第4話 追撃

「骨付きカルビにしてやる」

 次の弾を装填すると、眼つきの悪いウサギは最初の一頭に狙いをつけた。真っ直ぐにこちらに向かってくる。雌ライオンが岩場の上へ飛びあがろうと前足をあげ、口を開けたところ――正に絶好のタイミングで引き金を引いた。見事命中した銃弾は、百戦錬磨の女ハンターの牙を歯茎から枯れ葉のように吹き飛ばし、ついでに上頭部に乗っていた脳みそを草の上へばら撒いた。瞬時にして命を失くした体は、それでも最初の勢いで岩場を跳び越えると前サバンナ王の死体に覆いかぶさるように着地した。

 と同時に、二頭目の雌ライオンが襲いかかってきた。今度は岩場に上半身を乗り上げ、鋭い前足の爪で猫パンチを繰り出したが、ウサギは間一髪のところでそれを避けると、素早いポンプアクションで弾を装填し、先ほど同じく顔面に鉛のストレートパンチをお見舞いしてやった。おかげで、雌ライオンの顔面は上半分がキレイに吹き飛び、猫耳のついたトマトのようになった。残った下顎からは、うまく弾が逸れたのか無傷の舌が涎と血の混じった液体と共にダラリと岩の上に垂れさがった。

 ショットガンは七発装填してあった。つまり、残る弾は三発。ライオンも三頭。この調子でいけば順調に倒せそうだ。

 もう一頭は、後ろから鋭い牙で噛みついてきた。危うく尻を半分持っていかれるところだったが、それもギリギリのところでかわしたため尻尾の綿毛を半分持っていかれただけで済んだ。続けざまの猫パンチを銃身で防ぐと、先程のライオン達と同じく頭部を撃ち抜いて骨付きカルビにしてやった。

 ここまできて、残った二頭は攻撃を一旦止めた。どうやら、このウサギが普通のウサギでないことを察知したらしい。いつも通りに突撃していったのでは、新たな肉塊を生産するだけにすぎないと気付いたのだろう。ウサギの周りを、様子を窺うようにしてグルグルと取り巻いている。

――二頭同時に襲ってくるつもりか?

 だったら厄介なことになりそうだ。流石に同時に襲われてはこのウサギとて無傷で済むとは思わなかった。だが、それでもどちらか一頭は道連れにすることはできる。

――いいや、必ずしてやる。この銃身の弾を全部撃ち尽くしてやる。

 遠くで鳴り響く雷鳴が聞こえる。岩場の周りはまだ厳しい陽ざしに取り囲まれていたが、それも夕日が沈むころには滝のような大雨がここについた血糊を洗い流すだろう。そして、その雨と血を吸っておいしい草が育つだろう。

 草の肥料となるのはライオンか、ウサギか、はたまた両方なのか。

 ライオンのメリーゴーランドのような動きが止まった。

 襲いかかってくる――そう考えたウサギの考えとは逆に、雌ライオン達は野生の本能に基づく最も合理的な戦法に出た。

 彼女たちは退屈そうな大きな欠伸をすると血みどろの玉座に立つウサギを放って、我が子が待つ寝床へと帰っていったのだ。

 もし、ここで彼女の内のどちらかが怪我をするだけで、子供たちを養ってゆくことは難しくなる。野生は余計な争いをしない。最も大切なのは、『今』、自分の遺伝子を残すことなのだから。


「すごい戦いでした」

 眼つきの悪いウサギは、白ウサギの述べる感想を黙って聞きながら黒いスーツケースを開け、ショットガンの弾を一つ取り出して装填した。

「俺、ウサギがライオンと互角、いや、それ以上に戦っているところをはじめて見ました。ショットガン、て言うんですか? それで並みいるライオン達をバッタバッタと撃ち倒してゆくのは……本当に、長老や他のみんなにも見せてやりたかったくらいです」

 カチャ。もう一発装填。

「僕にも教えてもらえませんか? その『銃』とやらの使い方を。僕もああいう風になりたいんです。お願いします」

 カチャリ。また装填。

「そうだ、今すぐみんなを呼んで来ましょう。せっかくサバンナで安全に新芽を食べられるようになったんだし、みんなで勝利を記念して宴を開きましょう。きっと今年の新芽は格別にうまいはずです」

