第2話 二年目の京都生活②
一方、さくらの大学も新学年がはじまった。
二年生ともなると、講義が専門的になるし、提出物も精緻ではないと単位があやうい。たぶん。
「北澤サン」
これが、大学での、さくらの新しいニックネームだった。
追加ちゃん、お姉さん、ときて、次は北澤サン。類の芸名『北澤ルイ』に、ちなんだものらしい。しかも、今まででいちばん反響が大きい。
さくらは、キャンパス内の有名人になってしまった。入学して日が浅い下級生にさえ、知れ渡っている。
『あれあれ、北澤ルイの婚約者なんやてー』
『ふうん。結婚宣言した相手か』
『ここの学生ゆうことは、頭のほうはそこそこええし、顔も悪うないけど、あの北澤ルイには似合わへんやろ』
無遠慮な批判には、いいかげんもう馴れてきた。にっこりと笑い返してしまえば、外野の声は遮断されて聞こえなくなる。なにを言われようと、類とらぶらぶできるのは自分だけなのだ。
大学の講義を終えて買い物をしてマンションに帰ると、くつろいだ姿の類がいる。
とはいっても、ジャージなどではない。ブランドの高級部屋着、シルク100%。
「おかえり、さくら」
相変わらずの天使のほほ笑みを見せた類は、読みかけの本をテーブルの上に置いた。
「ただいま。今日の夜は、豆腐ハンバーグだよ。それとたっぷり温野菜」
類はサラダなどの生野菜を嫌う。身体が冷えるからだ。それに、京都生活で太ったぶんの体重が、なかなかもとに戻らないという。さくらだけの責任ではないけれど、協力したい。放っておくと、断食などの危険なダイエットをはじめるおそれがある。
「うれしいな。楽しみ」
「待っていてね」
おかえりを言ってくれる家は、とても安らぐ。
「でも、ちょっと休んで。コーヒー、淹れてあげる。豆も挽いて用意してあるんだ、座って」
「ありがとう」
さっそく、類はキッチンに移動した。
こんなふうに、類と穏やかに過ごせる日が来るなんて想像もしなかった。
突然、類がテレビの生放送で、婚約結婚を言い出した直後は大騒動になった。事務所の反対はもちろん、スポンサーの降板が相次ぎ、類は芸能生活の危機だった。さくらも、命の心配をした。
婚約者、つまりさくらの名前は公表されていないとはいえ、少し調べればネット上には噂がぽろぽろと出てくる。類のお相手は、例のウエディングモデルをつとめた京都の大学生で、義理の姉だろう、と。
マスコミの張り込みに加え、逆上したファンがなにをするか分からない中、さくらも類も、しばらく自宅には帰れないほどだった。
味方になってくれたのは、家族だった。
涼一は会社に類の起用を続けるよう働きかけたし、さくらを励まし続けた。
ふたりが結ばれたのは、ウエディングモデルを務めたからだ。
聡子は多忙の中、事務所に何度も赴いて、説得に尽力した。
玲も何度も電話をくれたし、さくらの潜伏先ホテルまで会いに来てくれた。
結果、結婚はふたりが大学を卒業したとき、ということになった。
しかし、類の京都生活には信頼できる者のサポートが必要なので、同居は認められたが、さくらはくれぐれも妊娠しないようにとのお達しを受けた。大学生どうしである。当然だ。
結果からいうと、類の仕事は、増えた。
類の復帰は待たれていた。
婚約したことにより、影響は出るだろう。濃い恋愛とは遠い、さわやかイメージで売り出してきたのに、結婚宣言はマイナスにしかならない。世間の評価を覆すために、類はいっそう仕事に打ち込んだ。
週末の東京では過密スケジュールを淡々とこなし、京都では大学に毎日通い、家では甘くてやさしい極上の恋人でいてくれる。
「はい、どうぞ」
コーヒーカップを手にふたつ、類がリビングに戻ってきた。
「ありがとう。いただきます」
類は向かい側のソファに座るのかと思ったが、さくらのすぐ隣にぴったりと腰を下ろしたので、さくらは身体をずらしてつめた。
「ちょっと。ふたりきりなのに、なんで逃げるの。そういうところ、婚約しても全然変わっていないんだから」
「逃げてはいません。座りやすいようにつめただけ」
「いいじゃん、密着すれば。さあ、ぼくの膝の上に、お・い・で」
「恥ずかしい。それに、せっかくのコーヒーが飲めなくなる」
「まったく、生真面目なんだから。ぼくたちは深い関係なんだ。家の中では二十四時間全裸でもいいぐらい、くだけた感じで行こうよ。だからほらほら、もっと甘えて、いちゃいちゃしようよー」
「じゅうぶん甘えています。カリスマモデルさまと豪華マンションで同居して、カリスマモデルさまにコーヒーを淹れてもらったり」
「そんなことで満足しちゃうの。さくらは、欲がないなあ」
「これ以上を望むなんて、バチが当たるよ」
「ぼくは、もっと先を望んでいるけど。早く家族が増えて欲しいなって」
「類くん、それは」
親や事務所と違い、類は子どもを熱望している。
「ぼくとさくらに、決定的なものが欲しいんだ。離れたくない。離れないように。ぼく、お世話するよ。がんばる」
甘い声でささやきながら、類はさくらにキスをした。
「でも、私はまだ十九。類くんは十八」
「歳は関係ない。さくらを、誰にも取られたくないんだ。特に、玲には」
いまだに、類は玲の存在を気にしている。気持ちは分かる。
半年ほどとはいえ、さくらと玲は思いを通じ合っていたのだから。
「玲は、私たちのお兄さんだよ」
「いや、あいつはさくらのことを狙っている。いいかい、ぼくのいないときに、ひとりで西陣の町家へ行ってはだめだからね。誘われたって断るんだ」
「類くんの理屈は、ただのわがままだよ。私には、絶対に類くんだけ。だから、安心して」
「でもだめ。さくらは、ぼくのもの」
夕方の陽が残る明るいリビングで、さくらはそっと目を閉じて類に任せた。
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