第21話 その目には、私だけを映してほしい①

 課題は、どうにか仕上がった。


 時刻は十二時四十五分。

 レポート部分を印刷し、提出の体裁を整える。自分には、絵画の才能がない。製図がやっとだ。

 おにぎり一個をお茶で二分でおなかに流し入れ、さくらは三限のはじまる教室へと急いだ。


『ほら、あの人。北澤ルイの恋人だよ』

『あれが? 十人並みだよねー、並み』

『同棲しているんでしょ、未成年で大学生なのに』

『ルイくんは清純さわやか系だったのに、夜はケダモノだったのかぁ』


 そんな声も耳に届くけれど、もう慣れた。さくらは進む。

 背筋を伸ばし、課題を提出できる喜び。

 この授業が終わったら、類に逢える。早く逢いたい。最後までやり遂げたことを、甘いささやき声で褒めてほしい。頭をなでてもらいたい。やさしく包まれたい。それから……おっと、入院中の患者さんだった。


「そこの、北澤嫁! 顔、ゆるんどるで。課題終わって、安心してはるん? なあ、ルイくんが入院って、ほんま?」


 同級生から、指摘された。類の入院について、報道が流れたらしい。


「うん。ちょっと無理したせいで、過労と肺炎。熱は下がったし、本人はかなり元気なんだけど。今週いっぱい、入院」

「かわいそうやね。うちらも、お見舞いに行きたいけど、ぎょうさん押しかけたら迷惑やろし。北澤嫁、しっかりせなあかん。いつもはルイくんに甘えとるだけやろけど、こっちの便宜ははかったるさかい、とっととお世話に行きよし」

「あのねえ、誰が甘えてなんて。私が年上なんだよ」

「ええねんて。さ、早う。北澤嫁」

「三限は受けるし! 結婚も当分先だよ。それに、その『北澤嫁』って言い方、おかしいからやめてって。ふたりとも、柴崎だよ。し・ば・さ・き!」


 冷やかされつつ、しかし浮かれつつ、いつもと変わらない雰囲気に安心もする。

 三限が終わると同時に、さくらは教室を飛び出して類の病院を目指した。大学からは、自転車で五分の位置にある。

 自転車禁止令が出ているが、自宅⇔大学⇔病院の移動には、やっぱりとても便利なので、今だけこっそりと乗っている。



「うわ、さすが」


 ある程度は、予想していたけれど。


 さくらは自転車を降りた。乗ったままでは進めない。『北澤ルイ、入院』のニュースを聞きつけたマスコミが多数、病院の前でスタンバイしている。ある者は聞き込みに忙しく、ある者は情報を得るために暗躍していた。

 ルイの注目度は高い。うれしいような、困るような。


「あなた、お見舞い? ここの病院に、モデルの北澤ルイがいるらしいんだけど、聞いていない?」

「いたら、教えて」

「どんな様子だったか」


 マスコミに囲まれ、矢継ぎ早に質問された。さくらが恋人だということは割れていない。類の婚約者当人に訊いていると気づかずに、マスコミはさくらに殺到している。

 こういう輩は相手にしないよう、片倉からレクチャーされているので、かわいそうだが無視する。


「すみません、通してください」


 やっとのことで自転車を駐輪場に停め、ようやく病院の中へ入れた。汗をかいてしまった。帰りは、職員の通用口を使わせてもらおうと思った。


 昨晩から今まで、類との電話やメールは我慢した。課題はきちんとできた。

 早く、類に逢いたい。今日は面会時間ぎりぎりまでいられる。泊まってもいい。


「あれ?」


 病室の部屋を開けようとしたところ、室内から話し声が漏れ聞こえてくる。巡回の看護師さんかと思ったが、類の笑い声と若い女の子の明るい声だった。さくらはノックしようとした腕を上げたまま止め、ついつい聞き耳を立ててしまう。


「……でね、……なの」

「なにそれ、おっかしー!」

「そのときさあ……」

「あー、分かる!」


 片方の声は、確かに類。けれど、いつもと口調がまったく違う。こんなふうに、くだけた若者ことばを使う人ではないのに。自分の知らない類がいる。

 さくらは、意を決してドアに手をかけた。


「あの。こんにちは、る、類くん!」


 どうして、弟相手に。恋人でもあるのに、婚約さえしているのに、怯えなくてはならないのだ。胸を張って、全開したドアの向こうに広がる室内を、きつく睨みつけた。


 病室には、ベッドから少し身を起こしている類。


 それに、ふわふわで内巻きカールな長い髪に細身……なのに、嫉妬するレベルで胸の大きい女の子がいる。なんか……詰めてますか? それとも、巻いていますか? 

 こちらのほうを向いた。悪いことはしていないのに、どきっとしてしまう。顔が小さくて、しかもとてもかわいい。


「今日は、やけに早いね。どうしたの? さぼった?」


 類は首を傾げた。そのしぐさひとつひとつがいちいち愛らしくて、憎らしくさえある。


「か……課題、終わって。それで」

「あっそう」


 褒めてもらいたい、その一心で急いで来たのだが、類の対応は冷ややかだった。


「一応、紹介しておこうか。こちら、同じクラスの、久我山(くがやま)きららちゃん。ぼくらと同じ、東京出身で、大学から京都なんだって。某雑誌の読者モデルもしているんだよ。けっこう有名。あっちは、ぼくのさくら。話したこと、あったよね」


 天使のほほ笑みを振りまきつつ、類は言い切った。


「モデルといっても、素人モデルです。ルイくんのような、本物のモデルさんとは大違いです。えーと、ルイくんのお姉さんですよね、お話はいつも聞いています。きららです、よろしくお願いします」


 きららは愛らしい余裕の笑顔で、さくらに握手を求めた。断りきれなくて、さくらは苦笑いで応えた。差し出された手は、きめ細やかで真っ白だった。お手入れをなまけているさくらの手とは、まるで違った。


「こちらこそ……」


 耐えがたいほどの白けた空気が流れている。打ち破ったのは、きららだった。


「もう少し、ルイくんとふたりきりでお話がしたいので、お姉さんは席を外してくれませんか。ルイくんは病み上がりですし、早目に切り上げます」


 きららには、有無を言わせない強さがあった。追い打ちをかけたのはほかでもない、類だった。


「聞いていても、つまらないと思うよ。ぼくの大学の話だから。今日の授業のノートを、みんなを代表してきららちゃんが持って来てくれたんだ」

「明日も集めて持って来る」

「いいよ。一週間で復帰するし。あとは、まとめて週明けでさー」


 さくらの知らない、類が、いる。

 受け入れられなかった。心が狭いと思われても、仕方がない。


「る、類くん。洗濯物、預かるね! いったん私、家に戻ろうかな」


 その辺にあった紙袋に、類のパジャマやらタオルやらを勢いよく詰め込んだ。

 自分は今、ひどくあわてた顔をしていると思う。見られたくない!


 見下されるのなんて、慣れていたはずなのに、こうも間近で、しかも類の前で堂々とけなされると、こたえた。

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