 カチャ。装填。

「もぐもぐ……ほら、やっぱり! 勝利、てこんなにおいしかったんですね!」

 カチャ、ガシャガシャ、ガチャン。

 最後の弾を装填し直すと、今まで黙っていた眼つきの悪いウサギはそこではじめて口を開いた。

「勘違いしてもらっては困るな」

「ふぇ?」

 白ウサギの口の中にはまださっき食べた新芽が残っていた。新緑の爽やかな味が暗い洞窟を照らす光のように、口の中に広がってゆく。

「まだ戦いは終わってないんだぜ。これから追撃戦に移る。さっきと同じく見学は自由だ。まあ、しばらくは肉食獣もここには近づいて来ないだろうから、新芽を食べたければ好きなだけ食ってていいぞ」

 白ウサギは口の中の草を飲みこんだ。

「くっそー、これ、禿げになって残らないだろうな?」

 ショットガンを構えなおすと、眼付の悪いウサギは半分毛の無くなった丸い尻尾を撫でながらそう言った。


 その雌ライオンは夕日が沈みかかろうとしている草原の中を、サバンナの風に乗って疾り回っていた。向こうのバッファローの群れが夕日の赤を黒くくりぬいていて、人間にはまるで切り絵のように見えただろう。喉から前足が出る程欲しい獲物だっだが、彼女一頭では到底倒せる相手ではなかった。

 もう手頃な獲物がいないので、子供たちが待っている寝床に帰ろうと思った。あの変なウサギのせいで、今日はやけに疲れた。ここら辺で切り上げよう。

 そう考えていた彼女の視界を、一頭の子供のバッファローが横切った。きっと群れからはぐれたのだろう。群に合流する前に、何としても晩御飯にしてやりたい。

 彼女にはまだ食べ盛りの子供が5頭いるが、一刻も早く独り立ちしてもらいたかった。というのも、あのウサギのせいで子供の父親である雄ライオンが死んでしまったからだ。一頭で育てるのが大変だというのもあるが、もし違う雄がやってきたら大変だ。ライオンの雄は、領土を取ると自分の子供を雌に産ませるために、前の雄の子供を全部殺してしまうのだ。その雄ライオンが来る前に、子供たちには何とかして一人前に育って欲しい。

 逃げるバッファローの子供に容易く追いつくと、すぐに前足で押さえつけて首元に噛みついた。これで、あとは窒息死するのを待つだけだ。

 とにかく、子供たちのためにも短期間により多くのエサが必要であり、この雨季の間に何としても大きく育って欲しい。いざという時のためにも。また乾季がやってくれば、生き伸びられるという保証はないのだから。

 バッファローの息の根が完全に止まったことを確認すると、そのまま死体を持ち上げて木陰の寝床まで運んで行った。

 そこには、彼女の立派な子供たちの姿があるはずだった。

 だが、母親を迎えにはしゃぎ回る予定だった子供たちは、木の下で無残な死体と化していた。ちょうど、昼下がりに変なウサギと戦ったライオン達と同じく、頭がトマトのように潰された状態で。

 向こうの真赤な夕日に向かって彼女は吠えた――


 ――ところでその雌ライオンは目を覚ました。真っ先に子供の様子を見てみる――みんな安らかな表情で寝息を立てている。空を見ると夢の中のような真っ赤な夕日はなく、一面どんよりとした雲に覆われており、ときどき遠くの方で雷が走った。

 そうだ。あのウサギとの戦いのあと、確かこの木陰の寝床にもどり、子供たちをあやして眠りについたのだった。本当は狩りに出たかったが、これからすぐに雨季独特のスコールがこのサバンナに降るだろう。そうなれば狩りは中止だ。これからの時間帯は気温が急激に下がってゆく。雨で体力の消耗も激しくなるし、臭いなども消されてしまう。狩りには非常に不利な状況が重なってしまうのだ。

 遠くのバッファローの群れを眺める彼女の脇腹を、一頭の子供が寝ながら突っついている。他の子供たちは母親から少し離れたところで固まって眠っていた。普通なら、こんな赤ん坊のようなことはしない年頃のはずだったが、この子だけはいつまでたっても甘え癖が取れなかった。

 鼻をすり寄せる一番甘えん坊な子供の毛並みを、彼女は優しく舐めてやった。もう、こんなことをしてあげられる時間も、あまり残っていないだろうから。

「一家団欒。素晴らしい光景だな」

 声のする方を振り返って見ると、さっきの変なウサギがこちらにショットガン――もちろん、彼女がその金属の棒をショットガンだと知ることはなかったわけだが――を向けて立っていた。その背後には、草の陰から覗く幾多のウサギ達の瞳と、草から飛び出た同じく幾多の耳がこちらを向いていた。その耳目が何を見たいのか、そして聞きたいのか、雌ライオンは一瞬にして理解したが、もはやどうしようもなかった。野生では、無益な殺生はしない。これは、全ての生き物が無意識のうちに守っている不文律だった。ウサギは、4頭のライオンを殺した。あれだけ殺して、このウサギはまだ殺し足りないというのか。

