第20話 忘れていたわけじゃないけれど②
「橋本くんは知恩院。ふーちゃんは建仁寺。あーちゃんは清水寺。林さんが下鴨神社。いっちゃんは、銀閣寺……みんな、大寺社ばかりだなあ」
課題に取り上げる寺社が重ならないよう、ターゲットを決めたら、みんなに連絡をする約束だった。類に、かかりっきりだったさくらは、届いたメールを開く暇もなかった。
『どうしたの、全然音沙汰ないけど?』
さかのぼって、何通か読んでいくと、橋本からのお伺いメールがあった。日付は土曜日。家の都合で、とだけ(今さらだけど)送信しておいた。
類の入院・休養については、明日の月曜にマスコミに公表するという。ゆえに、家族と事務所、病院関係者以外はまだ知らない。
すると、電話がかかってきた。メールを送ったばかりの、橋本からの着信だった。
『今、だいじょうぶ? おれ、自分の課題は終わったし、手伝うよ。バイトもなくて、暇なんだ。で、どこがターゲット?』
「うん、六角堂かなって。でも、悪いよ、手伝わせるなんて」
さくらは固辞したが、橋本は六角堂と聞くと勇んでしまった。
『おお。大好物の三条通近く。いいね、今から行く!』
必要な荷物をまとめて六角堂へ行くと、すでに橋本がベンチに座って待っていた。手には、コーヒーをふたつ、持っている。
六角堂には、お寺なのにスターバックスがある。三条大橋店と並ぶ、ベストスポットだ。ここの、店内から窓越しに見上げるお堂も風情がある。さくらは、御池のマンションで類と同居するようになってから、たまにひとりで来るようになっていた。類は、見つかると騒ぎになるので来ない。来られない。
明日は、店内で作業決定。開店、七時。よし! 雰囲気いい場所で、気分も作業スピードも、上げよう!
メガネをやめてコンタクトレンズにした橋本は、最近ぐんと男前度を上げてきている。着ているものも、立ち居振る舞いもぐっと洗練されてきた。京の男、になりつつある。
「どうぞ」
「ありがとう。わざわざ、ごめんね」
先週の金曜に、大学で会ったばかりなのに、ひどく懐かしい。それだけ、この二日間はさくらにとってはしんどかった、ということだろう。
「いいよ。困ったときはお互いさま。なにか、あったんでしょ? 追加合格でも真面目なさくらちゃんが、課題に手つかずなんて、珍しい」
「うん、それが。やろうやろうと思っているうちに、ちょっと……」
橋本は、類のこともよく知っている。西陣の町家にも、遊びに来てくれていた。
まだ極秘事項なんだけど、と念を押して、さくらは、類の入院のことを簡単に話した。
「それは大変だったね。そうか、ルイくんが。やけに忙しそうだとは、思っていたんだけど。先生に、期限を延ばしてってお願いしてみたらどうかな。同居の家族が倒れるなんて、大変なことだよ。さくらちゃんが頭を下げれば、先生も認めてくれそう」
「……ううん。今日一日と、授業がはじまる前までに、なんとかやってみる。課題の提出は三限目だし、午前中と昼休みもかければ、できる。類くんとも、約束したんだ」
「ほーお。がんばり屋さんだね。じゃ、おれは由緒書きとか、もらってくるよ。資料になるようなもの、寺務所にあると思う」
飲みかけのコーヒーを置いて、橋本は走り出す。
ありがとう。感謝の気持ちを込めて、橋本の後姿を拝んだ。
まずは、時間のかかるスケッチからだ。
おおまかな部分と気がついたことを書き留め、あとは写真を撮って細部を確認する。さくらは鉛筆を走らせはじめた。
六角堂。ビルに囲まれるようにして、市街地に建っているお寺。
京都の地元では、『六角さん』などと呼ばれてるが、正式名称は、頂法寺。ひらいたのは聖徳太子だと言われている。
六角堂はお寺の中にある、お堂のひとつ。
その名の通り、六角形で、屋根も六つに分かれている。隣に建つ、『池坊いけばなビル』の展望エレベーターを使って上階まで行けば、誰でも屋根の形が確認できる。
ほかにも、京都の中心だといわれている『へそ石』や、長く垂れ下がった『縁結びの柳』など、町中にあるそれほど広くないお寺にしては見どころがあるけれど、今回は課題に直接関係ないので、省略。
