第29話 恋の病

「…妙、ですね」

「なんだ?」

 レナードは父親のダニエルを見送り、扉を閉めルーカスの側まで戻ってから、幾分声を潜めた。


「変だと思いませんか?」

「エアージョンの対応か?」

「そうです。そもそも、ミツキの召喚に失敗して、すぐにこちらに親書とともに先触れを出してきたくらいです。しかも、エアージョンにはミツキを王太子妃として迎える準備までしてある。そのミツキを…、本当にひと月後、元の世界に戻すのでしょうか」

「俺も気にはなっていたが…」

 レナードの言葉に、ルーカスも眉根を寄せ、答える。


「なあ、レオ。サミュエル王子がミツキ殿を元の世界に戻して、得られるメリットはなんだ?」

 オリヴァーも怪訝な顔をしている。


「私もそれを考えているのですが…」

「思いつくか?」

「いいえ、全く。強いて言うなら、ミツキに対していい格好できるということぐらいですね」

「もう会うこともないというのに?それはメリットになるのか?」

「ですから、強いて言うならと言ったでしょう?ルーク。ああ、そうですね、あなたならそんなメリットは欲しいと思いますか?」

「えっ………。そ、れは…、もし、共にいられないのであれば…、欲しいかもしれない」


「……」

「……」

 レナードもオリヴァーも絶句した。


 “――重症だ!”


 一国の、経済大国ハーヴェロード王国の、王太子ともあろうものが…、何なんだその自信の無さは!今朝方言いすぎたか?いや、しかし…。


「ルーク、それと指示のあった件ですが」

 レナードは無理やり話題を変えることにした。


「ん?ああ、どうだ?動きはあるか?」

「ええ、やはりブラウン伯爵とエクセター侯爵が、エアージョン側に接触しようとしていますね。あと、レスター辺境伯は、正式に面会を申し出ています。こちらは、辺境伯のご令嬢がエアージョンに嫁ぐことになっていますので、そのためかと」

「ああ、そうだったな。問題は、ブラウン伯爵とエクセター侯爵だな」

「そうですね。その方々は、もともとミツキの教育係の時にも反対していましたからね。年頃のご令嬢もおいでる様ですし、あわよくば、いえ、本気で王太子妃を狙っているみたいですよ」

「ああ、会うたびに伝わって来る…。勘弁してくれ…」


「ブラウン伯爵とエクセター侯爵といえば、イザベル嬢とマチルダ嬢か。なるほど、どちらも迫力のある美女だな。取り巻きも多くて華やかだよな。爵位に興味があるというのはああいう令嬢のことか」

