第18話 親子・父子・母子・おやこ②


「あら、ふたりともこんなところでどうしたの。寄り添っちゃって、恋人どうしみたい。妬ける」


 ちょうど、聡子が戻ってきた。


「おかえり、聡子」

「おかえりなさい。お母さん」


「まあ、お母さんですって。うれしい。さくらちゃん、かわいい」

「おいおい、私は無視か。類くん今、寝ているんだ」

「だからここで、父子談義なのね。私も、入れてもらっていいかしら」

「もちろんです」


 さくらは聡子に椅子を勧めた。


「おじゃまじゃない?」

「はい! 聡子さん、じゃない……お母さんがいてくれたほうが、私も落ち着きます」

「ま。無理しなくていいのに」

「……ちぇっ、なんだい。母子どうしで仲よくして」


 さくらと聡子が顔を見合わせて楽しそうに笑っているので、涼一はいまいちおもしろくなさそうだった。


「で、視察はどうだった」


 涼一は話題を変えた。


「アポなしの視察ほど、おもしろいものはないわね。いろいろ指摘してやって、誰だこの不遜なおばさんは……どこかで見たことあるような気もするんだけど、えっ、あっ、社長! みたいな。支店の社員一同あわてちゃって。今度、さくらちゃんも一緒に行きましょう。社会勉強の一環として。どの店舗も総じて、向上心、勉強心のある働き手が少ないわ。日々の、ルーチンさえこなせばいいだろうっていう」

「あー。雇われの身のサラリーマンとしては、片腹痛いです」

「涼一さんも、いい加減うちの会社に来ればいいのに。柴崎家に婿入りしてなお、会社を続けるなんて、居心地悪いでしょ」

「まあ、嫉妬とか揶揄はあるけど、今までの私を支えてくれたのは、北野リゾートだからね。もう少し奉職するよ」


「さすが、涼一さん。うちの会社に来れば、役員待遇で一生ラクできるのに、今の会社に義理立てするなんてマジメ。惚れ直しちゃう!」

「おいおいやめろよ、娘の前だって」

「いいえ。こんなにかっこいい父親なんだから、もっと見てもらうべきよ。ねえ、さくらちゃん?」

「はい。父は、私の自慢です!」


「さすがね、さくらちゃんも素直でかわいい。ところで、類が起きる前に、食事を済ませてきましょうか」

「私は、類くんについています。どうぞおふたりで」

「私たちは明日帰るよ、今夜ぐらいはゆっくりしたらどうだい、さくらも?」

「ううん。私は、類くんのそばにいたいの」

「類は、ほんとうにしあわせ者」


 そうつぶやきながら、聡子はほほ笑んだ。


「類は小さいころ、身体が小さくて弱かったの。よく熱を出していたし、ぜんそく持ちで。点滴でベッドに入院なんて姿、久しぶり。あの働きっぷりじゃ過労は仕方ないけど、栄養失調は申し訳ないことをしたわね」

「私、病院の栄養指導を受けます。類くんの身体にやさしくて、おいしいものを作れるように」

「さくらちゃんは、よくしてくれていた。類が欲張りで無鉄砲だから。近くに住んでいたら、もっとフォローできるんだけど。さくらちゃん任せなんて、私が母親失格」

「いえ。聡子さんは聡子さん、私は私のするべきことをやるだけです」


「涼一さんとも相談したんだけど、来年度から東京の大学に転籍しない? あなたも類も、せっかく合格した京都の名門大学だけど。東京の私大なら、いくつか心当たりがある。さくらちゃんの建築、類の経営、両方を学べる大学。ふたりで、一緒の大学に通いたいとは思わない? そうしたら、さくらちゃんへの負担は少なくなる。私は家事ができないから、戦力にはならないかもだけど」

