第15話 トレーニングは、付き添い有り。

 美月が欠伸をしたために、その髪をひとすくいし、おやすみのキスを落としてルーカスは部屋に戻っていった。

 その仕草と笑顔に、暫く美月が固まっていたのをルーカスは知らない。

 おかげで眠気はすっかり覚めてしまった。




 自室に戻ったルーカスは扉を閉めると、右手で顔を覆いハァっと息を吐いた。よくあのまま何もせずに帰ってきたものだと、自身の行動を褒めてやりたい。


 参ったな………。

 幼い頃はどうあれ、最近は何でも卒なくこなしてきた自負がある。それが美月相手だと、どうにも感情のコントロールが上手くいかない。

 何故なのか―――、そう考えていたところに美月の潤んだ瞳を思い出し、焦り、そのことに戸惑った。

 そうして再び息を吐く。

 そんなルーカスの再三にわたる溜め息を飲み込み、夜は更けていった。

 



 暫く固まっていた美月は、深呼吸を繰り返しやっとの思いで全身の緊張を解いた。

 湯を浴び、寝衣に着替えてガウンを羽織ると、再びビューローに向かう。開いたノートはさっき書き込んでいたノート、数学のノートが残り少なくなったために予備として持ち歩いていたもの、だったのだが―――。美月はそれを、ただ開いたまま、何を書くわけでなく、ぼんやりと眺めていた。

 静まり返った部屋の中で、カチカチとシャーペンの芯を出す音が一際大きく感じる。


 なんだか落ち着かない。胸騒ぎはずっとしている。


 美月の中ですっかり変態認定されてしまったサミュエル王子は、二日後に来るという。

 明日、明後日…。

 あっという間だよね、きっと。

 関わらずに済むものなら、変態王子には会いたくない。

 でも、自分の転移がその王子によるものならば会わないわけにはいかない……。

 ―――嫌だなぁ。

 出来れば無関係でありたいと、願わずにはいられない。


 ―――もし、無関係ならどうなる?

 私はまだ暫くここにいることになる?フリだけの婚約は解消だよね?だって変態王子対策だもの。また、元の教育係兼話し相手に戻れる?


 考え込んだまま、カチカチとシャーペンの芯を押し出し続けていた。


 それにしても、と一日を振り返る。キラキライケメン王太子殿下と、まさかの婚約者生活が始まった……。フリだけど。


 不意に、ルーカスの顔が浮かぶ。熱を持った瞳に、肩に乗せられていた手の感覚や、耳に掛かる息遣い、触れた唇の感覚を思い出す。途端にぞくりと、胸許から下腹部に疼きが走り全身が粟立つ。

 持っていたシャーペンを落としてしまった。長く出しすぎた芯がポキッと折れて飛び散る。

 でもそれどころじゃない。


「どうしよう~~、何か変かも」


 熱くなる頬を両手で押さえる。突然の動悸と焦燥感に戸惑いつつ、じっと収まるのを待った。

 ところが、一向に収まる気配はない。


 困った―――。

 それどころか頬に添えられた手の感覚まで思い出してしまい、全身に力が入り、固まった。どうにも収まりがつかない。


「ルークが変な事するからだ。もう~~~、ルークのバカ!」


 どうしようもなくなり早々にベッドに潜り込む。

 長息して目を閉じれば、ルーカスの手が、熱い瞳が脳裏に浮かんで消えてくれない。


「~~~~~!」


 何なの!もう~~~!


 布団を頭から被ってみるけど、やっぱりどうしようもなくて。


 仕方がないので、無理やり明日からのトレーニングで何をしようかと、サッカーのことを考えることにした。

 心頭を滅却すれば何とやら、だ。

 そうしてやっと眠りに就いたのは、日付も変わった後だった。





「ミツキ様、起きていらっしゃいますか?」


 アイラの言葉に目が覚め、慌てて起き上がる。部屋の中にはうっすらと朝の光が差し込めていた。


「――うん、おはよう。アイラ」

 寝室の外にいるアイラに声をかける。


「あの…、騎士団長のオリヴァー様がおいでになっておられます」

「え?あぁー、うん、わかった。ありがとう」

 急いでベッドから出て桶で顔を洗い、髪を梳く。プラクティスシャツとハーフパンツ、その上からピステの上下を着る。ネックウォーマーを被り準備完了だ。


「ごめん、お待たせ!」

 寝室のドアを勢いよく開ける。

「ミツキ様、あの…おひとりですか?」

 何故だか、おずおずとアイラが聞いてくる。


「そうだけど…?」

「はっ、すみません。失礼いたしました」

「?」

 ―――なにが?