「特徴的な形だけど、スケッチするのは難しい……!」
あまりの画力のなさに、脱力してしまう。よく、進級できたものだと感心してしまうほど、壊滅的なセンスだった。
日暮れとともに時間切れとなり、さくらと橋本は六角堂をあとにした。明日も、午前中は六角堂に張りつく。雨よ、降るな。空に祈った。
急激におなかがすいたので、さくらは橋本を夕食に誘った。はじめ、橋本は固辞したが、『手伝ってくれたお礼』と言ったら、頷いてくれた。
ふたりはイタリアンの店に入った。
「ここkこおここkこおここんなところ、ルイくんに見られたら消される、おれ」
本気で震えている。
「入院中だから、それはないよ」
「でも、病院の看護師って女性がほとんどでしょ。類くん、人気者なのに心配じゃない?」
「きりがないもの。ね、橋本くんは飲み物どうする?」
「飲んでもいいなら、ビールを」
橋本は今月、二十歳になっていた。
そういえば、玲も先月二十になり、さっそく祥子からお酒の手ほどきを受けているらしい。誕生日のお祝いには『新しいバッグが欲しい。身軽なやつ』と言われたので、バッグをプレゼントした。類おすすめのブランドだったことは内緒にしているが、察しのよい玲のことだ、気がついているかもしれない。
「さくらちゃんは来年の三月、早生まれか。おれだけ、悪いね」
「いいえ、どうぞどうぞ。今日はありがとう。助かりました。そして遅くなったけど、お誕生日おめでとう」
さくらも辛口のジンジャエールを注文したので、乾杯した。前菜も出てくる。色もきれいでおいしそうだ。
「なんか、こういうの、新鮮でいい」
「ルイくんとは行かないの? あ、行けないか」
「うん。類くん、どうしても目立っちゃうし、ほとんど外食はしない。西陣のあたりは地元の人が使うお店がたくさんあるし、たまにふらっと行けたんだけど、御池とか四条だと観光客やビジネス利用がとても多くて。堂々と、明るい場所で食べられるのって、うれしい」
「普通のことなのに」
「その『普通』が、類くんとは無理なんだよね、残念だけど」
「お、のろけ話か」
「そんなんじゃないよ」
「さくらちゃんのこと、すごく羨ましいけどね。まぶしいっていうか。同じ歳なのに、有名モデルをゲットして婚約して、高級マンションに住んで、大学も一流。将来の仕事もおしゃれ企業の社長夫人確約。おれが女だったら、さくらちゃんになりたい」
「想像するより、大変だよ。現実は」
さくらは、パスタのフォークを軽く突きつけた。
「そうだろうね。ルイくん、拘束きつそうだし」
「うん。すごくモテるのに、私を縛りまくりで」
「また、のろけたし」
橋本は、二杯目を注文していた。メインのお肉に合わせて、赤ワインだった。
告白めいたことばを受けたのは、去年の秋だった。類と結ばれたあとも、ひそかに慕ってくれていたのは知っている。なのに、こんなふうに助けてくれて、さらに笑い話にしてくれる橋本には、頭が上がらない。
ありがとうしか言えないさくらだったが、それでも感謝を連呼し、部屋に帰った。
類のいない、ひとり部屋。
類にメールしてみたが、もう寝てしまったようで返事もない。
さくらはおふろに入り、ひとりベッドに転がる。
「広過ぎるよー」
ひとりで寝るには、広いのだ。枕やふとんから、類の匂いがする。気配は近くにあるのに、届かないもどかしさを感じ、さくらは身悶えた。
「時間の使い方、違うし!」
……こんなことをしている場合ではない、課題だ課題。
明朝の六角堂開門は、六時。
さくらのへなちょこスケッチが、どこまで評価されるかは分からない。けれど、最後までやるしかない。午前中の代返は、すでに手配済み。
降水確率は四十パーセント。雨が降ったら、書きづらい。スタバは七時からなのだ。一分だって無駄にできない。雨だけは勘弁してほしい。
意を決したさくらはベッドから這い上がり、パソコンを起動させてレポート部分に着手した。
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