第12話 すごろくでいうところの、一回休み(さすがに)①
搬送中に『急性肺炎』と診断された類は、病院へ着くなり、点滴を入れられたまま眠り続けた。
けれど、救急車の中でいったん目を開いたので、さくらは類に呼びかけたが、さすがはプロ、東京の片倉に連絡を取ってくれと言い残しただけで、再び意識を失った。
もちろん、さくらはすぐに片倉に電話をかけた。
類が見つかったこと、搬送先の病院名、病状。ただし、震える声で、玲に何度も励まされながら。
けれど、全部の要件を伝えきれず、最後は玲に電話を代わって説明してもらった。
「さくらは、よくやった。あとは、片倉さんを待てばいい」
丸投げされたのに、玲はそう言ってくれた。
さくらひとりだけではおろおろするだけで、なにもできなかったに違いない。
頼れる兄の玲が、類を支える同志の片倉がいてくれて、ほんとうによかった。支えられて生きている、としみじみ思う。
「仕事、途中だったのに。ごめんね、玲」
「なにを言っているんだ。弟のことだろうが。助けるのは当然だ。俺、親にも連絡してくる。よくないニュースだけど、とりあえず、現状の報告はしたほうがいいよな」
「うん。お願い。先に噂で知ったら、心配かけちゃうよね」
「さくらは、類のそばにいてやれ。あとで交代する。今夜はお前、ここに泊まるだろ。類の入院荷物も運んだほうがいいし、お前はいったんマンションへ戻れ。明日は俺、仕事が休めないからさ」
「分かった。そうする」
「人手がほしかったら、祥子をやる。ふだんは面倒なやつだが、こういうときは力強いだろうし。俺たちを、もっと頼れ。家族だろうが」
「ありがとう、助かる。玲がいてくれてよかった」
「……いいかげん、気を持たせるような言い方は、誤解を生むからやめろよ? 使えるものは使えばいいんだ。今日の教訓な」
「あ。ごめんなさい」
さくらは類を見守った。
熱は高いけれど、重篤な容体ではない。片倉の到着後に、詳しい説明を受けることになっている。
類は眠っている。
呼吸を繰り返している胸が、しきりに上下に浅く、動いている。
顔は青白く、生気がない。やつれているようにも見えた。
ここまで無理をさせていたのか。さくらは、自分を呪った。
食が細いのを咎めても、体重管理のひとことで切り返されて反論できなかった。
毎晩、早く寝ようと提案しても、さくらは類の魅力に勝てず、言いなりだった。
「ごめんね、類くん」
さくらは必死に祈った。
早く、目を覚ましてくれますように。
早く、よくなりますように。
いつものように、さくらの名前をやさしく、甘く、しびれるように呼んでくれますように。
でも、望むだけではだめなんだ。
自分がしっかり、類を守らなければならない。
もっと強くなって、もっと勉強して。今のままでは、単なる類のお荷物になってしまう。
***
どれぐらい、さくらはじっとしていたのだろう。
足音を立てながら、予期せぬ人物が突然やってきた。
「お前がルイを誘惑した、さくらって女か。この、泥棒猫が!」
有無を言わせず、さくらは右頬を平手打ちされた。構える暇もなかった。ぶたれた衝動で口の中を切ってしまったらしく、腔内に鉄っぽい血の味が広がった。
平均よりも、背が高い女性だった。年齢は、三十代だろうか。
やや、赤味がかったブラウンの長い髪、よく整った小さな顔、ミニスカートのスーツから伸びている脚は、まっすぐで細い。ワイン色のハイヒールがよく映える。
それと、女性にしてはちょっと低めの声がとてもセクシーだ。
かつては小柄だったさくらも、今では小さいほうではないけれど、女性を見上げるようにして立ち尽くした。
「社長、いきなりなにを」
あとから追いかけてきた片倉が、女性の行動を制した。
「これまでの恨み。私の大切なルイをたぶらかして、もてあそんで。堕落させた挙句、京都にさらって行ったと思ったら、婚約? で、今度は入院騒ぎ」
ああ、この人が北澤ルイの事務所の社長。
てっきり、男の人だとばかり、勝手に思っていた。類をスカウトして育てた人。
「やめてください、社長。さくらさんも、つらいと思います」
さくらに向かって、もう一度手を挙げようとした女性の腕を、片倉はつかんで制止させた。
廊下の奥から、玲も駆け寄ってきた。
ちょうど、飲み物を買いに行っていたのだが、タイミングが悪かった。玲は、さくらの身体を抱き留めるようにして守った。
「やめてください、それにここは病室ですよ?」
玲のことばも耳に入らないようで、社長は青筋を立てて怒っている。ことばづかいも荒っぽい。
「つらい? どこが。日本一の人気モデルで、遊んでいるといういるのに? 私が育てた北澤ルイを、横から奪って。ルイの姉なんだろ? ルイのしあわせを考えるなら、今すぐ別れるべき。ルイは、多くの人に必要とされている。庶民が、独占していい人間ではない」
「すみません、さくらさん。ルイのことで今、社長は頭がいっぱいで」
「このさいだから、言うけどね。婚約、ましてや結婚なんて、絶対に認めない。京都行きだって、許したくなかったのに。ルイを返して! 女ひとりに一途にならないよう、仕立てたつもりだったのにこんなことになって、全部あんたのせいなんだから!」
「さくらばかりを責めないでください。体調管理のなっていなかった類も、今回は悪いと思います。あなたも、類の仕事スケジュールを、厳しく組んだのではありませんか。ただの責任転嫁ですよ」
さくらをかばうようにして、玲は反論した。
「……あなたは?」
「申し遅れました。類の兄、柴崎玲です。いつも類がお世話になっています」
「ああ、年子の兄か。三角関係で、そりの合わない兄。類に、この女を寝取られたんだったね」
「ええ、NTR(寝取られ)の兄です。弟を大切にしてくださるのはありがたいですが、金づるにするのはやめてください」
「私は、ルイの将来のことを考えて発言している。ただのタレントモデルで終わる子じゃない。世界で活躍できる才能がある」
「類自身は、もっとほかの将来を思い描いているようですが」
玲と社長が睨み合いを続けていると、病状について医師の説明があると呼ばれたので、四人は別室に通された。
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