第25話 天下分け目のファンファーレ!②

「おはようございます。今日は、よろしくお願いします!」


 撮影スタッフと合流すると、類は『北澤ルイ』のスイッチが入り、とたんに天使のほほ笑みを浮かべるようになった。


 まずは着替えとメイクだというので、類は控え室に通される。


「おつかれさま、ルイちゃん。体調はどう」


 控え室で待っていたのは、スタイリストの男性だった。

 男性だが、女性口調。いわゆる、オネエ系というやつらしい。さくらは、これ系の人と、間近で遭遇したのは初めてだった。短髪で肌もきれいだし、清潔感がある。耳に三つほどつけているピアスも似合っている。ただし、年齢不詳。


「今日はわざわざ大阪まで、ぼくのためにどうもありがとね。助かるよ。入院して養生して、すっかりよくなったよ」

「そうならいいんだけど、最近相当無理していたでしょ。年上の恋人のためにっ、て。こちらがその恋人ちゃんね、うふふ。あたし、ルイちゃんの専属スタイリスト、堀之内(ほりのうち)ミノル。デビューのころからのお付き合い」

「そうだね、もう長いね」

「柴崎さくらです、初めまして。いつもお世話になっています」

「あら。初めまして、じゃないのよ。軽井沢のウエディングロケのとき、あたしはあなたを見ているわ。このルイちゃんを射止めたわりには、ほんとに普通の女の子。そこそこ、かわいらしいけど。となると、身体の相性かしら? 前より、胸が大きくなっているような気がする。うふふっ」


 ミノルは、さくらの全身をまじまじと凝視してくる。こういう状況にはもう慣れてきたけれど、相手が男性だとちょっと恥ずかしい。


「あとでメイクしてあげる。いいよね、ルイちゃん?」

「うんときれいにしてあげて。メイクのコツを、教えてくれる? さくらはいつも、リップを塗るぐらいで、ほとんどノーメイクなんだよ」

「オッケー。よろしくね、さくらちゃん? まずは、ルイちゃんの準備をしましょう。今日は拘束時間こそ短いけど、着替えも多くて大変よ」

「分かってる。でも、早く帰りたいし、がんばる」

「かわいい恋人ちゃんとの、らぶらぶで楽しい夜が待っているものね」

「ぼくは、明日から学校だって言っているの。からかわないでよ、もう」

「はいはい。かわいいルイちゃん」


 ミノルの手は、魔法の手だった。類を、ルイに変えてしまう。手早く、しかし確実に、北澤ルイになった。


「暑いなー、秋冬服か。病み上がりにはこたえるよ」


 類は顔をしかめた。 


「雑誌を見た男子庶民が、ルイちゃんみたいになりたいって殺到するのよ。女子庶民はルイちゃんかっこいい、すてきって、うっとりするにちがいないわ」

「同感です!」


 思わず、さくらも興奮してしまった。

 もともと、素材がよくてすてきなのに、髪をスタイリングしてメイクを施し、最新のファッションに身を包んだ類の姿は、ほんとうにまぶしい。どうしよう、ほんとうにすてき。好き。きゅんきゅんで、身もだえしてしまう。


「単純。さくら」

「でも、いいものは、いい。類くん、すてきだよ」

「はいはい。惚れ直したってやつね。じゃあ、撮影に行ってきます」


 類のあとについて、さくらはスタジオへと移動した。

 まばゆいライト、うごめく人の数。さくらは怖気づいてしまった。


 すべてが、類を中心にまわってゆく。

 軽井沢の撮影でも垣間見たけれど、類は周囲を圧倒する存在だった。

 ひとつひとつの動きから、目が離せない。目線や、指先の動きまでも息を止めて、さくらは全力で魅入ってしまう。類のすべてが苦しいほどに、さくらの胸を鋭く深く刺す。


「ほんとにいい男よねえ、離したくないわよねえ。ルイちゃんと同世代で、比較できる存在なんて、この世界にもそうそういないわよ」


 冷やかすように、さくらの隣でミノルがほほ笑んでいる。


「すてきです。でも、離したくないとか、そういうわけじゃ、ないんですけど。類くん、風船みたいな性格ですし」

「じゃあ、どういうつもり? 天下の北澤ルイを独占しておきながら、自慢もしないなんて。余裕あるのね」

「余裕はありません。いつだって、ぎりぎりです。ただ、私は、北澤ルイを好きになったわけではなくて、ちょっとわがままで、たまに不器用な、かわいい柴崎類が好きなんです」

