第27話 残された時間 2
さて、騎士団の訓練場と思わしきこの場所は、――いや、間違いなく訓練場なのだが――さながらサッカー部のグランドのようだった。
団長の気合に準ずる騎士団の面々も、訓練場で美月の来るのを待っていた。
もちろん美月は上機嫌だ。そもそも皆、言わずもがな、騎士団に属している騎士たちだ。鍛え上げられた体躯に俊敏な動き、統率は取れ、指示はすぐ入る。ここ最近は女子部での活動だった美月にとって、騎士団の野太い声は、若干むさくるしいと言えなくはなかったが、それもご愛嬌と言えるぐらいに楽しんでいた。ただ、皆が真面目に取り組むあまり、質問と指導等対応に忙しく、美月は自分のトレーニングに割ける時間が大幅に減っていた。それでも、
「なにこれ、めっちゃ楽しい!そのうち皆で試合とか出来るんじゃない?」
と、騎士たちの中で嬉々として走り回っていた。
「これは、いったい…。美月、君は何をやっているんだい?」
突然、疑問符のついた言葉をかけられ振り返ると、サミュエル王子が観覧席から目を丸くしてこちらを見ていた。
昨日は縛っていた紺色の髪を解き、その緩やかなウェーブを風に靡かせている。少し目尻の下がった紫水晶の瞳を微かに細め、薄い唇にのせたその微笑みは本日も妖艶さを醸し出している。その微笑みは、男性をも虜にしそうである。
「あら、サミュエル王子。おはようございます、お早いんですね」
「やあ、おはよう、ミツキ。僕の大事なミツキが朝からサッカー練習をすると聞いたから、見学に来たんだよ」
「まあ、そうなんですね。別にあなたの大事な人ではないのですが、見学でしたらどうぞ」
突然の隣国の麗しの王子の登場と、美月に対する親しげな言葉がけに、騎士たちはざわついた。ルーカス王太子殿下の婚約者である美月に対し“僕の大事なミツキ”などと恐ろしいことを言っていたからだ。
「団長!サッカーしている間は大丈夫よね?訓練になったら立ち入らない方がいいでしょう?あの王子」
「あ、ああ。そうだな」
「わかった。じゃあ、私が上がる時に一緒に連れて行くわ」
美月は軽く息を吐くと、声を張り上げた。
「じゃあ次はドリブル練習しよう。昨日言ってあった八の字ね。なるべくボールが体、足から離れないように、まずは右回り。アウトサイドで押し出していくことを意識して。左回りになったらインサイドね。…サミュエル王子も一緒にどうですか?」
「えっ!?…いや、いいよ。僕はここで。ミツキの走る姿を見ているのが幸せだから。といっても、これじゃあ選手というより指導者だね」
「そうね」
「ああ、でもそうやって指示を出している君も美しいよ」
「…いや、無いから」
背筋が冷たくなるのを感じたが、気合いを入れ直し、美月はサッカーに集中していった。
騎士団の面々は自主トレも真面目に取り組んでいたようで、昨日出していた腿でのリフティングもそこそこ形になっていた。昨日教えた足裏でボールを扱う事もまあ、できているとしたものだろう。それにしてもよくその革のブーツでサッカーができるものだと美月の方が感心した。
訓練場での練習が終わると、サミュエル王子は優雅に微笑みながら美月のもとへとやって来た。
「お疲れ様、ミツキ。ミツキのこの姿が見られて僕は胸がいっぱいだよ。我がエアージョン帝国でもサッカーの練習場を用意するよ。冬は雪になるから屋内の練習場も用意しよう。思う存分サッカーをしてもらいたい。もちろんうちの騎士団も使うといい。君が笑顔でいられるように、僕はあらゆることに手を尽くそう。安心して嫁いで来るといい」
「いや、結構です。エアージョンには行きませんので。どうぞお構いなく」
サミュエル王子に手のひらを向けてきっぱり断る。その手を取り指先に口づけた。
「…っ!」
「つれないね、ミツキ。僕をこんなに夢中にさせておいて、罪な人だ」
いや、無理無理!見目麗しい王子だけど、なんかダメ!お願い!その手を離してー!
目を潤ませる美月の姿が、サミュエル王子には扇情的に映るようで、熱を帯びていく瞳に恐怖を感じ、慌てて手を引いた。
「それより、私をいつ帰してくれるんですか!」
「えー、僕がこんなに口説いているのに、帰るのかい?」
「当たり前です。試合も控えているので、帰らせていただきます」
「ふーん。本当に帰っていいんだね?君がいいならそれでもいいけど」
「えっ?」
「ま、でもメイソンが復活するには、あとひと月はかかるだろうね」
「ひと月?ひと月後には試合があるのに!間に合わないじゃない!それは困るわ!ちょっと、責任とって何とかしてよ!」
「もちろん!だから、昨日から責任とって妃に迎え入れようと話しているじゃないか。こっちは準備万端だよ。今すぐにでも」
「その責任じゃないわよ。巫山戯ないで!」
「ひどいなあ。こんなに真剣なのに。…ま、なんとか元通りになるようメイソンに話してみるけど」
「本当?約束よ!」
美月の瞳が期待に満ちていく。
「…困ったな。本当は僕の妃以外の選択肢なんてあげたくないのに。そんな顔
をされると、叶えてあげたくなるじゃないか。ずるいよ、ミツキ」
サミュエル王子は深い溜息を付いた。
トレーニング終了後、美月はサミュエル王子と訓練場を後にした。大丈夫かと心配をする団長に、お互い護衛もついているからと声をかける。
美月が去っていった訓練場では、サミュエル王子と美月の関係を騎士団の面々に問われ、身動きが取れない団長の姿があった。
そうして、訓練場を出る。城内に入る前にサミュエル王子と別れた美月は、締めの尖塔でのトレーニングに向かった。今日も、賑やかに女官たちが待っていると思いきや、シーンと静かに並んでいた。
あれ?何だ?
一人シルエットが違う。って…。
「グレース王女殿下!どうなさったのです?このようなところで」
慌てて美月が駆け寄る。
「まあ、ミツキお姉さま。お会いできて嬉しいわ。私ずっとお姉様への面会をルーカス兄様にお願いしているのに、ちっとも取り次いでくださらないのですもの。待ちくたびれてお姉さまの所に押しかけるところでしたの。うふっ」
「はぁ、左様でございますか」
「ええ、そしたらここでトレーニングをなさると聞いて、お待ちしておりましたのよ。私も見学させていただいて宜しくて?」
「もちろんです」
そういうことなら、と黙々と女官を抱えて階段の昇降を続ける美月に、グレース王女は目をまん丸に見開き、空いた口がふさがらなかった。女官も見学に来ていると思っていたのだろう。13歳の王女には刺激が強かったかとちらりと見ると、その瞳は輝きを増していた。
「凄いですわ。お姉様!颯爽と降りてくる様は、まるで騎士(ナイト)のようですわ」
興奮やまない王女は、しかし教育係が迎えに来て、あっけなく連れ去られるように帰っていった。
さて、美月に残された時間は約1ヶ月。このひと月の間に騎士団にどんなトレーニングができるのか、一番大事な問題から目を背けるように、トレーニングメニューを考えていた。
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