第28話 天下分け目のファンファーレ!⑤

 さくらは、すぐにことばの意味が分からなかった。


「俺の、子って。それはいったい。子ども同然に、育てたということですか」


「誰にも言うな。ルイにも絶対に言うな。このことを知っているのは、聡子と俺だけだ」

「そんな。嘘ですよね。だって、類くんのお父さんは高幡家の」

「それは聡子の婿、兄貴の父親だ。柴崎きょうだいは、あまり似ていないだろう? 当然だ、胤違いなんだから」


 類と玲の父親が違う? それってつまり、聡子が浮気をしたってこと?


「当時の聡子は、とても疲れていた。幼い子ども……兄の玲をかかえ、婿の帰りを待つだけの日々。明るくて社交的なお嬢さんだったせいか、家の都合で早くに婿取りさせられて縛られて、滅入っていた。俺は聡子の幼なじみで、男にしてはきれいで華奢で、女装趣味があったし、簡単に家の中に通してくれたからよく会っていた。聡子は孤独だった。同年代の女は高校生。結婚して家におさまった友人のことなんて、すぐに忘れる」

「やめてください、お願いします。聞きたくありません」


「いや。俺がどれだけルイに賭けているのか、教えてやろう。半端な気持ちでルイをモデルに育ててきたわけじゃないことを、お前に知らしめてやる。ルイは、俺の一部だ。横からぽっと出てきたお前なんかには、絶対に渡せない」


 類が。いや、聡子が? さくらの中を、激しく渦巻く黒いものがある。


「別に、家族がいなくなるわけでもない。父だと思っていた人間は、とっくにいないんだ。俺は、ルイに名乗り出るつもりはない。聡子も黙り続けるだろう。再婚相手、お前の父に、浮気者だと嫌われないためにも、な。お前が言わなければ、誰も一生知らずに済むことだ。父親らしいことはしない代わりに、俺はルイを日本で通用する一流モデルにした。次は世界だ」


 社長の目は、野望に輝いている。さくらは違和感を覚えた。

 世界に出ることは、類の望むところではない。


「あなたの夢を、類くんに押しつけるのはやめてください。類くんは、現実的な夢を持っています。大学へ行って勉強して、卒業して、私と家族を作って、母の会社で働いて……」

「そんな、誰でも叶えられそうな、小さい希望で終わる男ではないと、何度言えば分かるんだ。ルイには、才能がある。生まれてきた時代もいい。それを生かさないなんて、もったいない」


 類が、早く子どもをほしがっている理由を、ようやくほんとうに理解できてきた。

 社長の夢を押しつけられ、類も困って苦しかったのだ。片倉や事務所のスタッフ、周囲を取り巻く人々に大きな迷惑をかけても、さくらとの結びつきに賭け、抜け出したかったに違いない。


 ずっと、ひとりだったのだ。類は。明るく笑って、注目されても。

 なんでも器用にこなせるのに、自分を思い通りにできないでいた。

 さくらと逢って、はじめて類は、生き方……『婚約者(さくら)』を選んだ。


「類くんが、気の毒です」

「気の毒? ルイは、驚異的な早さで、若手モデルのトップに到達した。スキャンダルまみれになる前に海外へ出て、さらなる極みにのぼりつめたあと、どこかの国のプリンセスとでも結婚させるさ。ゴールはリアルの王子さま、だ」


 ……社長の言い分は、よく分かった。さくらにも決心がついた。


「私、生みます。類くんの子どもを授かって、生みます。家族を作ります。あなたの思い通りになんて、させません。類くんは、『私の類くん』です。だから、私が類くんを守る。類くんの希望を叶える。あなたの夢の犠牲には、しません」

「なにを言っている。十九の小娘が。世間は甘くないぞ」

「類くんがいれば、なんでもできます。たとえ、赤ちゃんができても、学業は続けます。類くんが仕事を失ったら、ふたりでアルバイトしてでもなんでも、今の生き方を守ります」


 声がかすれている。でも、コーヒーに手を伸ばして飲むなんて余裕は、ない。ほんの三十センチも手が動かせないほど、緊張で全身が固まっている。


「ルイは、貧乏暮らしなんてできない。狭いアパートとか、アルバイトなんて、到底無理だ。そうか、聡子の世話になるのか。あんなに、京都京都と息巻いていたのに、子どもができたら親を頼るのか。幼稚な発想ばかりで、笑いが止まらないな。しょせん、その程度の女」

