第13話 すごろくでいうところの、一回休み(さすがに)②

 枕もとで騒いだにもかからわず、類の起きる気配はなかった。


 この社長がいるから、類は赤ちゃんをつくろうとしきりに迫ってきたのだろうか。いやしかし、そんな勝手なことをしたら、抹殺されかねない。類の所属している事務所は小さいけれど、芸能界に大きな力を持っていると聞く。


 類のために、社長自らがこうして京都まで来るということは、類が……北澤ルイが相当重要な存在だからに違いない。きっと、類は結婚のことで、何度も社長と衝突したのだろう。大変だったはずだ。さくらは肌を震わせた。


「肺炎と、極度の疲労。毎週、京都と東京を往復ですか。それに、栄養失調気味ですね。いくら若いとはいえ、限度がありますよ。血液検査の値が、同年代男性のものと比較して著しく低い」


 栄養失調、と聞いてさくらは動揺した。


「でも、私の作る食事を、毎日よく食べていました。栄養が足りなかったなんて、そんな。信じられない」

「食べてすぐに、吐いていたのではありませんか」


 吐いた? さくらは耳を疑った。


「東京では、サプリメントばかりを摂っていました。体重が、なかなかベストに戻らないからと、注意しても聞かなくて」

「片倉。あなたは放置していたの、それを」

「すみません、社長」

「……ルイさんの睡眠は、どれぐらいでしたか」

「東京では、三時間も取れればいいほうで、一時間とか、移動中の仮眠のみの日も。京都ではどうでしたか、さくらさん?」


 さくらは、うつむいた。人前では、言いたくない。


「今後の治療方針にも関係があるので、包み隠さずお話ししていただけますか」


 医師に促され、ようやくさくらは口を開く決心をした。


「……あ、あの……いつも、十一時ごろには寝る支度を終えるのですが、類くんがその、ね、寝かせてくれなくて。ふたりとも休むのは、ほとんど明るくなってからで……」

「十一時から、毎晩ずっと?」


 まるで、反論ができない。

 さくらは、類がいない週末にわりと休むことができたが、類はそうではない。むしろ、週末はさらに多忙を極めている。


「とにかく、一週間ほどは入院してください。以降も、無理なダイエットや行動は慎んでくださいね。特に、寝不足はよくありません。明治時代の森鴎外のように、一日三時間でも快適だという人もいますが、それは特殊な例です」


 バカップルの『性活』にあきれつつ、医師は断言した。


「ルイは、うちの看板タレントなんです。一週間も休ませるなんて! ただでさえ、週末しか仕事できないのに」


 社長が喰らいついた。


「入院が一週間。そのあとは自宅静養です」

「今週のスケジュールが全部吹っ飛んで、来週も!」

「仕方ありませんよ、社長。健康第一です。さくらさん、ルイ……類を、よろしくお願いします」

「ルイになにかあったら、あなたを殺してやる。片倉も、今月は大幅に減俸だから覚悟なさい」


 社長は携帯電話を持ちながら、さっさと退室していった。ルイの仕事の調整や、キャンセルをするようだ。


「……申し訳ありません。社長はルイのこととなると、人一倍熱くなってしまって。自分で発掘して育て上げただけあって、ルイを実の子どものようにかわがっているんです」

「はい。分かります。類くんを大切に思う気持ちは、じゅうぶん伝わりました」


 さくらだって、もし社長の立場にいたら、突然現れた恋人とやらは決して認めたくないだろう。


「けど、いやなやつだな、あいつ。暴力的だし!」



 玲と片倉が類を見守るというので、さくらはいったん荷物を取りに自宅へ帰ることにした。入院先は、歩いても十分かからない病院なので、助かった。

 大きなバッグに、類の着替えと、さくらのものも詰め込んだ。類は、しばらく目覚めそうにない。


「起きたら、きっといつも以上にわがままを言うよね」


 たまには、盛大に甘やかせる。幸い、明日は土曜。翌日も看病できる。


 ほんとうは、月曜提出の課題があるけれど、この際仕方がない。

 今は、類だけしか見ない。


***


 荷物を持って病院へ帰ると、類は救急センターから病棟の個室へ転室していた。


「まだ起きて来ないけど、脈や心拍はほぼ正常の範囲内だって。俺、そろそろ家に帰るつもりだ。いいか」

「ありがとう。任せて。類くんが目覚めたら連絡するね」

「マネージャーの片倉さんは、ルイの仕事の穴埋めで大変みたいで。病室へたまに顔を出すけど、ずっとどこかへ電話している」

「そっか」


「お前が落ち込むことはないからな。類が悪い、類が! ありえない仕事量、京都と東京の毎週往復、大学通学、お前との新婚生活」

「新婚じゃないよ、まだ?」

「ほとんど似たようなものだろ。夜が明けるまで毎日子づくりとか、けっこう衝撃的な告白だった。さくらも含めて、万年発情期すぎる!」

「……ほんと、ごめん」


 弁解の余地がない。


「弟と義妹が町家を出て行って、甘い甘いらぶらぶ同棲生活をはじめて、俺は気が狂いそうになったのに、とどめを刺された気分だよ。まったく」

「うう。正直な意見を……ほんと、ごめん」

「その代わり、弟と義妹がしあわせになったからまあ、いいけど。想像しただけで、苦しいけどさ」


 ことば以上に、玲はふたりの仲を気にしているようだった。いくら謝っても、玲の心にはまるで届きそうにない。


「じゃ、俺はここで。あまり気張るなよ」


 さくらはゆっくり頷いた。

 遠ざかる玲の背中を、いつまでも眺めていたい気がしたけれど、さくらは類の病室へと戻った。

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