第22話 その目には、私だけを映してほしい②

 病室を飛び出てもなお、心臓が苦しいほどに高鳴っている。さくらは類の荷物をぎゅっと抱きしめたまま、エレベーターに乗った。息を止めて唇を噛み締める。そうしないと、泣きそうだった。


 あんなにかわいい女の子と、密室でふたりきりの類が許せない。

 それ以上に、きららと名乗った図々しい女の子が許せない。


 なのに、意見のひとつもできなかった自分が、みじめだった。


 類は、さくらをかばってくれなかった。悔しい。悔しい悔しい悔しい。


 心のどこかで期待していた。

 類が、さくらが来たから帰ってと、先客の女の子に言ってくれることを。

 課題、がんばったねとねぎらってくれることを。


「私だけ、ばかみたい……」


 類に対して、淡い期待をしてはならないのだ。分かっていたのに、甘えがさくらを弱くした。

 マスコミがたむろしている正面玄関を突破する。なにも聞こえない、なにも見ていない。さくらは一目散に部屋へと帰った。



 うつろな気持ちのまま、機械的に洗濯機を回す。

 心も一緒に、洗えたらいいのに。さくらは涙をこらえた。



 時間を空けて戻ったつもりだった。ゆうに、二時間が経過していた。


 なのに、目を疑うべき光景があった。

 例の女の子は、病院のロビーでさくらを待ち構えていた。仁王立ちで。


「お姉さん、遅かったですね?」


 さくらを見つけるなりの、笑顔。でも、トゲがある。さすがにぞっとした。


「お姉さんはひとつ年上で、国立大学に通っているんですってね。頭、いいんですね。その上、ルイくんをゲットするなんて」


 きららの表情は、悪意に満ち満ちている。文句を言うために待っていたに違いない。


「……きららさん、でしたね。私、急いでいるんです。類くんが待っているので」


 相手をしたくない。これ以上、傷つきたくない。


「許せないんです。あなたみたいな、普通の人がルイくんの恋人だなんて。私、彼に好かれるよう、ルイくんの好みを研究したんです。年齢だけはどうにもなりませんが、それ以外のことは全部」


 どこかで見たことがあるような気がしたのは、『ルイの好み』で身を固めていたからだった。ふわゆるモテカールの髪、華奢なのに豊乳。類と同等の偏差値。


「ルイくんが受験する大学を必死で調べて、勉強して、受けて、京都に引っ越したんですよ」

「それは……おつかれさまでした」

「ただの読者モデルじゃ、彼には振り向いてもらえなかった。モデル仲間が、類くんと一夜の関係を結んでも、黙って眺めるしかなかった。ようやく、ルイくんと同じステージの上にのぼれたのに、婚約騒ぎなんて!」


 ま、まずい。周囲の人に、『修羅場?』みたいな目で、見られている。


「あの、落ち着いて?」

「私、あなたを許さない。鏡、見たことあんの? 釣り合わないんだよ! ……ということで、今後もあらゆる手段を使って、全力でルイくんを誘惑します。言いたいのは、それだけです」


 顔はかわいいのに、性格はきつい。類の業界にはそんな子が多いらしい。

 人気商売だ、気が強くなくては生きてゆけないのかもしれないが、そんな宣戦布告をされても困る。聞きたくもない。


 こんなときに、『私の類くんだもん!』ぐらい言い返せたら、父さまに自慢できるのに……無理そう。


 さくらは俯いたまま、類の病室へと到着した。


「さくら、ずいぶん遅かったね」

「洗濯して、ついでに掃除機かけたら眠くなって。遅かったかな?」

「うん。待ちくたびれた。せっかくの面会時間なのに。ま、さくらなら、多少遅くなってもいいか。泊まっていけばいいし。一緒に寝よ?」


「……同じクラスの女の子、が、長くいたんじゃないの?」

「ううん。彼女はさくらがいなくなったあと、十分もしないで帰ったよ。用事がある、とかで?」


 となると、あの女の子は類に用事があったというよりも、さくらに釘を差すためにお見舞いに来たようなものではないか。嘘ばかりだ。


「ねえ、嫉妬した? ねねね?」


 類は真顔だった。まさか、やきもちさせるために、さっきはわざと淡白な対応を取った? どれだけ、人の心をぶん回すつもりなのか? さくらは無視することにした。


「授業のノート、見せてもらえてよかったね。類くん、週末は忙しいし、授業の下準備もできないだろうし。クラスで、うまくやっているんだね」

「……なんだ、ぼくの質問には無視か。ま、いいけど……学校生活、しかも京都でなんて、中学校以来だから人間関係に苦労するかなと思ったけど、『北澤ルイ』の愛嬌を振り撒けば、あっという間に出来上がった。男子も女子も、ぼくがかわいくお願いすればちょろいもんだ。ぼくの笑顔の訴えが通じないのは、さくらと玲ぐらいなものさ」


 類は、北澤ルイがよくやる首を傾げるしぐさで笑った。少し媚び、少しつやめいた蠱惑の表情。


「私には、通じないって。分かっているでしょ。なにか、お願いごとでもあるの?」

「さすが、ぼくのさくら。てっきり、嫉妬したのかと期待したのに。冷静だったなあ。あのね、看護師さんに、今日からシャワーを使っていいって言われたの。でも、この手でしょ、誰かの助けが必要なんだよね?」


 点滴でつながれている左手を強調するために、ぶらぶらさせた。


「さくら、ぼくの身体を洗って?」

「私が?」

「そう。部屋にシャワーはついているから、一緒に入ってぼくの全身を洗うの。濡れちゃうだろうから、さくらも全部脱いでさ」

「ええ、ここで? やだ」

「なんだよ、即答しないの。いつもは一緒に入っているでしょ、おふろ」

「家と病院じゃ違うよ。いつ、誰が来るか分からないし」

「だいじょうぶだよ、誰も来ないって。入るなら、夕食までにって言われたし。ま、さくらがいやなら、他の人に頼むよ? 看護師さんたちみんな率先して、ぼくの身体を洗いたがっているって言うし? 類くん、身体をきれいに洗いたくて、我慢できないんだけど?」

「それは、だめ! いや!」

「なら、行こう。タオル、タオル」


 入院後、はじめて入浴を許可された類はうれしいらしい。ご機嫌だ。

 ナースコールで看護師を呼びつけて、左腕を防水してもらう。『さくらと一緒に入って、洗ってもらうんだ♪』と、楽しそうな類の勢いは、誰にも止められそうにない。

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