「盛大なのろけかあ、ふう……じゃ、メイクしましょうね。ルイちゃんも驚くぐらいの、美麗メイクを」


 ミノルは、撮影中の類のそばを離れられない。さくらを、スタジオの隅に座らせて顔を作ってゆく。

 片倉が、スタジオの中を駆けて、指示を出したり電話をかけたり、果ては撮影の手伝いをしている姿が見えた。


「あなた、少し右目が上がり気味ね。でも、悪い顔じゃない。この顔と身体で、ルイちゃんを毎晩いかせるのかと思うと、想像しただけで鼻血が出そう。愛し合い続けた結果、あなたがルイちゃんの精気を吸い取って入院させたっていう噂よ。どれだけ貪欲なの」

「う、噂です! 私は、類くんと向き合っているだけです」

「裸で、向き合う仲か。羨ましいわー。ルイちゃんを狙っている人間は、男女問わず多いのに。かく言うあたしだって、あわよくばルイちゃんに抱かれたかったのに、も・う、ずるい!」


 ……苦笑で返すしかない。


「ふだん、お化粧しないなら、作り過ぎてはだめね」

 

 さくらに手鏡を持たせ、ミノルはメイク道具を開いた。


「眉をカットさせてね。野性的な太眉もいいけど、少し揃えるだけで印象が変わるものなの。ああ、いい形。せっかくだから、前髪も切ってきれいな眉を見せちゃいましょ? うん、なかなか。お肌はきれいだから、あえてそのまま。まつげをカールして、軽く目の上にハイライト。チークをほんの少し。あとは、いつも使っているリップを出して? ……うん。これ、ルイちゃんがCMしていたやつね。はい、すいすいっと」


 ものの五分もかからなかった。

 鏡には、別人みたいに光っている自分がいる。信じられなくて、さくらは目を何度もぱちぱちとさせてみた。でも、映っているのはやっぱり自分だった。


「よし、できたっと。あと、ルイちゃんの依頼で、服も用意したのよ。控え室にあるわ、ちょっとだけここを抜けて、取りに行きましょ。いいわね、らぶらぶで」


 類からの、プレゼントらしい。入院の面倒をかけたお礼と、課題完成のごほうび。類の依頼で、ミノルが用意したという。


 着替えている間、ミノルは控室の外で待ってくれた。


「きゃっ、似合う。かわいい」


 膝上の、短い丈のスカート。類の好きなワンピースだ。色は、白。

 ワンピースは脱がせづらいがまたそこがいいとか、とんでもないことを言っていた。サンダルや小物まで、ある。


「こんなに」

「入院して、いつも以上に世話をかけたって、あの子なりの感謝のつもりでしょうね。あの性格だからそんなこと、絶対に言わないと思うけどさ。ありがたく受け取っておきなさい。まったく羨ましい限りね。女からの嫌がらせ、多いでしょ」

「えーと、多少は」

「仕方ないとはいえ、あなたもがんばっているわ。何ヶ月続いているの? ひと晩の関係しか築けなかったルイちゃんにしてみれば、快挙。奇跡よ」

「ええと、出逢ってからはそろそろ、二年。お付き合いは、四ヶ月ですね」

「あたし、仕事上、ルイちゃんのプライベートをわりと知っているほうだけど、北澤ルイをそこまで待たせた人は過去にいないわよ。あなたって、見た目はほんと普通だけど、ルイちゃんのことに関しては稀有な存在だわ」


 褒められているのか、けなされているのか。さくらは、曖昧にほほ笑んだ。


「じゃあ、早くスタジオへ戻りましょ! こんなところでサボっていたら、あたしがルイちゃんに疑われちゃうわ、こわい!」


 撮影は順調に続いているが、冬服でライトを浴びっ放しなので、類は相当暑いはずだ。けれど職業柄、顔に汗はかかない。

 最初の撮影はファッション誌用なので、いかに服がよく映えるかを類は考えているらしく、さかんに意見を飛ばしている。


 軽井沢での屋外ロケは見学したことがあったけれど、スタジオはまだ別の緊張感がある。あのときは、途中で帰ってしまったことを思い出す。

 今のさくらは、息をひそめて類に注目した。

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