第0話 プロローグ2

 三階から二階へと降りて、技術室にアオたちは入った。

 一階へ降りなかった理由はすでに一階には逃げ道を防ぐかのように鬼と化した生徒たちが巡回しており、それでも外に出ようとした生徒の死体で埋め尽くされていたからだ。


「リョク、なんだよあの化け物は! それに、あの動画は本物なのか?!」


 ムラサキはリョクに尋ねる。


「わからない。でも、あの動画の内容から察するに鬼と呼ばれる化け物だろう。そして、一つ言えることはどんな条件で感染するのかわからない以上俺たちもいつ感染するかわからないと言うことだ」


 リョクは答える。だが、その答えはここにいる誰もがすでに考えていることと同じだった。


「パリッ」


 突然、何か罅が入るような音が聞こえる。


(‥‥‥まさか!)


 ハッとして、気づいた時には、遅かった。

 部屋の中にいるアオたちを喰らおうと二十体近くの鬼が満員電車に乗った時のように窓に張り付き、押し合い、耐えられなくなった窓にピシリと罅が入ったのだ。


「準備室の方に逃げて!」


 五人の中で唯一外の異変に気付いていたセキが隣の教室、準備室へと通じる扉を開ける。

 ムラサキ、リョク、キンカガ、アオの順で隣の部屋に入り扉はピシャッと音を立てて締まり、コトンと何やら木の棒でも置いたような音が聞こえた。

 

 ‥‥‥まさかと思った。目の前にはちゃんとカガキンたちがいる。でも、一人だけ、一人だけいない。


「セキ、‥‥‥まさかとは思うが、そっちの部屋にいないよな?」


 扉の向こう側に尋ねる。

 なんで、と思った。

 嘘であってくれと祈った。

 それでも神は現実を突き詰めてくる。


「ごめんね、みんな。私、そっち側には行けないや」


 扉一枚を隔てた向こう側から聞き慣れた声が聞こえる。セキの声だ。

 扉を開けようと力を入れる。だが、何かがつっかえているのか横開きの扉は開かない。


「まだそっちにセキちゃんがいるの?!」

「なんでお前こっちの部屋に来てないんだよ!」

「何をやっているんだセキ! 早くこっちの部屋に入ってこい!」


 セキがいないことにカガキンたちも気づいたんだろう。アオ以外の他三人も扉の向こう側に向けて大声で叫ぶ。

 

 ‥‥‥少しして、セキの鼻をすする音が聞こえた。


「ごめん。ごめんね。多分、私Ogaに感染してるの。なんとか扉は開けれたけど今はもう痛みで立つこともできないや。だからね、皆んなは逃げて」


 セキは涙声でそう言った。

 それがたまらなく許せなくてアオは「そんなことできない」と言おうとする。

 だが、それよりも早く、


「皆んなは逃げてだぁ? ふざけるな!」


 ムラサキが激怒し、扉を力一杯殴りつける。

 拳からは壁をつたい綺麗な空き地が流れた。


「セキ! お前がいなくなったら誰がこの馬鹿男子たちの勉強の面倒見るんだよ! 私一人でさばききれるわけないだろ! それに、お前がいなくなったら私は、私は‥‥‥この気持ちを誰にぶつければいいんだよぉ!」


 ムラサキは壁に両手をつけて下を向き、泣いていた。


「‥‥‥もうムラサキちゃんの髪も肌も堪能できなくなるのかぁ、残念だなぁ」

「今は、そんな話をしてる場合じゃないだろ!」

「ふふ、やっぱり、ムラサキちゃんは可愛いね。‥‥‥カガキン! アオ! リョク! ムラサキちゃんのこと、頼んだよ! 死なせたりでもしたら、鬼になって喰い殺してやるから!」


 セキがいつものふわふわしている喋り方とは違う、真面目さのこもった声で言う。

 そんなセキの声を聞いたのは初めてだった。

 嫌がり暴れるムラサキの体を抱え、リョクが開けた扉から部屋の外に四人で出る。それと同時に隣の部屋から窓ガラスの割れた音が聞こえる。


(ああ、また、大切な人を失ってしまう)


 ムラサキを抱え走りながらそんなことを考える。

 唇を噛む。それでも、瞳からは塩っ辛い水滴が頬を伝い地面に落ちる。

 もうセキに会えないと言う現実が悲しかった。

 何もできな自分が悔しかった。

 そう思うことはできても、自分には何もできない。


(‥‥‥それでも、セキが命を張って囮になったんだ。せめて、せめてセキの願いであるムラサキだけでもこの学校から脱出させよう)


 悲しみに浸っている暇はない。今は、一歩でも早く足を前に出すことを意識するんだ、と自分に言い聞かせてアオは長い長い廊下を走った。心というツボからあふれ出ようとする感情という水を無理やり蓋で止めるかのように。


