第28話 残された時間 3

 美月が帰るのはひと月後になるだろうとの情報が、騎士団長のオリヴァーからレナードに知らされたのは、美月が騎士団の訓練場を後にしてまもなくのことであった。

  群がる騎士団員には、一度国に帰る予定とだけ伝えておく。その後の訓練は副団長に一任して、レナードの殆ど書庫のような執務室に赴いたのだ。


 レナードの父は、現国王の宰相として現役だ。存命にも関わらず爵位を嫡男であるレナードに譲ることになったのは、父に言わせれば「王の宰相業務があまりに忙しすぎるから」という理由だった。爵位を譲ったとは言え、その影響力は衰えるところを知らなかった。一方でレナードもまた、幼い頃からルーカスの王位継承の際には、宰相となるべく教育を受けて来ている。機智に富み文才にも長けた少年だったが、王の側近として仕える家系にふさわしく、努力を惜しまない人である。ドアの周囲の壁、そしてその上までも造り足された本棚に並ぶ大量の書物がその事を物語っていた。


「相変わらず凄い書物の量だな。また増えたんじゃないのか?」

「さあ、どうでしたかね」

「ドアの上まで本棚にしなくても…。押しつぶされそうだ」

「そうですか?マホガニー製なので、頑丈にできていますから大丈夫ですよ。むしろこの書物の匂いに囲まれると、落ち着きと安らぎを覚えますよ。いいえ、そんなことよりミツキのことです。先ほどの、ひと月後というのは本当ですか?」

「ああ、エアージョンの第一王子が、さっき言っていたからな」

「そうですか…」

「そういえば、殿下は?今日は別行動なのか?」

「殿下は寝ています。二日酔いで。まあ、眠れていないでしょうがね」

「何だ、それは?」

「いろいろありまして。取り敢えず私は、殿下に男女の睦言を教育した時代遅れのジジイどもを呪って止みませんよ。おかげで随分回り道をすることになりましたからね」

 レナードは本当に呪詛の言葉を吐くのではないかと、剣呑なオーラを身に纏っていた。


「…まあ、なんだな。…お前も苦労するな」

 恐ろしいので、一応労っておこうと声をかける。


「別に構いませんよ。上手くいきさえすればね」

 そう言うと、レナードは深い溜息をついた。


「上手くいってないのか?」

「相手はあのミツキですよ。行動やら何やら読めなさ過ぎて、うまくいっているかどうかの判断も難しいのですよ」

「あー、そうだな…。まあ、俺に出来ることがあるなら言ってくれ」

 ふっ、とレナードが目を細める。

「あなたなら、そう言ってくれると思っていましたよ。では、さっそく…」

「えっ…」

 ひきつるオリヴァーに、笑顔のレナードが歩み寄った。




「調子はどうだい?メイソン」

 朱丹しゅたんの間に続く従者の控え室で、メイソンは休んでいた。これまで、こちらから出向くことはあっても、来ることはなかった王子が、突然入ってきたものだから、驚きのあまりベッドから転げ落ちた。


「メイソン、君、魔術はいろいろ使えるのに、自分の体は使えないんだね。君もサッカーでもして鍛えるかい?」

「も、申し訳ございません。未だ体調が整っておりませんで…」

 しこたま打ち付けた膝と腰の痛みに耐えながら、なんとか体制を整え跪く。


「あーそうだったね。忘れていたよ、ごめんごめん。ま、でも体は鍛えたほうがいいね、肝心なところでくしゃみをするくらいだから」

「も…、申し訳ございません…」

「面白くないなあ。もっと他の言葉は言えないの?その点、ミツキは僕が何か言うたびにキャンキャン絡んでくるからさあ、…可愛くって。うちで飼っていたトイプードルを思い出すよ。フフッ」

「犬を、飼われていたのですか?」

「ん?あー、昔ね。そんな事より、ミツキが帰りたいって譲らないんだよ。君が帰れるなんて言っちゃうからさあ…。困っちゃうよねえ、本当…」

「…申し訳っ」

「いいよ、もう、謝らなくても。聞き飽きたし。君は面白くないけど魔術は面白いから許してあげるよ。それに…、君の仕事はまだ残っているしね」

 メイソンの謝罪を途中で遮り、不敵な笑みを浮かべる。


「それでさあ、君の復活はひと月後って言ってあるけど、それぐらいで魔力も体力も戻りそうかい?」

「私も初めてのことなのでわかりませんが、ひと月あればなんとかなるのではないかと」

「なんとかじゃ駄目だよ。確実に、だよ。僕の大事なミツキが、また、変なところで落とされたら困るからね。いいかい、ひと月で持ち直すんだ。それ以上は待たない。過去には拘らないといったけど、ミツキをいつまでもこんなところに置いておきたくはないからね。出来るね?メイソン」

「はい、仰せのままに」

「じゃ、ひと月後だとハーヴェロード側に伝えるとしよう。後のことはエアージョンを出るときに話した通りだ。ここではもう言わないよ。誰が何処で聞いているか分からないからね」

「承知いたしております」

「いいよ、じゃあ休んで」

 優艶に微笑み部屋を出ていくサミュエル王子を見送ると、深い溜息と共に、背中が冷や汗でじっとりと濡れていることに、メイソンは初めて気がついた。




 ルーカスの執務室を、王の宰相であるダニエル・ローガン・ウェリントン・タイラー伯爵が訪れたのは、昇りきった日差しが傾き始めた頃だった。


「では、ひと月後にミツキを元の世界に戻すと、エアージョン側から正式に通達があったということですね?父上」

「そうだ。殊の外早い期限に、首尾よく進んでいるかと陛下が心配しておられる」

「……」

 目を伏せたまま顔を上げない我が子から、ルーカス王太子に目を向けるが、こちらは書類に目を向けたまま微動だにしない。仕方ないので残る一人、オリヴァー・ハミルトン騎士団長に救いを求め、目を向けた。

 “自分にはわかりません”とでも言うように、左右に激しく首を振るオリヴァーを見てダニエルは嘆息する。

「いったい、どうなっているのだ?強く推し進めていけばどうとでもなるだろう」

 レナードの纏う空気が剣呑に変わる。“お前もか”とでも言いたげな目つきでダニエルのほうを向いた。

「父上、時代が違うのです。爵位に興味のあるご令嬢ならいざ知らず、相手はあのミツキですよ。そう簡単にこちらの思い通りに事が運ぶなどと思わないでいただきたい」

 まるで喉許に剣を突きつけるような、レナードの鋭い眼差しにたじろぎながらも、ルーカス王太子殿下のフォローでもあると気づく。

「わ、分かった。こちらで出来る事があれば相談に乗ろう。いつでも言うがいい」

「ありがとうございます。では早々にご相談に伺わせていただきますので。お忙しい中御足労頂きありがとうございました」

 ダニエルに向けニッコリと微笑むと、レナードは執務室のドアを開け、これ以上余計なことを言わないよう、退室を示唆した。

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