第20話 サミュエル王子
アイラは開いた口が塞がらないという言葉を体感した。
お約束の美月の食欲も、さすがに今日ばかりは…と、心配したことを後悔する。
「朝からたくさん動いたから、補給しないとねー♪」
美月の食欲は本日も旺盛。
標準装備を崩すことはなかった。
とはいえ、いつもと変わらない美月の様子にアイラはホッとする。
殿下来て安心したのか腹をくくったのか解らないが、今は、先程までの不安な様子は感じられなかった。
美月の様子を心配して確認に来ていたルーカス王太子殿下の使いに、その様子をそっと伝える。
そうして、美月のこの逞しさと人を引きつけて止まない人柄に、「やはり、ルーカス王太子殿下のお相手には、やはりミツキ様しかいないですわ!なんとしてもこのまま成就させなければ」と心に誓うのであった。
昼食を終えしばらくすると、面会の準備が整ったと知らせが届く。
美味しい食事をしたし、力も漲っている。
本当は会いたくなかったけれど、「会え」というのだろうから仕方がない。
何が目的か判らないけど、せっかくのご指名だ。
変態王子に屈してなるものか!
「よし、行こう!」
美月は言葉と一緒に気合を入れ、翡翠の間を後にした。
応接室には既にルーカスとレナードが待機していた。
「ルーク、レオ!二人とも忙しいのにありがとう」
「大丈夫だ、心配するな、ミツキ」
「そうですよ、ミツキ。心配には及びません。ルークはこの場にいない方が使い物にならないでしょうから、ここにいることが今のルークに出来る唯一の仕事なのです。かわいそうなので、取り上げないでください」
「おいっ、なんだそれは」
涼しい顔をして笑うレナードとは対照的に、不満げなルーカス。
私は思わず吹き出した。
このふたりが居てくれる事が、何とも心強い。なんだかんだ安心できる。
笑う美月に安堵したのは、ルーカスとレナードの二人も同じだった。
やがて、サミュエル王子の来室を告げるトマスの声が響いた。
緊張に顔が強張る。
「失礼するよ」
開かれた扉から現れた人物は、一言告げて顔を上げ、室内に居る美月たちに目を向けた。紺の髪は長く、後ろで縛っている。ウェーブした前髪から覗く紫の瞳は紫水晶のように煌めいている。目許にある泣き黒子が、その美貌に妖艶さを演出していた。
これはまた、綺麗な王子様だと感心していると、その麗しき王子は美月を視界に認めると、破顔した。
―――ん?
何?
そんな親しげな顔をされても知らないって、―――ええっ!
「美月!会いたかった!」
いきなり駆け寄ったサミュエル王子に抱きつかれると思った瞬間、身体を後ろに引かれ、美月はたたらを踏む。
サミュエル王子の腕は虚しく空を切った。
自分の腕の中に抱きしめるはずだった人物の前に立ちはだかる男を見て、サミュエルは眉根を寄せ、不満を隠そうともしなかった。無様に崩れた体制を整え、ルーカスを一瞥する。
「……なんだ、邪魔しないでくれる?ルーカス殿?」
「邪魔とは失礼な。そちらこそいきなりレディに抱きつくのはいかがなものですかね?サミュエル殿?」
美月の前に出たルーカスはニッコリと笑っている。サミュエルも笑顔で対峙しているが、相変わらず眉根は寄っていた。互いの眼力が尋常ではない圧力を放っている。
その二人の後ろで美月は固まっていた。
ルークの様子からそんなに仲がいいとも思ってなかったけど。
いやいや、これ、そんなレベルじゃないよね?
笑っているけど笑ってないし!
何これ、一応友好国じゃなかったの?怖いんですけどー!
そんな美月の心の叫びを知ってか知らずか―――。
先に視線を反らせたのはサミュエルだった。ルーカスの後ろを覗き込むように、美月を見つめる。
「ああ美月、君のドレス姿が見られるなんて幸せすぎる。もっとたくさん着飾らせて、国中に美月を見せびらかして回りたいよ」
サミュエルは「陶酔」という言葉がぴったり当てはまる虚ろな目を美月に向ける。
だから、そんな目で見られるような知り合いじゃないよね~?
ダレ、コノヒト―――!
美月の表情は、引き攣りますます青くなった。
「お気遣いありがとう。それはこちらで行いますのでどうぞご心配なく、サミュエル殿」
(おまえはお呼びじゃない、とっとと国に帰れ!)ルーカスの心の声がダダ漏れだ。
「ルーカス殿、僕は、美月と話がしたくて来たんだけど。ホント、君、邪魔だよ」
(なんでボクとミツキの間に割り込むわけ?君こそ部屋に篭って仕事してなよ!)こっちもダダ漏れだった。
…なんだこれ。うちの子に口出ししないでーみたいな?
