第17話 束の間の夢

 昼食までの時間を女子トークに費やした美月は、食事を終えると、東の正門前まで来ていた。

 ここに来るまでの間、ずっと城内の人々の視線に晒されてきた。いや、むしろ羨望の眼差しで、その一挙一動を注視されていた。立哨に至っては敬礼までするものもいた。


 違うでしょ。私、王族でも何でもないから、一般人ですからっ!


 はーっと大きなため息をつき、クイッと顔を上げ、気を取り直す。

「さてと、ここに来てみたものの、どうしたらいいか見当がつかないんだよね。明日には変態王子が来るだろうし。ん?まさか朝一で来たりしないよね?」

「それはないと思うぞ」

「ひゃっ!」

 急に後ろから聞こえた声に、慌てて振り返ると、腕組みをしたルーカスが立っていた。


「ちょ、ちょっとルーク!急に声をかけないでよ!心臓が止まるかと思ったじゃない」

「そんなヤワな心臓か?」

「失礼ね!うら若き乙女に向かって」

 聞き捨てならない。ちょっと鼻息が荒くなりそうだ。


「乙女ね…。聞いたぞ、武勇伝」

「えっ」

 にやりと笑うルーカスに、顳かみを引きつった。

「何で、ルークまで知っているの」

 ちょっとだけ悪い顔で笑う王太子。何をどこまで聞いている?


「阿呆、俺は王太子だ。情報は全て集まってくるようになっている」

「あー、そういえばそうだったね。なるほど」

 まずい。ボーラの件は知られてないよね?


「そういえばって、忘れるか?」

「あー、そうだよね。はははっ。なんかもう、色々注目浴びすぎて、目眩がしそうだよー」

「倒れる前に言えよ。抱き抱えてやるから」

「ん?えっ!」

 そ、それは流石に勘弁して欲しい。


 ルーカスは真っ赤になり戸惑う美月の手を取り、指先に口付ける。

「綺麗だ、ミツキ。今すぐ攫いたいくらいに」

 エメラルドグリーンの瞳をわずかに細め、甘く微笑む。


 いやいやいや、ちょっと!ルークこそ色気がダダ漏れでしょう!

 これってやりすぎじゃない?大丈夫か?こんなことされて、そんなセリフ吐かれたら、間違いなく女子は勘違いするって!


 漂う甘い空気にいたたまれず、美月が口を開く。

「そうだ、ルーク。魔法使えるでしょう?ちょっと私をあそこに持ち上げてくれない?」

「は?」

 美月が指さしたのは、頭上の空間、3~4メートルはあろうか。

「何故だ?」

「んー、何か分かるかな、と。ほら、ここからは見えない何かがあったりしないかなー、とか」

 私は真剣だ。なのに…。

 ルークは口を開けたまま一瞬固まった。

 さらには盛大にため息をついて、異質なものを見るような目を向けてきた。


「呆れたやつだ。死にたいのか?」


 死にたいなんて、そんな訳無いじゃない。

 だから、これでも真剣なんだって。


「だって…、何の進展もないし、明日には変態王子が来るし、焦るのよ」

「明日になれば、サミュエル王子が関わっているかどうかがわかるだろう。それからまた考えてもいいじゃないか?」

「うん、そう…、だよね…」

「どうした?」


 美月は不意に眼を伏せる。ルーカスの言うことは分かるのだが、変態王子に会いたくはないし、何より感情がついていかない。


「分かっているのよ?ルークの言うようにとりあえず明日まで待って、それから判断したらいいてことも」

「ならば…」

 顔を上げると、ルーカスが真っ直ぐな瞳で見つめていた。この世界に来てどれほどこの瞳に救われてきたことだろう。


 ほんの数日のうちに、美月にとってかけがえのないものに変わっている。

「でも…」

 しかし、ここは異世界だ。美月は言葉に詰まる。

「分からなくて…、どうしたらいいのか、どうしたいのか。いろんなことが余りにも分から無さ過ぎて…」

 自分のことなのに、思うように動けない。自分の知らないところで決められたことに、従っていく。元の世界がどうとか、何が自由かと聞かれれば、私たちの世界だって同じなのかもしれないけれど…。


