われ続けたのに」

「私、決めた。類くんの赤ちゃん、来るならもらおうって。だから……ほしい」

「ほんとに、ほんと?」

「あやふやな婚約じゃなくて、類くんと早く入籍したい。家族を増やしたい。誰にも邪魔されたくない。特に、社長……武蔵さんには。私、あの人苦手っていうか、無理。嫌い」


「どうしちゃったの。さくららしくないよ、人の悪口なんて」

「あの人は特別。私の敵」

「敵、ねえ。でも、ぼくを見つけてくれた人なんだよ。『北澤ルイ』の、名前をつけてくれたのも、社長。なんだかんだ言って、ぼくは尊敬している。ほら、見てよこれ」


 類は、書棚から一冊の古い写真集を取り出した。『武蔵アキト写真集』とある。

 ぱらぱらとページをめくる。そこには、少年のような少女のような、中性的なあやういバランスを持つモデルがいた。


「これ、若いころの武蔵さんだ。きれい。細い」


 基本的にはあまり変わってないけれど、熟れる前の果実のような、青い魅力がある。


「そう。十七でデビューして、かなり人気が出たのに、二十で謎の引退。その後は所属事務所の事務員を経て、独立。今では、人気アイドルグループを複数売り出すまでの成長ぶり。ぼくも、最初はモデルじゃなくて、グループでアイドル歌手をさせられるところだったんだよ」

「類くんがアイドル?」


 スパンコールや羽根など、きらきらでふわふわの衣装を身につけ、テレビやステージで笑顔を振りまいて歌い踊る類の姿を想像した。似合うと思うが、違和感もある。


「予定では、ね。でも、母さんの知り合いだった、社長のことは少し前から知っていたんだけど、この写真集がモデル志望のきっかけ。芸能界に誘われてからも、断然モデル一択で押し通して。そもそも、ぼくの性格からしても、グループ活動は合わないし、第一、ぼくが目立ち過ぎてほかが霞むから、社長も『ルイは単体のほうがいいね』って賛同してくれた」


 それは、とてもよく頷ける。ルイをグループに入れたら、『ルイくんとゆかいな仲間たち』か、『ルイくんとその引き立て役たち』になってしまう。


「これを眺めていると、社長のかっこよさには頭が下がるよ。一時期、住み込みでレッスンを受けたけれど、ぼくなんてまだまだだ」


 写真集のページを、類がゆっくりとめくってゆく。相当熱心に眺めたようで、ページの角が剥げたり、まるくなってしまっている。


「同じポーズを取ってみても、なんか違うんだよね。野性味があるんだけど、気品もある。風格もある」

「でも、性格が最低! 類くんと私の仲を、全力で阻止しようとするところとか、許せない。婚約は了解してくれていると思っていたのに、別れさせる気満々なんて。それに、どうして教えてくれなかったの? 武蔵さんが男性だって。昨日、すごく驚いたよ」

「あれ、片倉さんあたりから聞いてなかった?」


 とぼけた類に、さくらはしがみついた。


「全然、知らなかった!」

「社長の性別なんて、さくらにはどっちでもいいじゃん。気がつかない、鈍感なさくらもいけないよ」

「そんなことない。だって私、てっきり……」

「てっきり?」


「あ、いや。なんでもない。今の、なし」

「言いかけて止めないの。さくら、なに?」

「なんでもない。言いたくない」

「さーくーら! 中途半端な態度は、よくないよ」


 類がさくらを叱った。


「は、はい……だから、その……類くんのはじめての相手って……女性の、社長さんなのかもって、思ったりして」

「あっはっははっはhははhhhはは! 妄想、ウケる!」

「ひどい!」


 そんなに反応しなくても、いいのに。類は、アイドルモデルの顔をくしゃくしゃにして笑った。


「ばっかだなあ、社長じゃないよ。ま、そのへんはノーコメント。お・し・え・な・い」

「うわあ、私にだけ言わせておいて」

「かわいいね、さくらは。よしよし、いいこ」


 類がさくらの頭を撫でた。


「社長には、育ててもらったんだ。モデルとしてだけではなく、人間としても。仕事の上司っていうより、家族に近い感じ。さくらとの仲を反対されても、やっぱり気持ちは変わらない。尊敬しているよ。さくらは切れないし、社長も切れない。ごめんね、一緒にがんばろう」


 うん。分かっている。さくらは黙って頷いた。


「さて、もう学校へ行かなきゃね。今夜は、どれだけさくらが乱れちゃうのか、楽しみだよ? これまで、うぶなさくらを気遣っていたけれど、そろそろ、本気で激しくしちゃお☆」

「あれで、本気の手前!」


 どうやら、類は知らないようだ。社長が告白した、真実を。

 さくらの胸は痛んだ。

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