 ……まあ、いいや。

「オリヴァー団長は?」

「外でお待ちです」

「わかった。じゃあちょっと行ってくるね」

「あの…、どちらへ」

「トレーニング。昨日ルークに許可もらったから。あー、騎士様方について行ってもらうから大丈夫だよ。2時間ぐらいしたら帰るからねー」

「いってきま~す」と、美月は上機嫌で翡翠の間を出ていく。



 扉を開けると、オリヴァー団長が部屋の前の廊下で腕を組んで壁に持たれていた。

 逞しい体躯に思わず目が向いてしまう。洗いざらしの真っ赤な短髪が、さらにその風貌をワイルドに演出していた。


「団長!おはようございます!」


「おっ、ああ、おはよう、ミツキ殿。…ひとりか?」

 慌てて壁から離れて美月に目を向ける。何故かちょっと躊躇ったように見えた。


「え、なに?団長も。さっきアイラにも言われたんだけど。―――見ての通り、ひとりよ?」

 流石に続けざまに言われると、気になってしまうでしょ。


「ああ、いや、すまん」

 オリヴァーはフイッと顔を横に向ける。

 まあ、そんなことより―――、

「訓練場、連れて行ってくれるんでしょう?」

 最大の目的はそれ。

 何故か少しだけホッとした団長の横顔を見ながら確認する。

「そうだ」

「やった!」

 気になっていたことも、再び「まあいいや」と流し、満面の笑みでボールを持って騎士団の訓練場へと向かった。




「うわーっ、結構広いんだねー」


 着いた騎士団の訓練場は、四方をぐるりとフェンスで囲んだグランドのような造り。その外側には、一部観客席もあった。足を踏み入れ地面をザッザッと蹴ってみる。


「ちょっと固めかな。うん、でも土だ!」


 自然と笑みが溢れる。というか、にまにましているのが自分でわかる。

 ふっふっふ―――んっ♪

 ああ、駄目。顔の筋肉が緩みっ放しだ。



 ルーカスが使っていいと言っていた北の一角は、隣に兵士用のシャワー室や更衣室、道具室などが有る建物の裏手のスペースだった。


「この時間なら、まだ手合わせする者も居ないから、剣が飛んでくることもないだろう」

 安心してくれとオリヴァーが説明してくれる。


 おう!普段は剣が飛んでくるのか。

 気を付けよう。

「うん、ありがとう団長。団長は?今から訓練するの?」

「あー、普段はそうだが、今日はミツキ殿に付き合おうと思っている」

「え、本当?じゃあ、遠慮なく付き合ってもらおう!」

 それは好都合♪


 ストレッチをして訓練場の内周を20週程走る。それから、ラダーの代わりに地面にはしごのような線を引き、ステップの確認をしていく。はじめはなんとか着いてきた団長も、複雑になってくると足がついていかなかった。

「ミツキ殿の足はどうなっているんだ?」

 と、しげしげと眺めて考え込む。

 その後はリフティングにトラップ練習、ヘディング、ドリブル、パス練習と、団長にフォローをさせ、粛々とメニューをこなしていく。

「曲芸師みたいだな」

「何言ってんの!これくらい、サッカーやってる子はみんな出来るよー」

 目を丸くするオリヴァーに、ケラケラと笑いながら美月が答える。

「何、そうなのか!すごいな、サッカー選手とやらは」

「ふふふっ」

 褒められると悪い気はしない。


「あ、そうだ団長!勝負しよう!」

「は?勝負?」

「そう、団長はそこに居て?うん、そこ。で、私がドリブルしていくから、私からボールを奪って。そして、ここからここの間にシュートして入れば2点。私のボールを奪えなかったり奪い返されてシュートされたら私に1点。もちろん、手を使うのはなし、掴みかかるのもね。わかった?」


 広いとは言え、使っている場所が限られているため、フットサルのゴールのサイズが妥当だろうと、自分の歩幅で大体の距離を測定する。そうして私はフェンス側の地面に、約3メートルの幅でゴールを設定し、小石でラインを書き込んだ。


 準備が出来たところで、腕を組んでいた団長が口を開く。

「なぜ、俺が2点でミツキ殿が1点なんだ?」


 何か考え込んでいると思ったら、そういうことか。私はニッコリと微笑み、

「ハンディキャップよ」

 と言って、「ふふん」と鼻で笑ってみる。


「いらん!」

 団長、顔が真っ赤だよ?

 大きな眼もさらに大きく開かれている。


「えぇー、いいのぉ?私が勝ったら無理難題お願いするかもよぉ~?」

「女には負けん!」

「ふーん…」


 何故そう言い切れる?

 男が女に負けるわけがないって?

 サッカーなんてやったことないくせに。


 いいのかね。ま、いいか。



「じゃ、行くよ、団長。10本勝負ね」

「おう、いつでも来い」

 足下のボールを軽く前に押し出し、スタートする。団長の目線はボールに釘付けだ。甘いねー。ツイッとフェイントをかけ、躱してシュート。

「はい、1点」

「むっ、何だ?今のは?」

「甘いよ、団長。昨日もこれで私に抜かれたのに」

「そうだった」

 思い出してくれたようだ。


 ザワっと周囲がどよめく。訓練に出勤してきていた団員達で、いつの間にかギャラリーがひと山出来ていた。


「それじゃ、2本目」

 今度は団長も食らいついてくる。私の動きに合わせて左右へ揺さぶる。さすが、騎士様。でも…、団長の開いた両足の間、真ん中にボールを蹴り入れ、すっと脇を抜き去りシュート。いわゆる「股抜き」というやつだ。これやられると悔しいんだよねー。