「東京の両親には、頼りません。ふたりで選んだ道です」


 こわいけれど、さくらは社長に言い返した。類と、生きたい。一緒にいたい。


「こいつ。言わせておけば。きれいごとを並べて、生きていけると思ってんのか!」


 社長が、さくらの髪をぎゅっとつかんで引っ張った。せっかく、ミノルがセットしてくれたのに。


「お前を、ずたずたに乱暴してやるっていうのはどうかな。息子の女、か。お前がひどい目に遭えば、聡子も罪を感じるだろう。俺との行為に耐えられたら、お前らの仲を認めてやらなくもない」

「た、え……られた、ら?」

「簡単だ。いつもルイとしていることを、すればいい。俺に股を開け」


 社長はさくらに淫靡な視線を向けたあと、腕時計を確認した。


「撮影が終わるまでゆうに、あと三時間ある。じゅうぶんだな。俺を受け入れたあともルイと仲よくできたら、大した器だとして認めてやろう」

「そんなこと、できません。絶対にイヤです」


 さくらは懸命に首を横に振って、拒否した。


「そうか? 兄貴のほうとも、いろいろお楽しみだったくせに。寸止めさせていたらしいな。兄はよくても、父とはできないっていうのか」


 再び腕をつかまれたさくらは、コーヒーショップから外に引きずり出されていた。夏の熱線が、さくらを襲う。まぶしい。

 

 社長の足は、スタジオと別の方向へと進む。いやだ、このまま社長のいいようにされてしまうなんて。

 さくらは逃げようと必死で抵抗する。でも、力では勝てない。趣味が女装でも、中身はほんものの男性だった。


「素直じゃないな。お前が、少し我慢するだけで認めてやるって言っているんだ、ついて来い。それとも、俺に惚れそうで怖いのか」


 自信たっぷりの言い方も、まるで類そのものだ。


「やめてください。今すぐに認められなくても、構いません」

「なんだ。せっかく、手っ取り早い取り引きを提案してやっているというのに」

「とりひき……」


 さくらの心は、どうにかなりそうなほど、激しく高鳴っている。

 三時間自分が耐えれば、もっとも難しい相手に認めてもらえるのだ。たったの三時間。けれど三時間。


 自分を大切にしない方法を、類が喜ぶだろうか?

 簡単な解決方法になびく自分を、類は軽蔑するだろう。悲しむだろう。

 それに、社長を受け入れたあとに、どんな顔をして類と逢えばいい?


 だめだ、と思った。絶対に、できない。できるはずがない。


 勇気もない。意気地もない。弱い。類に頼りたい。


 でも、これから認めさせてやる。さくらは、社長を強く睨み返した。


「平凡な女子大生が、ずいぶんと引き締まった表情するものだね。いいよ、嫌いじゃない。経験が浅くても、ルイに調教済なら、少しは楽しめそうだ。ホテルへ行くぞ」


 社長の手に力がいっそう込められた。抵抗するべく、さくらは全身を強ばらせる。

 仲を認めてやる、と口では言っているが、ほんとうかどうかも分からない。一度、関係したらそれをネタに、別れさせるつもりだろう。


 けれど、さくらの足もとはかわいいサンダル。必死に歯を食いしばって踏ん張っていないと、引きずられてしまいそうになる。


「行きません。私には、類くんだけです」


 そのとき、社長が持っている電話の、着信音と振動音がさくらにも伝わってきた。


「また電話か。うるさいな」


 興が削がれたというように、社長は言った。先ほどから、胸ポケットの携帯電話が何度も鳴っている。


「出なくていいんですか、社長……武蔵、さん」

「出るさ。だが、お前を離すわけにはいかない」


 逃げないよう、腕をさらに引き寄せられ、ぎりりとつかんだまま、社長は電話に出た。


「ああ。またか……分かった」


 明らかに不機嫌となった社長は短い電話を切ると、ため息をついたのち、さくらを解放した。腕に、社長の爪の痕がついてしまった。


「ルイが倒れたそうだ。戻るぞ」

「は、はい!」


 慣れないサンダルに、足がもつれそうになりながらも、さくらは走った。

 ほんの少し、離れた時間に限って……類が倒れた。なんのために、付き添ってきたのか。さくらは、役立たずの自分を責めた。


 あまりの遅さにしびれを切らした社長が、今度はさくらの手のひらをきっちり握って引っ張った。


 ……これ以上、類になにかあったら、正気でいられない。

 

 タイミングが悪い。類から離れた自分が悪い。



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