「ミツキ…」

「ふふっ、贅沢だよねー。どこの誰かも分からないのに、トレーニングできる環境まで与えてもらってさ。しかも王太子殿下の婚約者だよ。これ以上何を望むんだかねぇ。罰が当たっちゃうよ」

「バチ…?」

「そう、罰が当たる。そんな言葉も無いんだね。まあ、そんなこと言うのは日本だけかー。―――私…、帰らなきゃ。きっとみんな心配してる」

「ミツキ…」

「うん、そう。帰らなきゃ。帰れるかどうかわからないけど」

「なぜ、分からないのだ?日本という国がどこにあるか分からないからか?」

「そうだね…。分からない」

「探せばいい。そして…」

 ルークはハッと目を開き、口許を手で押さえる。美月から目をそらし、黙り込んでしまった。

「ルーク?」


 二人、無言のまま時が過ぎる。


 目を反らせたまま考え込んでいるようなルークは、きっと話の続きはしないだろう。なんだかまずいことでも言いかけた、そんな反応だった。


 ならば、と、口を開いたのは美月だった。


「私…、今度ね、試合があるんだ。サッカーの」

「ああ」

「リーグ戦を勝ち上がって、決勝トーナメントに進出して…、ふふっ、ライバルたちをなぎ倒して、優勝しようって約束したんだ、みんなと」

「そうか」

「この前の地区大会、決勝で負けたから雪辱戦。でも負けたのは、私のせいなんだ。怪我していて普段通り動けなかったのに、無理してチームに迷惑かけた。早く交代していればって…、後から悔やんでもどうしようもないけどね。誰もそれを責めないの。それが辛くって」

 なんでこんな話をルークにしているんだろう。そう思ったけど話していて自分の言った言葉にドキッとした。

 ―――私、辛かったんだ。あの時から続いているモヤモヤってこれ?


「ならば、ミツキは負けたときに誰かを責めるのか?」

「そんなことしない」

「だから、そういうことだろう」

「でもっ、あれは、明らかに私のせいだもの…」


 一瞬の沈黙。


 あれ?そう言われればそうだよね。

 じゃあ、このモヤモヤは?


「…ミツキは、責めてもらうことでなにが楽になるんだ?」

「楽に?」

「お前が悪者になることで、なにかから逃げているんじゃないのか?」

「!」


 逃げるという言葉に、胸を抉られたようだった。


「何だ、図星か」

「ルーク!」

 思わず眉根を寄せる。

 そんな私を見て、ルークは優しく笑った。


「そんな怖い顔をするな、ミツキ。悪いと言っているわけじゃない。逃げたい時もあるだろう」

「―――でも、逃げちゃだめよ」

 弱いところ、隙を狙われる。怪我をしていた私も然り…。


「なぜ?」

「なぜって…、立ち向かわなきゃ」

 そう、弱いところ―――。


「何に?」

「…チームの課題」

 そうだった。試合中に感じた違和感。連戦の疲れもあったかもしれないが、それは相手チームとて同じだ。ディフェンスから攻撃への切り替えが遅くなっていた。攻撃のバリエーションも単調で、サイドからの切り崩しも活かすことができなかった。ロングボールに頼りすぎたのは、パスが繋がらなくて…。


「ルーク、ありがとう!うん、見えてきた!ダメ出ししていても埓があかない、どうすればできるのか、うちのチームの強みを生かすには何が必要か。まずは、ミーティンだ。話し合わないと」

 ―――その為にも帰らなければ!


