第4話 板挟み②

 類の帰宅である。


 北澤ルイのファンらしき女子たちは、さすがにマンションの中へは入って来なかったが、自動ドアに張りついて北澤ルイの姿を追っている。


「さくら、こんなところでどうしたの」

「るいくん……」


 よかった、類に逢えた。さくらの涙がすうっと引っ込んだ。


 大学帰りの類は、白い長袖シャツに細めのジーンズ。足もとはスニーカーと、いたってラフな姿。さわやかイメージは剥がれてしまっても、外見はすっきりした好男子。


「マンションに、柴崎はん目当ての人が連日たむろしとる件で、少々お話をお伺いしとりました」


 管理人が穏やかに言った。


「ああ、あの子たちやマスコミのこと? それなら、ぼくに聞いてよね。さくらも被害者なんだからさ」

「私、片倉さんに連絡したの。対応してくださるって」

「片倉さんに? それなら、すぐに改善されるよ。あの人、京都に強いコネがあるから。ぼくも今、注意したんだけど。こんなふうに、人の家にまで押しかけるのは、マナー違反だって」


 しかし女子たちは自動ドアの向こう側で、エントランスの奥にいる北澤ルイを物欲しそうな目で、まだじっと見つめている。

 類は、ファンの子にさくらの姿が隠れるよう、立ち位置の角度を変えてさくらを守った。


「ぼくのせいで、気分を害してしまって、ほんとうに申し訳ありません、みなさん」


 涙声で、類は真摯に謝罪した。超有名美男子モデルの突然の真摯な謝罪に、おばさま方は態度を豹変させた。


「ま、まあ、みんな被害者やったんや」

「そやね」

「騒ぎがおさまるなら、それでええわ」


 類はにやりと笑った。これは、得意な演技だ。


「ほんとうですか。うれしい! 寛大だなあ」


 間もなく、類の言ったように、警察や自治会の人たちが来て、女子たちをすみやかに退去させた。事情を理解した警官がマンションに入ってきて、類からも改めて手短に話を聞き、巡回を強化することを約束してくれた。


「なんや。ためらってないで、通報すればええんやね」

「そやけど、警察沙汰なんか、マンションの価値が下がるで」

「いやいや、柴崎はんのような有名モデルはんが住んではるマンションや。価値が上がるやろ。な、ここの部屋、買うて住みはったらどうえ?」


「とても気に入っていますが、大学を出たら東京へ帰りますので、京都のマンションを買うつもりはないんですよ、残念ですが」

「つれへんなあ、がっかりやで」

「あと四年、楽しく過ごしたいと思いますので、よろしくお願いします」


「な、親睦会せえへんか。マンションの住人で! 柴崎はんも出ておくれやす」

「時間が合えば、ぜひ。ああでも、賃貸風情の若者が分譲のみなさんに混じったら、気分を害するかももしれません」

「そないなことはあらへんわ。なあ」


 おばさま方は頷いている。類の魅力に、たちまち屈したようだ。

 笑顔と甘い声、最強の勝利。


「では、勉強がありますので。行こうか、さくら」


 促されたさくらは、小走りで類のあとを追った。


「さすがだね、類くん。おばさまのあしらい方」

「当然。あれぐらいできなきゃ、芸能界では生きてゆけないよ。まったく、香水くさいおばさんどもだったな。たっぷりと、高いのつければいいってもんじゃないのに。ぼくのさくらを、寄ってたかっていじめるなんて。誰が、親睦するかっての!」


 類は頬を膨らませて怒った。玄関のドアを長い脚で蹴った。


「ところで、片倉さんには、さくらが直接連絡したわけ?」

「うん、電話で。仕事早いね、ほんとに」

「警察関係にも知り合いがいるからね。あとは、なにか話したのかい」

 

 適当にごまかしても、分かってしまう。さくらは正直に答える。


「ええと、類くんの仕事、どうなっているのかなって」

「あっそう。ぼくが順調だって言っているのに、信じないんだ」


「だって、気になって。それより、くれぐれも赤ちゃんができないようにって、念を押されたよ? ちゃんと気をつけよう。私も、母親になるなんて、自信がない」

「最初から、自信たっぷりの母親なんていないよ。だいじょうぶ、そのうち母親らしくなってゆくって。うちの母さんも、そうだったはず。ぼくも助けるし、一緒にがんばろう。入籍はおあずけくらったし、引き離されないためにも今すぐ赤ちゃん!」


「違うの。困るんだよ、周りが。望まれていない子なんて、かわいそう。私は、どんなことがあっても、類くんのそばにいるから、絶対」

「はー。片倉さんに説得されたわけか。ぼく、玲、ハシモときて、あーあ、今度は片倉さんか。さくらもやるよね。まじめないい子ちゃんのふりして、どんだけ男をたぶらかすつもり?」

「誤解だよ、類くん」


 でも、類には通じない。



「悪い子にはおしおきが必要だね。ベッドへ行くよ」


 逃げられないように両腕をつかみ、類はさくらを要求した。こうなると、いやがっても逃がしてはくれない。


「お願い、類くん」

「いやだね。さくらのためにも言ってあげているのに。今、引き離されたらどうするの。ぼくたちの仲を守ってくれるのは、子どもだけなんだ」


「だめなの、違うの。実は今日、生理が……はじまって。無理なの。ごめんね」


 類は、あからさまに顔をゆがめた。


「まじで? 嘘、ついてない? 失敗かあ。今月はずいぶんと早かったね。十九のくせに、不安定なんて。さくらは幼い」

「ごめんね、類くん。でも私」

「もういいよ」


 しらけたらしい類は、さくらから身を引いた。あきらかに、がっかりしている。


「少し、外を歩いてくる。ごはんまでには戻るよ」


 さくらは床の上に崩れ落ちた。

 一緒にいたい。気持ちは同じ。

 

 けれど、類は焦っていた。

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