二人は私のオカンか!
そのうち、私の手を引っ張って痛がる私の手を離したほうがオカンだなんて、って大岡裁きか―――!
いや、待てよ。
そうすると大岡越前守はレオだよね…。
冷静なようで暑くなっている王子たちを、辛辣な言動でバッサバッサと切り捨てるレオを想像してしまう。有リ、でしょう……。
ちょっとニヤける。
はっ―――、しまった。
つい、妄想を…。
あまりに見目麗しい王族のにらみ合いに、すっかり現実逃避していたわ。
つかの間の妄想から美月が現実に戻ってきても、二人はまだ言葉の応酬を繰り広げていた。
「五月蝿い」
流石にねえ―――。
「え?」
「は?」
「あら、失礼。聞こえませんでしたか。う・る・さ・い、と申しましたの。立ち話もなんですから、どうぞお座りになってください。サミュエル王子にはお伺いしたいことがいくつか、いいえ、山ほどございます。キッチリお答えくださいね?さあ、ルーカス王太子殿下も」
後ろで、レオが必死に笑いをこらえているのを感じる。
運ばれてきたお茶を口に含みながら、ちらりと目の前のサミュエル王子を見る。
うん、全く覚えがない。
「それで、サミュエル王子。―――初めまして、ですよね?」
「ん?ああ、失礼したね。あまりの嬉しさに自己紹介を忘れていたよ。エアージョン帝国、第一王子のサミュエル・ロバート・エアージョンだ。よろしく、ミツキ・ネモト殿」
やっぱり初めてなのよね?
差し出された手を握る…
「あの、サミュエル王子?」
サミュエル王子とその手を交互に見比べる。
「ん?ああ、失礼、嬉しくて離せなくなっていたよ」
そう言いながら、すぐには手を離そうとはしない。なかなかにしつこい。
隣に座ったルーカスが苛立ちを隠そうとしないのも、後ろのレナードが相変わらず笑いをこらえているのも手に取るようにわかる。それは、サミュエル王子も同じようだった。
やっと離してくれた手を、直ぐに膝の上に置く。
さあ、ここから質問タイムだ。
「ところで―――、殿下は何故、初対面の私のことを知っているのでしょうか?」
うん、言葉としておかしい。おかしいけど、そういう事だよね?
さあ、しっかり答えてもらおうじゃないの!
「ん?ああ、そうだね。それはもちろん、僕が君を呼んだからだよ」
――――。
眉根が寄った。
言葉として、いや、答えとしておかしいよね?おかしいランキングがあれば、今、一気に上がったよ?
…いや、ここは冷静に。
「呼んだとは、どこにでしょう?」
「ここに。ああ、いや、正確にはここじゃあないんだ。君は僕の国、エアージョン帝国に来る事になっていたんだ」
―――来る事になっていた?
「は?なぜ?」
何故、決定事項なわけ?
「いや、だから、僕が呼んだからだよ」
「………」
美月は頭を抱えた。いや、正確にはまだ抱えていなかったので、抱え込みたかったというのが正解か。
何なんだ、この王子は!
ワザとか?
馬鹿か?
「まあ、そうイライラしないで、美月。可愛い顔が台無しだよ」
にやりと笑われ、背筋が冷たくなる。
「つまりね、僕は、君に前から目をつけていたんだ。僕の周りには美しく咲き誇る花はたくさんいるけど、美しいだけだったり、身の丈以上の要求をしてきたり、なんていうかね、一緒にいても楽しくないんだ。これってルーカス殿も似たようなものだよね?きっと」
「あ、ああ、…そう、だが」
突然話を振られて、ルーカスは慌てて返事をした。
ルーク…。なに、同意してるのよ…。
その答えに満足げに頷くサミュエル王子。
「だよねー。それで、僕は近場で探すのをやめたんだ。あ、美月のことを見つけたのは彼だよ」
そう言われて改めて後ろの人物に目をやると、従者と思わしき人物の後ろに、黒のローブマントを着て、青いストレートの髪を肩で切りそろえた、赤茶色の瞳の人物が立っているのに気づく。
おおっ、青い髪!異世界っぽい!
「彼に探してもらって、美月をエアージョン帝国に呼び寄せる儀式の途中…、最悪だったよ。彼、風邪気味だったって儀式の途中でくしゃみしたんだ。そしたら途中で術が切れて、美月はここに落とされたってわけ。分かった?」
分かるわけないでしょう!