「はい、2点目」

「むうぅぅ」

 ギャラリーから感嘆の声が聞こえる。私のサッカー歴から考えると“大人げない”だろう。

 ―――まあ、相手は大人だから許してもらおう。なにせ、私はこの勝負に、勝たないといけないから。

 順調に得点を重ねて6点目。流石に団長だ。これまでの私の動きを見て、ちゃんと対策を立ててくる。パワーがあるのに動きも早いし、フットワークが軽い。きっと練習重ねたら華麗にピッチを舞うだろうね。

「団長、大丈夫?息が上がっているよ?休憩しようか?」

「いらん!」

「そう?なら、いいけど、7本目」

 私の中にも油断があったのだろう。少し強めに蹴り出したボールはぐいっと伸ばした団長の足先に当たり、跳ね上がった。

 ―――が、位置的にはバッチリ私の射程圏内。すかさずジャンプして、ボレーシュートを決める。


「7点だね」


 ギャラリーからは拍手喝采。うーん。「やっぱちょっと大人げないかも」と、後ろめたくなる。

 目の前の団長は、乱れる呼吸を整えながら、1本でも止めてやると気迫に満ち溢れている。団長って言うからには偉い人なんだろうけど、小娘相手にこの姿勢は好感が持てる。

 8本目、9本目も決め、最後の10点目は団長の頭上にふわっと浮かして後方に落ち、そのままコロコロと転がりゴール。

「10点目」


 場内、割れんばかりの拍手。団長はその場に座り込み、私は親指を立てた両手を高く掲げ、ギャラリーの拍手に応えた。


「まいった…」

「しょうがないよ。私は子どもの頃からしてるもの」

「そうか…」


「でね、団長」

 ここからが本題だ。


「私にボーラを教えて?」


「なっ、だ、ダメだ」

「え、なんで?」

 思わず眉根を寄せる。


「それは、殿下から止められているだろう!」

 昨日と同じく、心の中で舌打ちをする。ルークめ。


「えー、いいじゃん。少しだけ」

「駄目だ、駄目だ」

「むぅー」

「拗ねても駄目だ」

「…分かった。じゃあ、団長が使っているところを見学するのは?」

「………。まあ、それ…なら、いいか」

「やったー!約束ねー」


 美月は大喜びして、団長の両手を握り締めた。

「お、おう。分かったから、それ以上ひっつくな。殿下に殺される」

 再び、「ざわっ」と響めきが起こる。


 ああ、そうだった。私は婚約者だったっけ。


「それで、練習はこれで終わりか?」

「ん?ああ、そうだね。あとシュート練習だけやって終わるよ。帰りに階段ダッシュしていくから」

 まだやるのかといった顔をする団長を、サッカーのゴールのサイズ7.32メートルに引き直した中心に立たせる。大きさは大体だけど、まあこんなもんね。


「人がいたほうが、わかりやすいだけから、立っているだけでいいからね」

 そう団長に断りを入れて、キーパーの代わりに立ってもらう。

 ゴール前から約9.15メートルのペナルティキックの位置にボールを置く。少し後ろに下がり、軽く走りこみ軸足を踏み込む。

 ボンッ!

 ボールを蹴る低く重い音。

 ガシャン!

 ボールがフェンスに突き刺さったかに見えた。その威力に、派手な音が響き渡る。

「お、おい。ま、待て、ミツキ殿?」

「え?何?」

「こ、これは、いささか乱暴では?」

 顔の横をボールが抜けていった団長が訴える。

「やあね、大丈夫よ。当てないから」

 私はにっこり笑って「安心して」と伝える。


「いや、待て待てまっ…」

 ドコッ、ガシャーン

 ボスッ、ガシャン!

 蹴る位置を変えながら、立て続けに20本シュートを決める。

「ありがとう団長。また明日もよろしくね。じゃあね~」

 約束忘れないでねー、と、念を押し訓練場を後にする。美月が去っていった訓練場では、暫く誰も動こうとはしなかった。


 練習の締めとして尖塔に向かう階段へとやって来る。ここはアイラを抱き上げトレーニングして、こっ酷く、そして辛辣にレナードに叱られた場所だ。昨夜の晩餐の時にルーカスに階段を駆け上がる脚力の訓練をしたいと申し出て、許可をもらっていた。護衛の騎士に待ってもらい、スパイクからアップしュースに履き替えた。さあ行こうと足をあげようとしたとき、声をかけられる。


「あのう、ミツキ様…」

 振り返ると、女官が3名。なんだか赤い顔をしてもじもじしている。


「あれ、確か…、エミリーとジェシカにデイジーだっけ?」

 うん、そうだ。私のいる翡翠の間に、お茶や食事を運んでくれている女官さん。この3人、仲良しさんなのかな?


「は、はい!そうでございます。あの、わたくしたちミツキ様のお役にたちたくて…」


 キラキラした目で見つめられ、美月は逡巡する。

 お役?

「――はい?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る