「そう、それでいいんだよ。‥‥‥ああ、最後にもっと、皆んなの顔を見ていたかったなぁ。こんな、超絶人見知りで、自分で言うのもなんだけどこんな面倒くさいやつと友達になってくれて、ありがとね」


 すでに鬼で溢れかえっている技術室にいるセキは遠のいていく意識の中で確かにそう口にする。「今までありがとう」と感謝の念を精一杯込めて。


 <><><><><>


 北校舎の出入り口には鬼が大量にいたが、もしかしたら南校舎には鬼がいないかもしれないと言うリョクの提案でアオたちは北校舎と南校舎をつなぐ渡り廊下を走っている。

 四人の後ろにはすでに何体かの鬼があとを追いかけていて、時期に追いつくであろう距離まで迫っていた。


「リョク、アオたちを逃がすために少し付き合ってくれないかな?」

「ああ、俺も今その提案をしようと考えていたところだ」

「じゃあ、決まりだな」


 カガキンとリョクは足を止め、まるでこれからの予定を決めるかのような口ぶりで喋る。

 アオは二人のしゃべっている言葉の意味がわからなかった。


(まさか、囮になるきか?)


 そんなことはさせないと思った。けれど、リョクの馬鹿力によって南校舎に抱えていたムラサキごと投げ飛ばされ、渡り廊下に取り付けられていた扉の前に立ち扉を開けれなくする。


「おい! 何やってんだ!」


 たまらず、叫ぶ。


「何って扉を防いでるだけだが?」

「そうだよー、それよりさ、早く逃げなよ」


 こんな状況なのに、相変わらず普段通りを装う2人に無性に腹がたつ。


「馬鹿なこと言うな! もう俺は大切な人を失いたくない!」

「おおー、うれしいこと言ってくれるねぇ〜。やっぱり持つべきものは親友だよねぇ。‥‥‥なら、なおさら僕はアオから離れないとね。多分感染しちゃってるからOgaに」

「俺もだ。さっきから泣きたくなるぐらいの激痛が体を襲ってくる。鍛えていなかったら今頃歩けてすらいないだろうな」

「あれ、そんなに感染しちゃってるんだ。俺はまだいけるよ」


 感染していることをあっさりと、まるでいつものように馬鹿話をするかのように言う二人にアオは戸惑いを隠しきれない。

 

(なんでこんな時にまでそんな風に楽しげに話しができるんだよ)


「アオ、ムラサキのことは頼んだぞ。お前と一緒にいるとなんだか楽しくて、楽しかった。ありがとな」

「楽しくて楽しかったってなんだよ〜。まぁでも、言いたいことはなんとなくわかる気がするな〜。さぁ、早く行きたまえ。こう言う時に使う言葉はなんだっけか‥‥‥俺の屍を踏んでいけ! だっけ?」

「俺の屍を捨てて行け! じゃなかったか?」

「そだっけ」


 すぐ目の前に鬼が迫っているにもかかわらずリョクとカガキンの2人はそんな風に馬鹿話を未だにしている。

 だが、アオにはわかっていた。二人は自分とムラサキを落ち着かせようとしていることを。ムラサキもわかっているのだろうか何か言いたそうに、それでも下唇を噛んで堪えている。

 二人の気持ちがわかっているアオだったが、それでも二人を死なせたくはなかった。


「アオ、お前がここに残ったら誰がムラサキちゃんを守るんだ? 見た感じ鬼になったら自我を失うみたいだし、僕らじゃもうアオたちと一緒にいることはできないんだよ」

「ああ、そうだな。だから早く行け! 感染の仕方がわからない以上俺たちの近くに長くいるだけでそれだけで感染のリスクを伴うんだ」


 だが、何かを言う前に二人に封じられる。


「でも!」

「もう僕らに構うな! どのみちもう僕が僕でいられる時間は短いんだ! だったらせめて、大切な友人を守ると言う僕の最後の意思を無駄にしないでくれ」

「‥‥‥」


 それ以上は、何も言えなかった。

 信じたくないと言った顔でガラス扉の向こう側にいる2人を見ているムラサキを抱え、アオは走る。


「はは、強がって見たはいいけど、もう会えなくなると思うと寂しいなぁ〜」

「そうだな。まぁでも、あの二人が生き残れるようしっかりここでくい止めないとな」


 リョクはそう言って扉から離れ、カガキンを守るように一歩前に出る。


「俺が撃ち漏らした鬼を頼む」

「あんな化け物を倒す前提で話するなんてさすがはリョクだなぁー。だったら、僕も頑張らないとねぇ」


 2人は笑い合う。寂しさ、恐怖、安心、いろいろな感情を込めて。

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