第11話 西陣の町家へ、そして事件が②
まったく気がつかなかった。
類はいつもと同じように、大学生をして、さくらの恋人を務め、仕事に向かったとばかり思っていた。
さくらは、自分のことばかりに、かまけていた。類に寄り添っていなかった。
『ずっと熱がありましたし、食事も細くて。ですが、気力で乗り切った感じでした。京都で、さくらさんに癒されたと思っていましたが……さくらさん?』
重なる肌をやけに熱く感じたのに、気がつかなかった。発熱していたせいなのに。
「は、はい。聞こえています」
『心あたりを捜していただけますか? こちらも、手を尽くしますので』
「はい」
目の前が暗くなるような気持ちで、さくらは電話を切った。
「どうした、類になにかあったのか」
玲が心配そうに、さくらの顔を覗き込んだ。
「類くんが……類くんが、行方不明なの。東京の仕事場に、まだ着いていないって」
「なんだって?」
「午後二時ごろに京都を出たはずだから、東京には、もう到着していないとおかしいんだ。途中で、なにかあったのかも。でも、そうしたら連絡ぐらいくれてもいいのに」
「電話もできない状態ってか」
「とにかく私、すぐに京都駅まで行ってみる」
「マンションから駅までは?」
「タクシーに乗った。だから、京都駅は確実に通過しているはず」
「誘拐でもされていない限り、な」
「誘拐? 類くんは大きいよ。連れていたら、すごく目立つし」
「お前との同棲や婚約を解消しろとかいう、脅迫行為かもしれないだろ。俺も行く」
さくらも、類に電話をしてみた。けれど、電源が切られているらしく、つながらない。不安が広がる。
今出川通に出ると、玲はタクシーをつかまえた。急いでいますと伝えると、運転手さんは赤信号を避け、裏道を利用してくれて、二十分ほどで京都駅前のタクシー降り場に到着できた。
走って、ふたりは京都駅を目指す。身体も顔も汗まみれだが、それどころではない。
「すみません!」
さくらは、京都駅中央口改札の駅員さんに詰め寄った。
「柴崎……じゃない、北澤ルイくんを見ませんでしたか? モデルの、北澤ルイくん! 三時間ほど前に、新幹線に乗る予定だったんです。たぶん、この改札口を通過していると思うんですが!」
噛みつくようなさくらの剣幕に、駅員さんは面食らった。
「き、北澤ルイ?」
「はい! 身長は一八三センチ。ルイくんは、顔がとても小さくて、脚が長くて、身体は細いけど引き締まっていて、すごくかっこいいんです。雑誌常連の超有名モデルです。テレビやコマーシャルにも、よく出ています。今日は、黒っぽい服を着ていました。あ、帽子もかぶっていました。私、ルイくんの婚や……、姉です。こっちは兄で。今、彼と連絡が取れなくてそれで……あ、ほら! あのポスターの男の子です!」
さくらは駅張りのポスターを指差した。涼一が勤めている、北野リゾートの広告だ。
「ちょっと待って。落ち着けって、さくら」
暴走するさくらを、玲が後ろから羽交い絞めにした。
「落ち着けない! 類くんを見つけるまで、私絶対落ち着かない! 冷静になんて、なれないよ! 類くん、るいくん……っ」
大騒ぎするさくらの周りに、駅員さんが数人、なんだなんだと集まってきた。
そのうちのひとりが、こっそりと教えてくれた。
「あまり大きな声では言えないが、見たよ。北澤ルイ。この中央口を通過して、新幹線ホームのほうへ歩いて行った。オーラがあってとても目立っていたから、たぶん間違いないと思うよ」
さくらと玲は、駅員さんにお礼を述べ、新幹線の改札へと向かった。
東京方面のホームは、中央口からもっとも遠い、11番線と12番線。
京都駅名物・0番線にある階段を一気に駆けのぼり、人波を掻き分け、さらに南側へ。さくらが新幹線に乗るたびにいつも立ち寄っている、ワッフル屋さんも今日は無視。
「ホームだ! 捜そう」
「ああ。でも、ばかにホームが長いな。手分けしよう。さくらは前方。俺は、後ろを。待合室や売店も忘れるな。見終えたら、ここで合流。発見次第、電話を」
「了解!」
ここにいてくれなかったら、どこを捜せばいいか分からない。
お願い、見つかって!
