第0話 プロローグ3
南校舎一階の家庭科室。校舎の出口から近いこの教室でアオとムラサキは息を潜めていた。
扉の鍵を閉め、ガラスを破って来られないよう棚やらいろいろなものを壁にし各自で一本ナイフを手に持っている。
「アオ、さっきの化け物、何?」
ムラサキは震える声でアオに尋ねる。
だが、アオにも分かるわけがない。だから、首を横に振るう。
一体二人がなぜこんなにも怯えて、鬼も全くと言っていいほどいない南校舎の出口近くの教室にこもっているのか。
‥‥‥出口には、化け物がいたのだ。
鬼も十分に化け物なのだが、形は人だ。だが、アオたちが見たのは正真正銘の化け物だった。
顔はかろうじて人間の原型をとどめてはいるものの、それ以外に人間と呼べるような特徴は何もなく、体は肌色の肉を溶かしたようなドロドロとした何かで形成され、ゴミが溜まりに溜まった海のようなひどい悪臭を放つ鬼が出口に居座っていたのだ。
(ここから逃げるにはあの鬼をどうにかしないといけないのか)
どうしたらムラサキだけでも逃がせれるか考える。が、思いつかない。
「グスッ、グスッ」
隣で鼻をすする音が聞こえる。
隣に視線を向けるとムラサキが泣いていた。「あいつらの馬鹿野郎ぅ」といつものような人を刺すような声ではない、心から悲しむ声で。
アオもつられて涙が出そうになるのをこらえる。今ここで涙を流してしまったらムラサキを不安にさせてしまうと思ったからだ。
何か話題を振ろうとアオは思った。
だが、こんな緊張と恐怖が支配する状況でろくな話題が見つかるはずもなく、結局口を開くこともできない。こんな時、口が達者でいつもふざけてはいたけどしっかりするときはしっかりしていたカガキンなら何か話題を見つけていただろう。
「ヒヒヒヒ!」
「ドンッ!」
突然気味の悪い笑い声とどこかの扉を叩く音が聞こえる。
音が伝わる距離からしてそう遠くない教室の扉を叩いた音だろう。
「アオ、‥‥‥」
ムラサキはガタガタと体を恐怖で震わせアオの服の裾を掴む。
「ドンッ!」
また扉を叩く音が聞こえる。しかも、今度はさらに大きな音だ。おそらく、近くの教室の扉を叩いた音だろう。
ムラサキの服の裾を掴む手にさらに力が込められる。
(今度は俺が何処かへ行ってしまうんじゃないかと不安なんだろうな)
「グッ」
突然、アオは体に激痛を感じた。
まるで金属バッドで体のあちこちを何度も何度も殴られ、体の内側から炎で燃やされていくような痛み。
(これが、鬼になる前に感じる痛みなのか?!)
痛みでよろける体を無理やり正して立つ。
こんな痛みをセキやリョク、カガキンは平気な顔を取り繕って耐えていたのかと思うと改めてあいつらの精神の強さを実感する。
アオはムラサキの手を解かないとなと思った。
多分、すごく不安にさせてしまうだろう。泣かせてしまうだろう。絶望させてしまうだろう。そうさせるのが鬼に襲われるよりも怖かった。
物心つく前から何度も味わったことを、ムラサキに対してしてしまうということが酷く辛かった。
それでも、アオはムラサキの手をそっと解く。
「ごめん、俺もOgaに感染したみたい」
「え、‥‥‥嘘、だよね?」
予感していた通り、ムラサキは瞳に涙を浮かべて絶望したような顔になる。
ああ、ごめんな。
「嘘じゃない。だから、俺が囮になって外にいる鬼も出口にいる鬼も惹きつける。だから、ムラサキはその間に逃げてくれ」
「嫌だ! アオが囮になるんだったら私も行く!」
ムラサキは駄々をこねる子供のように言う。その姿には、いつも毒舌な彼女の姿は見られない。
「ムラサキは生きてくれ。もう感染した俺の仕事はセキ、リョク、カガキンたちがしたように感染していない人、ムラサキを逃がすことだ」
「嫌だ! お前まで死んだら私は一人になっちゃうじゃないか! そうなるぐらいだったらいっそ私も死んでやる!」
「‥‥‥そうか、そうだな。でも、中学二年生の時死のうとした俺を止めたのムラサキたちなんだよ。まぁ、そのおかげで俺は今こうして人生に満足していられるんだけど。
だからさ、ムラサキも死ぬなんて言うなよ。生きていれば、また仲間ができるさ。だから、生きることを諦めないで、生きてくれ」
「‥‥‥っ、」
この話を出すのは少し意地悪な気もしたが、仕方がない。こうでも言わないとムラサキは間違いなくついて行くと言い出してしまう。せっかく囮になって逃げる時間を稼いでくれたのに全員死んでしまいましたなんて、死んで行ったセキたちに申し訳ない。
アオは泣きながら床にへたり込んでいるムラサキに笑いかけ、扉を開ける。そして、
「おい! 俺はこっちだ!」
家庭科室のすぐ隣の教室の扉を今にも叩かんとしていた男子生徒の制服に身を包む鬼に大声で自分の位置を知らす。
当然、恐ろしかった。死ぬのは嫌だし、鬼は恐い。それでも、また大事な人を失うよりかはマシだった。
アオは走る。まずは出口に向かって、あの異形の鬼がいる場所に向かって。
「お前も俺を食ってみろよ!」
異形の鬼が見えた直後に、鬼に向かって挑発する。
知能があるように見えない鬼に挑発が通用するかは不明だったが、鬼はしっかりと後をついてくる。