「残ったもう一頭のお仲間さんについてだが、我々はサバンナの親愛なるご婦人に対して悲しいことを伝えなければならない」

 もったいぶってわざと間をとる。

「子供達も含めて、全員死んでしまった。とても悲しいことだ」

 ウサギは、ゆっくりと、言い聞かせるように発音した。ぽつぽつと雨粒が草の葉に黒く滴り落ちる。もうすぐ雨が来る。それも大雨が。

「だが、心配はいらない。なぜなら、みんなすぐに会えるからだ。あの世でな」

 ウサギは悲しみに耐えて渋々と言った表情をしながら、何の躊躇もなく引き金を引き絞った。轟音と共に群れ最後の大人のライオンは、血と脳漿を子供たちの毛並にブチ撒いて絶命した。がっくりと地面にうなだれる雌ライオン。直後、小降りだった雨は、短調のレクイエムを奏でる滝のようなスコールに変わった。まるで、全ての生命を飲みこもうとしているかのような。

「終わりましたね」

 草むらから白いウサギが出てきて誰に言うともなくそう呟いた。残りの見学していたウサギ達も、激しいスコールを避けるようにして木陰の下へと集まって来た。

 雷が鳴る。かつて住んでいた原住民が叩くドラムのように。

 ライオンの子供たちが異変に気付いて目覚めた。白と眼つきの悪いウサギ以外は、それを若干困惑した表情で眺めていた。彼らは元々流血を好まない。本当のことを言えば今回のことも、安全に暮らす上で仕方無かったのかもしれないが、出てしまった犠牲に対してのいたたまれない気持ちというのは、確かにあった。特に白ウサギに連れられてこの追撃戦を見学していた長老は、虚しいと感じた。それは昔ライオンと闘って敗れたからかもしれない。また、もう無残な死をみたくないという欲求から来ているのかもしれない。

 大粒の雨が草や木の葉を叩く音が聞こえる。

「ああ。だが、まだ最後の仕上げが残っている」

 ライオンの子供たちは寝ボケていて、未だ自分たちが置かれた状況を把握していなかった。体についた血の匂いも、きっと新しい獲物に違いないと思っていた。

「このライオンの子供たちのことなのかい?」灰色のウサギが恐る恐る尋ねてみる。

「そうだ。こいつらを殺してようやくこの戦いも終わる。おい、トランクを持って来たか?」

「はい。ここに」

 眼つきの悪いウサギはそこからコンバットナイフの束を取り出すと、野次馬たちの前に放り投げた。

「仕上げはお前たちがやるんだ。それでこいつらを殺せ」

 向こうで雷が鳴った。それも前より近い距離で鳴っている。

「これで殺せって……」

「そうだ」

 今度は長老も聞き逃さなかった。断固たる口調で、確かにこのウサギはみんなに向かって言った。お前らも殺せと。この愉快なる勝者の殺戮に参加しろと。

「ひとつだけ言っておきたいのじゃが」

「なんだ」

 ライオンの赤ん坊がみーみーと泣き声をあげている。雨が降ってきて寒くなったのだろうか、母親の方に必死に寄り添おうとするが、肝心の母親はすでに冷い肉塊へと変化しつつあった。

「お前は最初、確かに言ったはずだ、これは父親への供養だと。個人的な理由で戦うから誰も一緒に戦わなくていいと」

「確かに、あの穴倉の中でそんなことを言ったような気がする」

「なら、話は簡単だ。ワシらはお前の憂さ晴らしに付き合ってられるほど悪趣味ではない」

 眼つきの悪いウサギは、一見黙って大人しく聞いているように見えた。白いウサギは何か言い返してやりたかったが、どうやって言い返せばいいか分からなかった。長老が話を続ける。

「それに、わざわざ殺さなくてもこのライオンの赤ん坊がサバンナで生きていけるはずがない。大人のライオンだって、もはや戦う意思はなかった。もうあの時点――岩場で大人のライオンを蹴散らした時点――でワシらの安全は十分確保されておった」