悪びれもせず普通に説明って、どんだけよ!
「僕は早く美月に逢いたかったのに、彼、ああ、メイソンね。メイソンが術を使った後遺症と風邪をこじらせて動けなくってさあ。やっと今日来れたんだよ。まあメイソンはまだ歩くのがやっとだけどね」
「あら大変、じゃあメイソンさんに座っていただきましょう。―――って流されるところだった」
「ん?」
サミュエルは美月を眺めてはその度に相好を崩している。
はっきり言って用事にならない。
「メイソンさん、どうぞこちらへ。あなたにもお伺いしたいわ」
本当に体調は戻っていないようで、よろよろと青い髪の魔導師が席に着く。その瞳に覇気はなく、どこか怯えているようにも見える。そうして再びサミュエルに目を向けた。
「それで?私はあなたの自己都合に振り回されて、ここに呼び寄せられているということよね?…一体、私をどうするつもり?」
ああ、やっと本題にたどり着きそうだ。
「決まっている。美月、僕と一緒にエアージョン帝国へ行くんだよ!君を僕の妻に迎える。一緒に、国を治めて欲しいんだ、王妃として」
「……は?」
まさかの王妃召喚?
いや、無いでしょ。
隣のルーカスも絶句している。
「…サミュエル王子。あなたの周りには、その暴走を止めてくれる人は居ないの?私には私の生活があるのよ?それをまるっと無視なんて可笑しいでしょう?私の人生はあなたの自由になるものなの?」
「変な事を言うね、美月。僕は王子だよ。君は?」
僕は王子?
だから、何?
そんな事知っているわよ。
「あなたこそ変な事を言うのね。私は私、それ以上でも以下でもない。あなたのその王子の称号はあなたを縛るものであって私を縛るものではないはずよ!巫山戯てないで私を元に戻して!」
「巫山戯てないさ、僕はいたって真面目だよ。ずっと君を見てきたんだ。もうこれ以上は耐えられない。さあ、僕の手をとってくれないか」
なに?
ずっと?どうやって?
―――って、まさかのストーカー?
それも異世界から?
訝しげに見る美月の視線を気にすることなく、サミュエルは微笑んで手を差し出している。というか、目がイっている。
「話にならない、ちょっと、メイソンさん。あなたが私を呼んだのよね?責任もって帰してくれる?」
こうなったら、こっちに言うしかない。
「いえ、私はその…、言われただけで…」
「で、呼んだのよね?」
「いえ、その、あの術は非常に難しく体力を奪うので…」
「だから?」
「ですから、その…」
メイソンはちらりとサミュエル王子を見た。
「私はあなたに聞いているの、メイソン!私だってサッカーの試合だってあるし家族も友達も待っているのよ。さあ!戻れるの戻れないの?どっち!」
ちゃんと答えて!
「…戻れ、ます」
やった!
しかし…、
「いいのかい?」
「え?」
意味ありげにサミュエル王子が話に割って入ってくる。
いいに決まっているでしょう!
元に戻るのだから。
訝しげにサミュエルを見ると、その口元が弧を描いていた。
「君の世界に戻ったら、もうここには帰ってこられないよ」
「あ…」
そう、なんだ…。
サミュエルの言葉に、どこか意識が遠くなってしまいそうだった。しかしそれは一瞬のことだった。
「どういうことだ?」
ルーカスの声に、現実に引き戻された。
自分の顔の筋肉が強ばっていくのがわかる。
「あれ?もしかして言ってないのかい?」
サミュエルの少し楽しそうなその声に、美月は表情を歪めた。
「ミツキ、城の中では随分君の噂を聞いたよ。それとルーカス殿との噂もね。二人、随分好い仲だそうじゃないか。ひどいよね、ミツキは僕のものなのに。まあ、いいさ。僕は過去にはこだわらないし。―――だけど、肝心なことを言ってないようじゃ、噂もどうだかわからないね」
サミュエルはルーカスを一瞥し、ニヤリと笑った。
「ミツキはさ、本当に住む世界が違うんだよ。ルーカス殿は聞いたことあるかな?異世界って」
「な、…にを」
「ミツキは異世界の住人だよ。異世界から僕が呼び寄せたんだ。だから、帰ったらもう戻ってこられないよ?交わることのない世界だからね」
ニヤニヤと笑うサミュエル王子から目が離せない。いや、正確には、ルーカスの顔が見られなかった。
…恐い。
何が恐いのか分からなかったが、とにかくルーカスの顔を見るのが恐かった。
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