挑発を真に受けたと言うよりかは、獲物を見つけたサメのような感じで襲ってくるがまぁ結果オーライだ。
「さぁついてこい!」
アオはそのまま二階へ上がる階段を駆け上がる。
鬼二体もアオの後ろから階段を駆け上がる。
そこで、アオは逃げるのに階段を使ったのが間違いだったと後悔する。
今まで見た通り、鬼の身体能力は人間よりも優れていて、怪力だ。そんな鬼は階段の壁を足場にして上に登ってこられるようで、鬼とアオの間は一瞬で詰められてしまう。
(いくら化け物でもありかよ)
鬼にもう少しで追いつかれると言う距離まで差が縮まってしまったのにもかかわらず、突然Ogaによって引き起こされた痛みがさらに強まり、息を吸うだけで肺が燃えるように痛い。
「しまった」
アオは突然強くなった体の痛みでバランスを崩し階段を踏み外し、下に居る鬼に向かって落下する。
このままではまずいと、ベルトとズボンの隙間にさしていたナイフを抜き、両手で持って一番最初に引き付けた鬼に向けて刃先を向ける。最後にカガキンたちを殺した鬼を一体でも道連れにする覚悟で。
「ギャァァァ!!」
グサリという音と、硬いものを刺した感覚が手に伝わった直後、鬼は悲鳴をあげる。
アオはナイフから手を離し、つぶっていた目を開けて鬼を見ると、角の真上にナイフが刺さっていた。
(頭にナイフが刺さってるのに、暴れる気力があるのかよ)
遠のいて行く意識の中、アオはナイフが頭に刺さっても暴れ狂う鬼を見て驚きを通り越して呆れ、苦笑いをする。
多分、俺は鬼になる前に目の前の鬼に殺されるんだろうなと思いながらそっと遠のいて行く意識の流れに身を任そうと、‥‥‥した時だった。
「くたばれ!」
視界に紫髪の小柄な少女が映った。
今頃出口から校舎を出て、校門を抜け、外に出ているはずの少女が今目の前にいる。
「なんで来たんだ」と言いたかった。でも、体に走り続ける痛みのせいで声が出ない。
「ギャァァァァアァァァ!」
鬼は突然、鼓膜が破れそうな大きさの声で叫ぶ。
よく見ると、鬼の胸にはムラサキが刺したと思われるナイフが刺さっていて、鬼は苦しそうに胸に刺さったナイフを取ろうとしていた。
「もうお前らみたいな化け物に私の大切な人たちを奪われてたまるか!」
ムラサキは毒舌て強がってはいるが、人一倍寂しがり屋でビビリだ。そんな彼女が今、震えを抑え込み、その小さな体で恐怖の根源である鬼と戦っている。
こんなところで寝ている場合じゃない。
アオは唇から血が出るほど強く噛み、意識を無理やり現実に呼び寄せる。
体に走る痛みをこらえて、気合いで体を動かす。
口を開けて、大きく息を吸い込み、肺が焼けているような痛みを伴いながらも筋肉に酸素を送り込む。
「俺はまだ生きてるぞ!」
こうした動作を一つ一つ意識しながら行い、アオは叫ぶ。
それを聞いた鬼はアオの方に目線をやる。その瞬間、「ザクリ」と音を立てて鬼に新しい銀色の刃、ナイフが刺さる。
「ギャァァァ!」
鬼は叫び、腕を大きく振るう。だが、幸いにもムラサキには腕は当たらなかった。ムラサキはいつも身長が低いことを気にしていたが、今は心から身長が低くて良かったと思っているだろう。
「もう一本行くぞ!」
今度はアオがベルトとズボンの隙間から抜き取ったもう一本のナイフで首を刺す。
骨だろうか、何か硬いものにナイフの先端は防がれるが鬼になりかけているからかいつもよりも力が増し、力ずくでナイフを押し込み鬼の喉を貫く。
「ガッ」
いくら鬼でもさすがに限界が来たのだろう。
鬼は機能の停止した機械のように動きを止め床に倒れる。
「はっ、やったぞ。鬼を殺してやった! ムラサキ!‥‥‥ムラ、サキ?」
‥‥‥息を飲む。
体の全機能が一瞬停止し、動き出して目の前の光景を理解し始める。
この時までアオは忘れていた。
今自分たちが殺した鬼とは別に、もう一体鬼を引き連れて逃げていたことを。
アオは同時に後悔した。
なぜ、自分はこんなにも重要なことを忘れていたのかと。
「嘘、だよな?」
そっと喋り掛ける。
口端から赤い血を垂らし、生気のない瞳をしてそれでも安心させるかのように微笑むムラサキ髮の少女。
「アオ、鬼になってもいい。だから、生きて」
そう言って、胸を肉を溶かしたようなドロドロの腕に貫かれた少女は生き絶えた。
「なんでだよ。なんでなんだよ! また、また俺だけ生き残るのか!」
頭の中、いや、体全体で何かがブツンと切れる音をアオは聞き取る。
今のアオには鬼に対する憎悪だけしか残っていなかった。
「殺す! 殺してやる!」
それからは、まるで何者かに自分の体が乗っ取られていたかのように記憶がない。
気がつけば、全身から痛みが嘘のように消え、ムラサキの体を両腕で抱きかかえて校舎の外にいた。いつ手にしたのかわからない刀を腰に携えて。
「‥‥‥ムラサキ、なんでお前、逃げなかったんだよ」
自分の胸に抱えている死という深い眠りについてしまった少女の顔を見てムラサキは泣きながら呟くのだった。
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