「私たちに近いだけでも安心できるだろう、さくら?」


 東京へ、戻る? 考えてもみなかった。


「玲も、賛成してくれた。あの子の心情的にも、そのほうがラクだと思うの。自分の恋人が弟に奪われたんだし」

「そのことだけは、いくら玲に謝っても足りません。すみません」

「謝ることじゃないの。でも、このまま京都で、ふたりきりのらぶらぶ生活よりも、東京で地盤固めをしたほうが、あなたたちふたりのためにもなる。さくらちゃんは、類の事務所の社長に、ずいぶんと睨まれているそうね」


 ぎくり。知られてしまっているのか。


「私、なだめてみるけど、どこまで力になれるかどうか。類のやろうとしている、出し抜き作戦も、一考の余地はある。もし、ふたりの間に赤ちゃんが生まれたら、学生のふたりには育てられないでしょ? 東京にいれば、なんとでもできる。戻っていらっしゃい。ここでつぶれるような才能じゃない、あなたも類も」


 聡子はさくらの手を握り、熱心に説得しはじめた。視線が真剣すぎて、痛い。思わず、さくらは逃げ場を探して涼一の顔色を窺ったけれど、聡子とほぼ同意見らしく、しきりに頷いている。


 京都を離れたくない。たぶん、類も。

 ……だけど、敵が多すぎる今は、親を味方につけておいたほうが、なにかと有利だということは、さくらにも理解できる。


「私、京都が気に入りました。大学では、したい勉強ができますし、この町には古い建築も新しいものも、たくさんあるんです。友人も増えました。ふたりの提案はうれしいし、心配をかけるってことも分かっています。類くんの通勤は大変ですが、今のままでいたい」

「けれど、無理なこともある。周囲に祝福される、しあわせな結婚をしたいなら、うちへ……実家へ帰ってきなさい。東京に戻ると確約するなら、すぐにでも入籍を許そう。人生、一度だけだよ? 逆風の中で生きるなんて、つらい」


 帰京承諾=即入籍。それは、魅力的な条件だった。さくらの心が動きかけた。

 結婚すれば、類も『赤ちゃん赤ちゃん』とは言わなくなるはずだ。

 さくらと類は未成年、保護者の承諾がなければ結婚できない。涼一も、このカードを切り出すタイミングを、ずっと狙っていたのだろう。


「こんなところで、さくらを説得&取引か。オトーサン、わりと策士だねえ。ぼくよりも、さくらのほうが落としやすいだろうけど、それはないんじゃない?」


 三人が振り向いた先には、点滴をぶらさげている類の姿があった。シルク製の、やや青みがかったパジャマにスリッパ、それに点滴でも、類はとても絵になる。


「起き上がってだいじょうぶなの、類くん?」

「んー。別に、なんともないよ。点滴って、効くね。熱も下がったみたいだし、寝るのも飽きちゃったしさ」

「類、よかった!」

「母さんこそ。京都まで来るなんて、身体を壊さないでよ」

「自分の限界は心得ているわ。代替のいるアイドルモデルのあなたと違って、私は社長だもの。柴崎聡子の代わりは、いない」


「……言うね。こっちからも、言わせてもらうよ。ぼくたちは、京都を離れるつもりはない。お互い、大学があるっていうのが一番だけど、一度決めたことだし、四年間きっちりやり遂げたい。たとえ、家族が増えても、ふたりでがんばる。東京はやたらと騒がしいし、京都は環境がいいんだよ。はい、この話は、もうおしまいね」


 はっきりと、類はさくらの言いたいことを両親に伝えてくれた。さすがだ。そして、同じ気持ちだったことが、なによりもうれしい。


「さくら、夕食が来たんだ。素っ気ない病院食を食べるぼくを見守って。てか、食べさせて」

「うん。じゃあね、父さま、お母さん」


 勢いよく、さくらは立ち上がって類に駆け寄った。


「おい、さくら? 食事を一緒に」


 それでも、涼一はさくらを誘った。


「ごめん、行かない。あとで、お弁当でも買ってきて届けて?」

「かわいい娘のために、京都一流料亭の豪華弁当にしてよ?」


 さくらと類は振り返らなかった。

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