第2話 白ウサギ

「新芽が食いてえ……」

「でも、それは夜になってからさ。昼間は肉食獣もうようよいるし、大型の草食獣は簡単に俺たちを追い払っちまう」

「くそ、今食べたいんだよ。だいたい、夜になったらもう全部食われてなくなってる」

「あきらめろ」

「それが一番難しい」

 灰色と茶色のウサギが相変わらず不毛な論争を繰り広げている最中、それを横でずっと聞いていた若いウサギがいた。

 彼は、この暗い穴倉で生涯の大半を過ごしてきた。今までで、三度だけしか昼間のサバンナを見たことがなかった。その内の2度は乾季のサバンナで、真っ赤な太陽と茶色に焦げた大地が延々と広がっているだけの死の大地だった。

 本当に、生命に溢れたサバンナの姿である雨季は一度しか見たことがない。それも、彼がまだ母親にくっついて過ごしていた頃のことで、この暗くてジメジメした場所が嫌になって穴倉から勝手に飛び出していったのだ。

 抜けるような晴天の中、緑の中を足が痛くなるまで走りまわった。だが、外で無防備な餌が走りまわっているのをライオンが知るのと、大事なわが子が無防備なまま外に出てしまったことを母親が知ったのは、ほぼ同時だった。結果、母親が囮となってくれたおかげで彼は辛うじて逃がれることができたものの、母親はライオンの餌食となった。

 彼は今でもその時のことが忘れられない。

 きれいな青空。さんさんと降り注ぐ太陽。世界が輝いていた。

 生命あふれる草原。その中に響き渡る、骨を砕く音。肉を裂く音……そして聞こえなくなった母親の呼吸の音。

 何とか穴倉に逃げ込むことは出来ても、音からは逃れられない。自分と同じ、真白な毛並みを血に染めて死んでいく母の死に様が嫌でも聞こえてきた。

「俺だって食いたいんだ! 食わせろ! 新芽を食わせろ!」

 突然、茶色のウサギが叫んだ。それを灰色がなだめる

「そうやって騒いでも、無駄に体力消耗するだけだぜ。静かに夜を待つしかない。夜になれば、他の動物は眠っているからな」

「俺が一番最初に食いに行く」

 それを聞いていた白ウサギは内心笑ってしまった。

「やめとけ。長老が先だ。長老が安全かどうか判断してからでないと危ないぜ。この前も勝手に飛び出していった奴が待ち構えていたジャッカルに食われたの、お前も見ただろ?」

 そして最後に止めを刺すように灰色は言った。

「死んだら何も食えなくなる。ただ食われるだけだ。悪いことは言わん、やめとけ」

 やっぱりこう来た。外は危ない、喰われる、やめとけ、以上証明終り。何も進歩しないし、何も変わらない。一度だけ、長老にライオンと戦おうと話をもちかけたことがこの白ウサギにはあった。しかし、提案は議論するまでもなく一瞬で却下された。白ウサギが理由を尋ねると、長老はたいして聞きたくもない昔話を延々と語りつづけ、最後に“お前もこうならないように”式の言葉で締めくくった。

 もちろん、昔話の内容はあのライオンとの戦いのことだった。その時、白ウサギは初めて、以前にもライオンと戦おうとしたものがいて作戦を指揮したことや、結局はたくさんの犠牲をだして失敗に終わり、指揮したウサギは責任を取って追放されたことを知った。

 ここに居ても何もできないのなら、いっそその兎――白ウサギの中では早くも伝説のウサギと化していた――に会いに行くのもいいかも知れない。

 だが、そうするにしてもサバンナを超えてゆけるだけの体力とそれ以上の知恵がいる。

「やっぱり無理か」

 茶色のウサギが言った。

 こうして地上とは違って、憂鬱な昼下がりをウサギ達が迎えているとき、ある一羽のウサギが現れて、洞穴全体に聞こえる程の大きな声で演説を始めた。


 お前らは一体こんなところで何をしているんだ? 外を見てみろ、外にはお前らの大好きな新芽が食べ放題でそこにあるというのに。もう一度いうぞ、お前らは何をしているんだ?

 こんな薄暗い、ライオンのケツの穴みたいな洞穴で怯えているだけじゃないか。

 俺の父のように、少しは戦う気がないのか。知っていると思うが、父は昔、ライオンを相手に一歩も引かず勇敢に戦った。だが、結局は奮闘虚しく多大な犠牲をだして戦いは失敗に終わり、責任をとって父は追放された。

 だが、それがどうしたというのだ! 一回負けただけだ。たった一回負けただけで、お前らは毎年の新芽も自由な大地も新鮮な太陽も放り出して、やることと言えばこの洞穴で飢えに苛まれながら愚痴をこぼすばかり。ちょっとは悔しいと思わないのか? お前らに種の誇りはないのか?

 俺は悔しい。だいたい、父が戦ったのがお前らのためだったと思うと反吐がでる。

 今、各々の胸に訊いてみるがいい、死を覚悟して戦うか、このまま安全だが飢えに悩まされ続けるのかを。どちらが選ぶかは各人の自由だが、俺は断固死を賭して戦う方を選ぶ。それが息子たる俺の当然の選択だ。父は異郷の地で病没したが、死の間際に『一頭でも多くのライオンを殺すように、それが最大の供養だ』と言い残して死んだ。

 俺は、今からライオンをブチ殺しに行く。だが、それはお前らのような誇りを失くして心底どうしようもない奴らのためでは全くない。サバンナの草の肥料程度の役にしか立たないお前らのためではない。

 俺は、今から父の供養のために戦う。まだ幼かった俺に、絶対にライオンに復讐することを誓わせた父のために戦う。

 芯から臆病なお前らに一緒に戦うことは、安心しろ、全く期待していない。危険を冒すのは俺だけだ。なぜなら、さっき言った通り、これは父の供養であり、あくまで個人的な理由で戦うからだ。

 俺は、もちろんこの戦いから生きて帰ってくるつもりだ。そのとき、お前らにもう一度訊こう。

 戦うか、このまま惨めな敗者のままでいるのかを。


 演説が終わると、元々眼つきの悪いウサギは、さらに眼つきを悪くさせながら洞穴から出ていった。

 白ウサギは、こちらも考えるまでもなかった。彼も、敗者の惨めな境遇でいるよりかは、命を賭けて戦うことを選んだ。他のどのウサギよりも早く。しかも、演説をしていたのはあの伝説のウサギの息子なのだ。

 体は、考えるより早く取るべき行動を取っていた。

 白ウサギは、さっきのウサギが出ていった穴から、危険と生命溢れるサバンナへ飛び出して行った。

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