新幹線のダイヤは一分の乱れもなく、順調に動いている。事故なども起きていない。
さくらはホームにいる人の顔を、ひとりずつ確かめた。ホーム上にある売店・コンビニもすべて覗いた。
しかし、いない。
半泣きで、さくらは玲と合流したが、玲も浮かない顔をしている。ホームの後ろ側にも、類はいなかったようだ。
「どうしよう、いない。類くんいない。ほんとにいない。体調、悪いんだって。私、全然気がつかなかった」
「博多方面の、下りホームも見てみよう。あとは、改札階のおみやげ屋。それに、トイレも全部。それは俺が」
「うん」
「だいじょうぶ、類は強い。東京に着いたあと、ふらっと出かけただけかもしれないだろ。あいつ、気まぐれだし」
「私、脅されていたの。類くんと別れろって。類くんにも、なにかあったのかも」
まさか、脅されて途中下車、とか?
「あいつが、脅しに屈するような性格か。あいつを信じて、しっかり」
強めに肩をたたかれ励まされ、さくらはこぼれる涙を袖でこするように拭った。
片倉からの続報で、『改札は通ったが、新幹線には乗っていないようだ』との情報が入った。なおさら、京都にいる可能性が高まった。片倉もこれから京都へ向かうという。
改札内の喫茶店、レストランもすべて捜したけれど、やはり類はいなかった。
「……参ったな」
さくらと玲は、おみやげ店の前で立ち尽くした。通り過ぎる旅行者たちは、みんな明るい顔だというのに。
「神隠し? 類くん、神がかり的にかっこいいから……京都の神さまに魅入られちゃったのかも」
「笑えない冗談はよせよ。類が、お前を置いて知らない場所へ行くわけない……駅には来ている。新幹線には乗っていない。まさか、在来線? 行ってみるか」
ここで、なにもしないよりはましだ。
京都駅全部を調べるとなると、相当な労力と時間がかかるけれど、さくらは頷いた。駅員さんにももう一度事情を伝え、協力してもらえないだろうか。
けれど、目に入った場所があった。
「あっ、待合室? あの場所、まだ見てなかった!」
売店が並んでいるいちばん奥の目立たないスペースに、待合室があった。
歩いている人をよけながら、歯を食いしばってさくらは走った。
自動ドアの、開くのがとても遅く、もどかしい。
早く、早く!
中の様子を睨む。
椅子が、壁際と、中央に三列ほど並んでいる。
ほとんどの椅子が使用されており、立って涼んでいる人もいる。大きな荷物や、おみやげが入っているのだろう京都老舗やデパートの紙袋を下げていることから、帰る人が多いのだろう。
新幹線の到着・出発アナウンスが、ひっきりなしに流れている。
大きな荷物をかかえた旅行者に紛れるようにして、隅っこの椅子に類が座っていた。
帽子を目深にかぶり、メガネをかけてマスクも装着し、壁にだらりと身をもたれていた。これでは、居眠りをしている一般人と変わらない。誰にも見つからなかったはずだ。
「類くん!」
さくらは類の肩をゆすった。返事がない。膝の上にかかえていた荷物が、どさりと床に落ちた。
もう一度、強く呼びかける。
「さくらだよ、類くん。類くん」
「待て。こいつ、顔真っ白」
玲は、類のマスクを外し、頬に手の甲を当てた。
「すごい熱だ。駅員さん、呼んでくる」
玲が走ってゆく。
さくらは、類の額にそっと触れた。とても熱い。なのに、手を握ると指先は冷たい。いつもみたいに、やさしく『さくら』と、呼んでくれる唇が動いてくれない。
「類くん、ごめんなさい。こんなになるまで、気がつかないなんて」
一緒に住んで、いちばん近い存在だと思っていたのに。
さくらは、類を見ていなかった。
自分ばかり傷ついて苦しい、と思い込んでいた。恥ずかしい。
類は救急車で、病院に搬送された。
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