第16話 噂のひと

「城内は、ミツキの話題で持ちきりですね」


 朝議の後、執務漬けのルーカスは山と積まれた書類に片っ端から目を通して、裁決を下していた。

 朝議ではルーカスと美月の婚約の報告がなされた。美月の心配は最もなところで、昨日の今日で婚約となると文句も出ようものである。しかし、そこは先に国王に話を通し、その婚約を認められているために、異論と唱える者はいなかった。


「なんだ、婚約のことか?」

 レナードの意味ありげな話題の振りに、書類から目を離さないままルーカスが返事をする。

「ああ、その事もありましたね」

 ルーカスの手が止まった。


「…他に何かあるのか?」

 訝しげに顔を上げるルーカスに、にやりとレナードが笑う。

「今朝、騎士団の訓練場でオリヴァー騎士団長と、サッカーとやらのトレーニングをしたそうですよ」

「許可したからな」

「何でも、あのオリヴァーが、手も足も出ないくらいこてんぱんに叩きのめされたそうです。ええ、まるで赤子の手をひねるがごとく、とも言っていましたね。見学していた騎士団の面々が。」


「は?どういうことだ?」

 叩きのめす?一体何をやったというのか。

 トレーニングをしていたのではないのか?


「そういうことです」

 レオが真面目くさったすました顔で答える。

 だが口許は弧を描いている。

 ―――いつになく楽しそうじゃないか。

 情報を小出しにしながら楽しげなレオに、俺はイラつきを覚える。

 

「ウェリントン公爵?ちゃんと報告しろ、俺で遊ぶな」

「は、失礼いたしました。ルーカス王太子殿下」

 俺のイラつきを感じ取ったレオが、慇懃に礼をする。

 にっこり笑って相変わらず楽しそうだ。


「まあ、つまりこうですよ。トレーニング中にオリヴァーとミツキが勝負することになったそうです。お互いに足だけでボールを奪い合い、ゴールを決めるとポイントが加算されるというルールだったと報告が上がっています。そこで、ミツキはオリヴァーにボールを奪われることなくゴールを決め10のポイントを勝ち取ったと。ああ、一度だけ、オリヴァーの足先にボールが、それもかろうじて当たったことがあったそうですが、それすらも跳ね上がったボールを追ってミツキが飛び上がり、そのまま蹴り込んでポイントは譲らなかったとか」


 足だけでボールを奪い合う?昨日言っていたサッカーという競技のことだよな。それでミツキがオリヴァーに勝ったというのか?あのオリヴァーに?


「…それは、すごいな」

 

「その後、シュート練習というボールを蹴る練習をしたそうですが、フェンスに突き刺さらんばかりの勢いに、さすがの騎士団の面々も、オリヴァー団長も言葉を無くして佇んだとか」


 俺の想像を遥かに超えていた。

 そこで、ハッと気づいた。


「…まさか、朝議の時にオリヴァーの顔色が悪かったのはそのせいか」

「おそらく」


 なんと…。どうりで聞いても言いたがらない訳だ。騎士団長として示しが付かないだろうからな。


「それから…」

「まだあるのか!」

 思わず目を瞬かせた。


「女官が騒いでいたそうですが」

「うん?」

 女官?


「殿下、尖塔に向かう階段ですが、トレーニングでの使用を許可しましたね?」

「ああ、段飛ばしで駆け上がり脚力を鍛えたいというからな。昨夜、許可したが。なんだ?」

 それぐらいなら問題ないだろう。それがどうしたというのだ?


「そのトレーニングの場所に女官が赴き進言したそうです。―――自分たちをトレーニングに使ってくれと。昨日のアイラの一件を聞いたのでしょう」

 アイラの一件…。昨日、涙をにじませながら青ざめた顔を引きつらせ、美月に抱えらて階段を駆け下りていた映像が、脳裏に蘇る。あれをやりたいと進言した?まさか、女官が自ら?

 ……うん?


