第26話 残された時間 1

「何をやっているんですか!あなたは!」

 珍しく大きな声を上げるレナードの声が響いたのは、まだ朝日が昇り始めた早朝だった。


「おい…、大きな声を、出すな…」

 最後は消え入りそうな声になる。額に手をやり頭を抱えるルーカスの足許に、転がる空の酒瓶。机の上にも空瓶と残り僅かな酒瓶が一つ。


「大きな声も出したくなりますよ。ルーク、あなたは馬鹿ですか!?」

「…仮にも王太子に向かって馬鹿とは…」

 限界まで寄せたのではないかというほどに、皺の寄った眉根をつまみながら、レナードのほうを向く。何をそんなに怒っているのだと訝しげに見上げる。が、逆に腕を組んで身を乗り出さんばかりに気合の入ったレナードに、じろりと睨まれた。


「必要ならば、何度でも言いますよ。ええ、そうです、友人としてね!」

「だから、なんだ!勿体つけずに早く言え!っ…」

 思わず大きな声を出してしまったルーカスは顳かみを押さえた。既に二日酔いだ。


「昨夜からのあなたといえば、何があったのか話もしないで、ただ酒を煽って…。やっと話しだしたかと思えば、言うに事欠いて、抱きしめただの、口づけしただの…。そんな自分の欲求を満たす事より先にすることがあるでしょう!それをせずに自分の欲求だけで迫れば拒絶されますよ。当然です!…ああ、もっとも、あなたの地位が目当てなら、そうではないかもしれませんがね」

「これまでは、地位目当ての女しか寄ってこなかっただろうが」

「おや?開き直りましたね。ですからあの時、“ミツキに女性の扱いを教わったら良い”と言ったんですよ」

 レナードは柳眉も顎もクイッと上げ、斜め上からルーカスを見下ろした。


「いいですか、通常、先ずは口説くことから始まるんです!その女性がどんなに素敵なのか、自分にとってどれほど大切な存在なのか、また、どれほど愛してやまないのか。これらの過程を経て、合意の上でやっと次の段階へと進むのです。ルーク。あなたのしたことは、その大事な過程をいろいろ全部すっ飛ばかして、自分の欲求をミツキに押し付けたに過ぎません。しかも周りが知らないことをいいことに、仮の婚約者の立場を悪用して!」

「あ、悪用っ…」

「女性の側からすれば悪用でしょう。そこにあなたのどんな熱い思いがあろうとも、諸々をすっ飛ばしている以上、弁解の余地はありません!」

 青ざめるルーカスを尻目に、転がった酒瓶を拾い上げる。


「もしかして、ミツキは今頃泣いているのではないですか?早く国に帰りたいと思っているかもしれませんね。どうされますか?あの魔導師の体調が戻り次第、国に帰してあげますか?」

 ルーカスは言葉が出なかった。


「まあ、今は冷静になれないでしょうから、水でも飲んで寝ててください。午前の予定は全て取り止めておきますから」

 レナードは、残った酒瓶を棚に戻すと、空の酒瓶二つを抱え部屋から出ていった。

 ルーカスはベッドに腰掛け、ひとり呆然としている以外に何もできなかった。



 空瓶を侍従に預けたレナードは、翡翠の間に向かった。まだミツキは眠っているかもしれない。いや、起きていたとて、自分が口を挟むことではない。ルーカスが自身で解決すべき問題だ。が…。どうしたものかと思案していると、翡翠の間に着いてしまった。こんな早朝から女性の部屋へ入ろうなどと、自分も大概だなと失笑する。ミツキ付きの護衛騎士たちに、労いの言葉をかけていると、アイラが部屋の中から出てくる。

「おや、あなたも大概早くから来ていますね」

「ウェリントン公爵さま。おはようございます。昨日の今日で、ミツキ様の様子が気になりましたので…」

「そうですか。仕事熱心なのは良いことですが、あなた自身もゆっくり休んでくださいね」

「もったいないお言葉、ありがとうございます。恐れ入ります」

「それで、ミツキの様子は?まだ寝ていますか?」

「いいえ、もう起きられています」


 翡翠の間に入ると、アイラが小さな声で報告してきた。やはり、ミツキは昨夜は碌に眠れていないらしい。しかも泣いていたようで目が腫れていると。こんな時くらい予想が外れて欲しかったのだが、さて、なんと声を掛けようかと考えていると、勢いよく寝室のドアが開いた。

「おはよう!団長!って、あれ違った。…レオ?随分早いね。団長かと思ったよ」

「ミツキこそ、随分お早いお目覚めで」

「あ、うーん。何か眠れなくって。落ち着かないからストレッチしてたんだけど…ん?なんかお酒臭い」

「あー、失礼。臭いますか。さっきまでルークと呑んでいたので」

 ビクッと過剰に反応する美月を見て、レナードは自分の勘が限りなく正解に近いものだったのだと確信する。

「さっきまでって、もう朝だけど。飲み過ぎだよ」

「ええ、ですので、ルークは潰れています」

「えっ…」

 美月の表情が瞬く間に憂いを帯びていく。

 …おや?

 レナードの柳眉が微かに上がる。


「二日酔いにはシジミの味噌汁がいいってお母さんが、って…、そんなものないか。うーん。じゃあ、ちょっと待ってて」

 そう言うとミツキは寝室に引き返した。少しして、持ってきた紙切れをレナードに渡す。

「それ、私の国で運動前に飲むアイソトニック飲料の手作り版レシピだから。塩分濃度とか砂糖がこっちのものと同じかわからないけど。二日酔いの時も効果があるってうちのお母さんがよく飲んでたから、ルークに飲ませてあげて?」

「ありがとう、ミツキ。あなたも寝不足でしょう。無理をしてはいけませんよ」

「そうね、わかった。ありがとう」

「では、不届き物の殿下にお届けいたしましょう」

「えっ!?」

 何を言い出すのだと驚く美月に、レナードはにっこり笑い、慇懃に礼をする。

「あなたが大事に思ってくれているように、我が主はあなたのことをとても大切に思っています」

「う、うん?」

「もっとも、これ以上は本人の口から聞いてください」

「う、うん。よくわからないけど、わかった」

「ああ、私もこれを頂いてもよろしくて?」

「もちろん!レオも無理しないでね」

「ありがとう、ミツキ。では」


 レナードが部屋を出るのと同じくして、団長が顔を見せる。

「ミツキ殿、出られるか?今日こそは負けないと言いたいが、まずはドリブルのコツを教えてくれ」

「おぉー、団長やる気だねー!いいよ!あと、パスの時は、先ずインサイドを使う事から慣れていったらどうかな?」

「んん?何だ、それはどうやるのだ?」

「訓練場で説明するよ。行こう!」

 バタバタと慌ただしく出て行く、美月とオリヴァー団長を見送りながら、アイラは、先程からのレナードの言葉に想像をめぐらしていた頭を、仕事モードに切り替えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る