「頭の悪いジジイだな」

 その声は、降りしきる雨音にまぎれ込ませるようにして発せられた。後ろの方の野次馬には聞こえなかったろうが、耳の良い長老は何とか聞き分けることができた。

「ワシが昔から自慢できるのはこの耳だけじゃ。お前みたいに賢くはなれんかったが、賢いというのが残虐性を意味しているのなら頭の悪いジジイで十分だと思うがの」

「あなたは何もわかっちゃいない。というより、事実から耳をそむけているんだ」

 5頭のライオンの子供たちが母親の死体に一斉にすがり付いている。だが、母親がその声に反応して毛づくろいをしてやることはなかった。子供たちは、母親の死を、睡眠だと思っていた。きっと、狩りで疲れて眠っているだけだろうと。その子供たちの上で、話し声が続く。

「きっと長老さんはこう言いたいに違いない。無用な殺生をしないのは、自然界の掟である」

「ああ、その通りじゃ」

「そして長老さんは、俺はただでさえたくさんのライオンを殺したのに、その上無抵抗な子供まで殺してしまうのは自然の摂理に反した残虐な行為だとおっしゃっている」

 長老は黙って聞いていたが、もはやこのウサギが話しかけているのは長老だけでなかった。スコールの中、木陰に集まって来た全ての耳ある者に話していた。

「だが、長老さん、アンタここに来るまでに新芽を食べたんじゃないのか? うまかっただろう、え?」

 長老は一瞬否定しようとしたが、周りには野次馬兼証人が彼を取り巻いていた。

 一同無言の中ザーザーと降る雨がそれを肯定していた。確かに、長老は白ウサギに呼ばれて巣穴から出たとき、今までの空腹に我慢できず、つい皆と一緒に新芽をつまみ食いしていていた。大自然に誓って食べたのは真実だ。

「要するに、アンタは俺の命を賭けた戦いのおかげで安全に新芽を味わうことができたのに、その舌が乾かないうちに俺のことを残虐だと罵っている。これはものすごい不自然なことじゃないのかな? 俺に感謝の言葉のひとつでも寄こすのが自然だと思うが?」

 雷が、近くで鳴った。長老は何か言おうとしたが、雷で遮られてしまった。

「だいたい、俺らが安全に暮らしたいと思うのも自然な欲求のはずだ。そうだろ? 誰だって自分が生き伸びたいと思うに決まっている。それも、より安全で快適な生活を求めてだ。そう思うこと自体は不自然でも何でもない。それを否定するお前の方がどうかしてる」

「ワシは、何もそこを否定している訳ではない。みんな安全に生活できたら、それが一番いい」

 長老はそこで一旦言葉を区切った。

「だが、それを実現する手段としてみんながお前の殺戮に参加するというのが納得いかん。ワシは、ここでライオンの赤ん坊を自然の手にゆだねるのが一番いいと思う。まあ待て、お前が言いたいことは分かる。きっと『どうせ餓死するのだから、その方がかわいそうだ』というのだろう? だが考えてもみるんじゃ。もし、ここでこの赤ん坊を殺したりしたなら、ワシらはそんなことを永久に繰り返すことになるのだぞ? 一度殺してしまえば、ライオンの方も黙ってはおるまい。きっと向こうだってワシらのことを天敵と見なす。そうなったら、ライオンは逃げるか? いや違う、やつらはプライドが高いから、一頭では勝てないと分かったら何頭も集団で襲いかかってくるに決まっている。ゾウやキリンが相手でも向かっていく猛獣だぞ? やつらの頭には敵と戦って倒すことしかない。きっと全力で我らに向かってくる。そこで、今日のお前の戦いはどうじゃった? けっこう際どいんじゃなかったのか? こんなことを続けていれば、確かに一時的には安全に新芽を食べることはできよう、だが、ライオンとの戦いでたくさんのウサギが死んでいくだろう。今よりももっと多くのウサギたちが。ワシにはそんなことを子供や孫にさせるなど、とても耐えられん。それなら、まだひもじくとも今の方がまだマシだ」

「話の長いじいさんだ。風邪ひくぜ」

「この際だからもう一度言っておく。これはお前の個人的な供養のはずだな? お前がそう言うのを、ここの全員が聞いた。だから参加する義理はない。もう分ったな。分かったらその物騒なモノをしまうんじゃ」