「オリヴァー、嬉しそうに言うな!他人事だと思って。…そうだ、今度、夜会の時はお前がその令嬢二人の相手をしろ!お前もそろそろ身を固めないとな?」

「!…申し訳ございません、殿下。言葉が過ぎました」


「二人とも、いい加減にしてください。話がそれていますよ。ブラウン伯爵とエクセター侯爵の方は引き続き監視下に置くとして、まあでも、夜会は開かないといけませんがね」

「は?なぜだ?」

「サミュエル王子の歓迎も兼ねて」

「勝手に来たのだ。かまわん、放っておけ」

「…そう出来たら良いのですがね。一応、友好国の王子ですし、ひと月も滞在するのですし…。でも、メインは、ミツキとルークの婚約披露ですよ」

「えっ!それは…、いや、しかし」

「何か問題でも?陛下も認めておりますし、議会でも公表しましたが?」

「表向きはそうだが、そうではないだろう!」

「表向きがそうだからです。しっかり表を固めてサミュエル王子を牽制しないといけません」

「ミツキは帰ると言っている…」

「おや、一晩で随分弱気になりましたね。共に有りたいと陛下に宣言したのでは?」

「ぐっ…」

「ルーク、よろしいですか?ここまでお膳立てするのですから、しっかりしてくださいね?」

「わ、わかった…」

 レナードの気迫に押されたルーカスは、さっそく夜会のことを伝えに翡翠の間に



 寝室に篭もり、ライティングビューローで一心に書物をしていた美月が、アイラのかける声に気づいたのは、五回ほど呼ばれてからだった。

「あ、ごめん、気づかなかった。なに?」

「ルーカス王太子殿下がお見えになっておられます」

「…。分かった。すぐ行きます」

 美月は、深呼吸を繰り返し、書いていたノートを持ち寝室を出た。


「ルーク、どうしたの?急ぎの用事?」

 努めて平静を装ったのだが、表情も声も緊張感に溢れていた。


「ミツキ…」

 ルーカスは困ったように微笑んだ。

「アイラ、少し外してもらっていいか?」

 ビクッと反応する美月にそっと囁く。

「大丈夫だ、ミツキ。何もしないから」


「…うん。わ、わかった」


「さて、ミツキ。まず…、今朝はありがとう。レオから受け取ったよ」

 ソファーに向かい合わせに腰を掛けると、ルーカスが静かに話した。

「あ、そうだ。二日酔いだって?もう大丈夫なの?」

「あー、なんとかな。ミツキのおかげだよ。ありがとう」

 僅かに目を細めて微笑む姿は、キラキラと光がこぼれているようだ。

 こんな顔、ずるい。考えないようにしているけど、無理だ。


「よかった。うちのお母さんもよく二日酔いになるし、結構いいのよ、あのドリンク。あ、運動の前後の水分補給にもいいから、騎士団の皆にもいいんじゃないかな?遠征の時とかもいいかもよ?」

「そうか、なるほど、検討しよう」

「うん…」

 話が途切れると俯くミツキに、昨日の己の行いを後悔して止まないルーカスは、ぐっと両手を握り締め、その切なさに耐えた。


 美月もまた、両手を握り締め、切ない思いに耐えていたが、ルーカスのそれとはまた違っていた。

 忘れようとしても忘れられない、一昨日からのルーカスの甘い誘惑に心は乱され、どうしてもその憂いを含んだ瞳に、口許に、目が釘付けになってしまう。胸が騒ぎ、眦が熱くなるのを自覚しながら耐えていた。


互いに無言で過ごす時間がとてつもなく長く感じていた。


「それで、」

「あのっ」


同時に顔を上げ見つめ合っては目を逸らす。二人以外の者がいれば、いいかげんにしろと言うであろう。何度か同じ事を繰り返していた。


「ミツキ、そのまま…、顔を上げずに聞いてくれ」

「…うん」

「その、昨日も、一昨日も…ミツキの気持ちも考えず、すまなかった。申し訳ない」

「あ…、う、ん」

「それで、こんな時になんだが、今度夜会があってな」

「うん」

「あー、サミュエル王子の歓迎も兼ねてなんだが」

「歓迎するんだ」

「ああ、俺も放っておけといったのだが、そういう訳にもいかないらしい」

「そんなこと言ったの?」

 思わず顔を上げて、また俯く。

「あ、いや、それで?」

「ああ、その夜会なんだが、メインはミツキ、お前と俺の婚約披露だそうだ」

「そうなんだ。…………って、ええ!」

「鈍いな」

「いや、なんで?私もう帰るから、この話は無くなったんじゃないの?」

「無くなってないぞ。こちらはサミュエル王子の言葉をすべて信用しているわけではないからな。牽制は続ける」

「そう、なんだ」

 まだ、続けるんだ。それって、辛すぎるんだけど…。

 熱くなっていた眦から零れる泪を止められなかった。


「え、ミツキ?!」

「ご、めん…ちょっと…待って」

 どうしよう。私、ルークのことが好きだ。ずっと。だから嫌だったんだ、こんな嘘の関係。なのに、まだ続けるって…辛いっ。

「うっ…ふ…ふぇぇっ」

 子どものように泣きじゃくる美月に、ルーカスは為す術もなく、抱きしめたい想いを堪えながら、見守るしかなかった。



「落ち着いたか?」

「うん。…ごめんね」

「いや…」

「ルークの方が辛そうな顔をしてる。ごめん、困らせてるね。私に付き合ってくれているのに」

「大丈夫だ」

 ルーカスは優しく笑う。


「…その手に持っているのは何だ?」

「これはね、サッカーのトレーニングノートを書いていたの。そうだ、ルークに聞こうと思って持ってきたんだった」

「どうした?」

「騎士団のみんなに、残りひと月のトレーニング内容と、私が居なくなった後のトレーニング内容を書いていたんだけど、今はルークの魔法で読めると思うんだ。でね、この私の文字って、私が帰っても皆見られるのかなぁって…」

 ルーカスを見ると、前髪をくしゃりと掴んでいる。その手を押さえるように左手を添え、目を閉じ、何かに耐えているようだ。

「ルーク?大丈夫?」

 美月が思わず手を伸ばす。刹那、

「触るなっ!」

 ルーカスの声が響いた。


「えっ」


「頼む、…今は俺に触れないでくれ」


 自分のもとから去ろうとする美月を、憎いとすら思える。その手を掴んで離したくない。

 今触れられると、きっと堪えられなくなる。


「…うん」

「文字は、見えるようにしておく。大丈夫だ」

「ありがとう」

 何が起こっているのかわからない美月もまた、ルーカスから距離を取り、じっとしているしかなかった。


 互いにどうしようもなくこじらせてしまっている事に、気づかないふたりだった。

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