 瞳を輝かせる美月をルーカスは眩しそうに見つめる。

「見てみたいものだな、サッカーの試合、ミツキの姿を」

「ふふふ、それは是非。面白くて興奮するわよ。あーでもヤバイかも」

「ヤバイ?」

「私、チームの司令塔なんだ。格好よすぎて惚れるかもよー」

「…女官のようにか?」

「えっ、その話も知ってるの?」

「当たり前だ」

「あぁぁぁぁ」

 頭を抱えると、ルークに声を上げて笑われた。

 何気ない言葉のやりとりも、優しい笑顔も、かけがえのない時間。この時間がずっと続いて欲しいと、心の底で思っていた。でも、気づかないふりをした。



「ああ、そうだ。今日の夕食は迎えをよこすから、待っていろよ。ウロウロするなよ」

「え?そうなの?どこに行くの?」

「んー、ミツキに会わせろと五月蝿くてな」

「ふーん。分かった。ちゃんと待ってるから」

「頼んだぞ。じゃあ、俺は執務に戻るから、ミツキもここであまり飛んだり跳ねたりしてるんじゃないぞ」

「見てたの?!」

 ルーカスに盛大に笑われて、美月は観念して部屋に戻ることにした。


 

 翡翠の間に戻ると、アイラが慌てて駆け寄ってきた。

「ミツキ様、ようございました。今からお迎えにお伺いするところでした」

「どうしたの?」

「晩餐の予定が変更になりまして…」

「さっきルークが言っていたこと?」

「まあ、お聞きになっているのでしたらようございました。さあ、では、急ぎお召換えを」

 そうアイラが言うなり再び侍女のなすがままにならざるを得ないくらいに囲まれた。

「えっ、ま、待って。あまり詳しくは聞いてないのだけれど…」

 美月の動揺を構うことなく、侍女が新たにコルセットをとドレスを着付けていく。淡いクリーム色の生地に銀糸が織り込まれており、光に反射して華やかな印象のローブデコルテのドレスだ。結い上げていた髪は一度解かれ、櫛で梳いたあと、コテで丁寧に巻き上げていく。

 侍女たちの鬼気迫る様子に大人しくしたがっていると、準備が終わったと同時に迎えが来たとの知らせが届いた。


 招かれた部屋に入り、固まりそうになる美月をルーカスがエスコートしてくれる。美月を座らせると、ルーカスもその隣の席に着いた。向かい側の席についているのは、若い男女。王子と王女だ。上座には国王夫妻。美月は詳しく聞かなかった自分を呪いそうになる。と、同時に、王族の持つ品格と煌びやかさが眩しく、眩暈がしそうだった。


「ミツキ殿、不足はないか?」

「は、はい。ルーカス王太子殿下をはじめ、皆様に大変良くして頂いています」

「うむ。遠慮なく申すが良いぞ」

「勿体無きお言葉。ありがとうございます」

「まあ、そう硬くならずに、私もミツキさんとお話がしたいわ」

 王との会話に入ってきたのは王妃だった。ルーカスと同じブロンドの髪を結い上げ、好意に満ちたブルーの瞳を細めて微笑む。

「あの、女性を寄せ付けなかったルーカスが、突然婚約だなんて。それも一目惚れですって?私は夢を見ているみたいだわ」


 そうです。それは夢です。と言いたくなるが、堪える。


 “あれ、王妃様も知らないんだっけ?”

 と、ルーカスにアイコンタクトする。

 “そうだ”

 とルーカスが返す。その様子はまるで二人して見つめ合っているようで、ますます王妃の期待を高めることになった。

 あとはもう何を話したのか、覚えていないが、晩餐は和やかな雰囲気の中、終了した。


 翡翠の間までルーカスに送ってもらった美月は、短く溜息をついた。

「もう、言っといてよ。ビックリするじゃない」

「先に言えば緊張してガチガチになるだろうが。ミツキはそのままでいいんだよ」

 クスッと笑う王太子は、憎らしいくらいにキラキラしていて。


「まーた、そんなこと言って。まあ、楽しかったからいいけどさ」

 しょうがない、許してあげようと釣られて笑った。


「そうか。ありがとう、ミツキ」

 そう言うと、ルーカスに腕を取られ、抱きしめられた。


「ル、ルーク、あのっ」

「黙ってろ…、ミツキ…」

 翡翠の間の扉は開け放されたまま、固く抱きしめられる。所在なさげに宙に浮いていて美月の腕も、いつの間にかルーカスの背に回っていた。


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