 眼つきの悪いウサギは、しかしその場の全員の予想に反してトランクの中にショットガンをしまい込んだ。そして、代わりにコンバットナイフを取り出すと長老の目の前で鞘を外した。今までに見たどんな肉食獣の爪より鋭い刀身に、木の葉の隙間から落ちた雫が滴った。一方、それを眺めている白ウサギはすでに我慢の限界に達していた。もう、早く子供ライオン達に復讐したくてしょうがなかったし、この伝説のウサギが何をしようと、命がけでついて行く決心をすでに固めていた。

「まあ、俺の話も聞いてくれよ」

 そう言って、母親のぴくりとも動かなくなった腹の上に登っていた子ライオンを、首の後ろの皮を掴んで引きよせた。訳も分からず、自分に向かった24の瞳を見つめ返す子ライオン。

「確かに、子供――というより赤ちゃんかな、それくらいのライオンは可愛らしく見えなくもない。ところがだ。こいつらは、すでにこの頃から――

 コンバットナイフを握り直すと、刃先をミーミー泣く毛玉に向かって容赦なく突き刺す。刃が、遠くに落ちた雷光を反射した様子は不気味な笑顔に見えた。ジャッカルが牙を剥いているような感じだ。

「こうやって生えたての歯で俺達の首にかぶりつく」

 首筋に刺した刃を、ギリギリと横に動かす。もう、子ライオンの鳴き声はうがいをしているような音に変わっている。

「死にたての獲物から流れ落ちる血をうまそうにすする」

 突き刺したナイフの刃を動かすごとに子ライオンの首から血が勢いよく吹き出し、最前列の野次馬達の毛並みを赤く染めた。もう、かわいい毛玉はかわいそうな死体へと変わりつつあった。

「こうやって動かなくなった獲物の」

 草の上に子ライオンを放り投げる。仰向けのままピクピクと痙攣している。

「やわらかいハラワタに喰らいつくんだ」

 今度は腹にナイフを刺して、そのまま縦に切り裂いた。野次兎の何羽かは、耐えきれなくなって耳を押さえ目を背けた。

「まず、小腸。それに肝臓も大好物だ。あとは順番にビタミン豊富な内臓を食っていく」

 縦にパックリ割れた腹の裂け目にナイフをズブズブと突っ込み、マグロの解体ショーみたいに内臓を切り取っていった。ここまでの手際があまりに良かったので、誰も何も言えなかった。それは白ウサギとて例外ではない。彼も、伝説のウサギがここまでするとは思っていなかった。

「これはお前らの内臓なんだ。俺のかもしれなかった」

 そこには切り取った内臓を引きずり出して手に掴んでいる血みどろのウサギが、雷の逆光の中、鋭い目だけを光らせて語りかけていた。

「確かに、俺は戦いの前にこれは父の供養であって、個人的な戦いだと言った。だが、同時に帰ってきたらお前らに訊くつもりだ、とも言った。自由と生存のために戦うか、惨めな敗者でいるのかを。それを今、ここで問おう」

 まだかすかだったが動いている腸らしき物体を、彼は問いかけと共に野次兎たちに向かって投げつけた。ウサギ達は完全にパニックに陥った。自分の血でないとはいえ、それは彼らを木陰から雨のカーテンへ追いやるのに十分な効果を持っていたのだ。

 ウサギ達の毛に赤い花が咲く。長老の視界が赤く染まる。

 大半のウサギ達は血を洗い流そうと雨の中へ出ていこうとした。木陰にとどまったのは一羽の茶色のウサギだけだったが、彼は自分の意思でそこにとどまったのではなかった。投げかけられた小腸に、足を絡ませて転んだのだった。

「いいか、よく聞け!」

 雨を弾き飛ばさんばかりの勢いで木陰の外の観衆に向かって叫んでいるウサギの頭には、いつの間にか鉢巻がくくられてあった。鉢巻には、何やら漢字が書いてある。もちろん、本人以外誰も読めなかったが。

「勝てば官軍、負ければ餌だ! それともあの惨めな穴倉に戻りたいのか? 冗談だろ。だったら勝つか負けるかの勝負に出た方がいいに決まっている! 大丈夫だ。俺がお前たちに勝利を約束する。だから、お前らもそこのナイフを取れ。官軍《おれ》の仲間になるんだ!」

 このとき唯一、彼以外で自らの意思で木陰に残っていた白ウサギはその鉢巻きに何が書かれているのかを悟った。官軍。これ以降、サバンナに突然現れた眼つきの悪いウサギはそう呼ばれることになる。官軍と。

 茶色のウサギは小腸を絡ませて地面に倒れたまま、呆けたようにその2文字を眺めていた。

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