「自分たち?」


「そうです。今日のところ女官は3人でしたが、食堂で騒いでいた様子から、明日からは尖塔に向かう階段に行列ができるのではないかと」

「………」

 あれを?行列?そんなに楽しいものなのか?

 ―――いや、違う。目的は、ミツキか。


「これでは、城での一番人気の座をミツキに持って行かれますね。いかがいたしますか?」

「そんなものはいらぬわ」

「そうですね」

 わかっているなら聞くな、そう言いたかったが。…とは言え、これだけ規格外な現状を目の当たりにしたのだ。何か言いたくもなるか。


「…まあ、なんとも、比類無きお方ですね。殿下の婚約者殿は」

「まったく…なんとも…だな」

 

 俺は美月の能力に驚きつつも、きっとトレーニングを満喫したであろうその満足気な笑顔を想像し、ふっと笑みが零れた。

「よし、急ぎ残りを片付けよう。明日にはサミュエル王子が来るだろうからな」

「御意」




 トレーニングを終え、翡翠の間に戻った美月は侍女に囲まれていた。

 湯殿で汗を流し、朝食を終えるとともに素早く雪崩込んできた侍女たちは、手馴れた様子で美月のガウンを剥ぎ取り、本日も手早くドロワーズやコルセット、パニエを付けていく。

 

「えっと、今日もドレス?普通の服でいいんじゃない?」

「何をおっしゃいます。今やミツキ様は時のお方!王太子殿下の大切なお方ですもの。わたくしたちも、精一杯お勤めさせていただきますわ」

「はあ…、それはどうも」


 サッカーに関しては押しの強い美月も、昨日から堂に入った態度に変わったアイラには押され気味だった。何やら使命感に燃えているアイラは無敵だ。深い緑のドレスは襟元が大きく開き、さらに濃い緑の豪奢なレースに縁どられている。肘までのパフスリーブの袖の先も同じレースで華やかに飾り立てられている。スカートの部分にもふんだんにあしらわれたレースは、シックな色合いに似つかわない豪奢な雰囲気を醸し出している。纏め上げた髪と胸許の中心に真紅の薔薇をあしらい、アイラは満足げに頷いた。

「ミツキ様、とてもお綺麗ですわ」

「ありがとう。アイラのおかげよ」

「まあ、そんな、もったいないお言葉ですわ」

「でも、これじゃあ走れないわね」

「…走ってはなりません。もう今日のトレーニングは終わられたのでしょう?」

「トレーニングは終わったけど、私の落とされた場所の調査がまだ残っているもの。今日は、ここに来た当時のままの制服で行ってみようと思っていたんだけど」

 と、着せられたドレスを眺める。

「ミツキ様、ミツキ様は本当にそれでよろしいんですの?」

「え?何が?」

「…いえ、出過ぎたことを申しました。どうぞお耳汚しとお忘れくださいませ」

「出過ぎるなんてことないよ、アイラ。気になることは何でも言って?わたしも気づかないことが多いからさ、ね?」

「ありがとうございます、ミツキ様。ではまた今度、気になった時には言わせていただきます」

「うん、わかった。」

「ところで、ミツキ様。この後のご予定はいかがなさいますか?」

「何か入ってた?」

「いいえ、夕刻までは特には」

「そうだねー、東の正門にも行くけど、今はちょっとゆっくりしようかな」

「かしこまりました。ではお茶をお入れいたしましょう。先程ラズベリーパイが焼きあがったそうなので持ってまいりますね」

「え、それは楽しみー。アイラの分もちゃんと貰って来てね」

「まあ、わたくしのことなど。ミツキ様と同じ席に着くわけにはまいりませんわ」

 おお!王道な、お約束の反応だね。

「私に独り寂しくたべろと?」

 王道には王道で返そう。


「いえ、あの、そういう訳では…」

「じゃ、決まりね。ちょっと相談に乗ってほしいことがあって…」

「かしこまりました、ミツキ様!お任せ下さいませ」

 “相談”という言葉に反応して、アイラの表情が引き締まる。

 ちょろい。アイラちゃん真面目だからなー。

 休み時間、部活帰り女子トークに花を咲かせていた私としては、ちょっと飢えている。せっかくお茶もデザートもあるのに女子トークがないってどうよ?

