第19話 忘れていたわけじゃないけれど①
翌、日曜日。
午前中のうちに、病室へ顔を出した両親は類の具合を確認すると、その足で東京へ帰った。
「惜しいこと、しちゃったかな。両親を、こちら側に引き入れるチャンスだったのに」
「こちら側?」
「そう。入籍のこと。ぼくが倒れるぐらいなら、結婚させて落ち着かせようっていう、親の魂胆に、口先だけでも一応、乗っかるべきだったか」
「昨日は両親を撃退したけど、類くんは、東京へ戻りたかった?」
「まさか! 実家のマンションに戻るとか、考えただけで鳥肌ものでしょ。覗きは趣味だけど、自分の親が、いちゃいちゃしているのは無理!」
まだ、趣味なんだ、覗き……その容貌で、趣味が覗きなんて。苦笑しかないのに。
「結局、さくらが家事全般を押しつけられるに決まっているし。もしかしたら、親の子どもとぼくたちの子ども、両方の面倒見る羽目になるよ?」
ええ、それはいやだ! てか、生まれる前提? 両方?
「万が一、戻るとしても、別居だな。四年後も、絶対絶対同居はしない!」
「それ以外にも、いろいろと面倒だからね。東京にいると注目されて。入籍はできても、付き合いだのなんだので、さくらとの時間が少なくなりそうだし、このままふたりで濃厚に過ごしたい。そうそう、明日はちゃんと学校へ行ってよ。ぼくのことは、いいから」
「いいの? だいじょうぶなの?」
「うん。忙しかったら、来なくても平気。なんなら、もう帰りなよ。先週の、倒れる前に、手のかかる必修課題を仕上げて出すような話を聞いた気がする」
「うう……」
課題は、ある。この週末、類がいない隙に取り組もうと思っていた。
話したような気もする。さくら自身がよく覚えていないことを、類は記憶していた。
「どんな内容だっけ?」
「京都の寺社建築についてのレポートなんだけど、現物を見てスケッチして、由来や特徴を十枚も書かなきゃいけないし、もう間に合わないような気がする……絶望」
「どこのお寺か神社にするかぐらいは、決めたわけ?」
「ええと、それも……恥ずかしながら、まだです」
「年上のくせに、仕方ない子だね。それでなくても、さくらは追加合格なんだから、課題で点数を上げるしかないのに」
……痛いところを突かれた。ここ最近は、類のことで課題どころではなかった、というのが正直なところけれど、人のせいにしてはいけない。
しかも、課題そのものは、ひと月以上前に出されていたものだ。放置していた自分を呪う。
「ほら、一緒に探してあげる。ここから近くて、特徴があって書きやすいところがいいよね。オトーサンからの差し入れに、京都のガイドブックがあったはずだから、持ってきて」
類は雑誌を受け取ると、長い指でページをめくってゆく。そんな何気ない仕草も、さくらはだいすきだ。ときめいてしまう。
「そんな遠くにぼんやりと立っていないで、ぼくのそばに来て。靴、脱いで、ベッドに入って」
「は、はい」
おそるおそる、端整な顔の隣に自分の顔を並べ、ガイドブックを覗き込んだ。
……添い寝状態だった。
いつもより、類の匂いが濃い。さくらのすきな匂いだ。つい、さくらがうっとりしていると、類の片手が伸びてきて、さらに抱き寄せられる。
ぎゅっと。
接近すると、どちらからともなく、甘い甘いキスに発展してしまう。
「さくら。だいすき」
「るいくん……!」
たまらなく、しあわせを感じる瞬間。もっともっと、こうしていたい。
さくらも、類の後頭部に手を回す。病室のベッドで、こんなこと、していいのかな……もうちょっとだけ、感じていたい。類のぬくもりを。類の吐息を。もっともっと、欲しい!
……でも。
「さくら、顔がゆるみっぱなし。課題でしょ、課題」
「は!」
課題。かだい。カダイ。アタマガ、イタイ!
意外と、類のほうが冷静だった。いやあ。残念なんて、微塵も思っていませんよ? もっと欲しいなんて淫靡なこと、ひとことも言っていませんよってばよ?? 思ったけどね???
人混み嫌いの類は、京都で観光らしい観光を、ほとんどしたことがないようだけれども、受験勉強の合間に自転車を乗り回していたため、地理にはとても詳しい。
「さくらの好きな宇治とか、郊外は大変だし。嵐山も遠いね。うちのマンションのそばの、六角堂なんてどうかな? おもしろそうでしょ」
「ああ、六角堂! 私、六角堂なら行ったことがある。でも、十枚も書けるかな、今から……とほほ」
「とにかく。形だけ揃えて出せばいいんだよ、まずは期限までに。一緒に行けなくて悪いけど、がんばって。終わったら、たくさんごほうびあげるから」
ごほうび、と言われてさくらは、ついついうれしくなった。たくさんごほうび……なんだろう?
「ありがとう! なんとか、やってみる。早めにできあがったら、ここへ戻るよ」
「そんな無理しない。よく休んで。ぼくも好きなことをして過ごす。たとえば、先日隠し撮りした、さくらとの甘い、あまーい、それでいて激しい……」
「ええっ?」
類の携帯電話の画面に広がっていたのは、ベッドの上で類にしがみつくさくらの姿だった。暗くてはっきりとは映っていないけれど、場所はマンションの寝室、である。
「まだ、全部見ていなかったから。東京で見ようと思っていたんだけど、うふふっ。かわいいなあ、さくら。ほんとにいつまでも初々しくて、最高。極上」
「いつの間に。か、隠し撮りなんて犯罪だよ、類くん!」
「個人で楽しむだけだから。ああ、この声はいいねえ。さくらが、すごく感じているときの声」
「やめて、恥ずかしい。削除して! ていうか、お願いします」
「撮影に気がつかない、鈍感なさくらが悪い。うわ、さくらのくせに、こんな姿勢しちゃって。すごい。オトーサンには言えないや。まじ興奮だね。あと、三時間分もあるんだよ」
類くん、まじ変態は健在です……さくらは目の前が真っ暗になった。
ふたりが(いちゃいちゃと)揉めていると、類の検温の時間になったので、さくらは帰って課題をやることにした。クラス内で、ほかの誰かと極力かぶらないように、というのが必須条件だったのを歩きながら思い出す。
帰宅して、リビングで課題を広げた。久しぶりに。
そこには、真っ白な現実が待っていた。一行も、書いていない!
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