 いや、まあ。女子トークといっても私の場合、半分以上がサッカー談義なんだけどね。




「それで、わたくしに出来る事でしょうか?」

「へ?」

「ミツキ様のご相談でございます」

 アイラは本当に優秀だ。覚えていたか。

「あー、相談ね。なんだっけ。美味しいお茶とパイを食べてたら忘れちゃった。単純だねー、私」

「まあ、ミツキ様。でも本当に美味しいですわ。そういえば、今、城内ではミツキ様の話題でもちきりでございますのよ」

「え、なんで?あー、婚約のことかぁー」

 危ない、危ない。また忘れるところだった。


「もちろん、王太子殿下との婚約の話もございますが、まずは、今朝の騎士団長様との対決でございます」

「対決?」

 何だっけ?


「足だけでボールを奪うという…。何でも騎士団長様はミツキ様相手に手も足も出なかったとか。あら、足だけだというのに手も足もなんて可笑しいですわね、うふふっ」

 可愛い!可愛すぎるぞ、アイラ!私が言ったらぶっ飛ばされそうなセリフも可憐だわ!

 そして、そうか!対決ってあの勝負のことね?―――あれは、私の経験年齢と、女だということを甘く見た団長が悪い。でも、噂になっているのなら申し訳なかったかな?


「あれは、私が勝って当然だよ。年期が違うもの。負ける方が恥ずかしい」

「まあ、ミツキ様!殿方と競って負けないものがおありになるなんて!わたくし達には考えられませんもの、素敵ですわ」

 アイラは、両手の指を絡めて顔の前で握り締め、クリクリの愛らしい瞳を輝かせ頬を紅潮させた。うっ、可愛い!自分とは正反対の可憐なアイラの仕草に目眩がしそうだ。変な意味じゃなく。


 いやいや、サッカーの話だったっけ。

 そりゃぁまあ、少々のことでは負ける気はしないけど。


「何言ってんのアイラ!アイラこそ、その殿方に負けないものを、ううん、殿方には出来ない事がたくさん出来るじゃない。それはとても素敵なことよ」

 いろいろな段取り、細やかな仕事、食事も複雑なドレスへの着替えも、アイラがいるから、侍女も女官も皆の働きがあるからうまく回っている。私はそんな彼女たちをとても尊敬している。


「ありがとうございます、ミツキ様。…女官が騒ぐのもわかる気が致します」

 アイラの頬がますます赤くなっていた。


「騒ぐ?」

 女官が?


「大騒ぎでございます!女官も、そして騎士団の方々も!私もいろいろとカイト様に聞かれて大変でございましたの」


 あれ?女官から騎士団に話が移った?

 と、話している途中でアイラの頬だけでなく、顔が真っ赤に染まっていた。


 んんんー?

 おやおやおや?

 アイラちゃんてば、そのカイト様が想い人なのかな?


「そのカイト様ってどんな方なの?」

 爽やかに聞いた、つもりだ。でも、頬が緩んでいるのが自覚ある。だって、「異世界恋バナ」だもん。


「ええっ!カイト様でございますか?カイト様は騎士団の第二部隊の部隊長をなさっていて、とても凛々しくて、気配りも出来るお方で…」

 おお!お約束な反応!さらに真っ赤になって!いいねぇー青春だよ。私なんかサッカー馬鹿だったから羨ましい。

 その時、不意にだれかの顔が浮かびそうになったけど、思い出しかけてすぐに消えた。昨日のルーカスの顔を思い出したからだ。

 いや、ちょっと、無い無いっ!無いからー!


 妙に顔の赤い二人は、その後しばらく、女子トークに花を咲かせた。


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