第14話 そのままでいい。

 翡翠の間に戻ってきた美月は、寝室にあるライティングビューローを開き、一心にノートに書き込んでいた。

 ビューローの両サイドに本棚がついてあるサイドバイサイドというタイプで、その本棚には本が数冊並べられている。翡翠の間に滞在する客人の為に置いてあるようだ。なにかの物語のようで興味深いが、如何せん、自分の置かれた状況が切迫しているために諦めた。


 自分の頭の中を整理しようと、魔道士が関わっていた場合、それ以外の力が関わっている場合、変態王子対策とそれぞれ分けて考えることにした。


 アイラと一緒に考えようと思っていたが、先に戻ってきていたアイラは、何やら忙しそうにほかの侍女や女官に指示を出していた為、これも諦める。仕方がないのでひとりシャーペンをカチカチ鳴らしながらノートに書き込んでいく。

 魔道士が関わっていた場合、「聖女」「スキルを身に付け魔物退治」「単なる生贄」

 …それないわ。書いていて落ち込む。


 変態王子対策は、「顔を合わせないうちに元の世界に帰る」

 でもどうやって?


 後は、ルークの婚約者という役割、いや、問題?と、ここまで書くと、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。見目麗しい王太子の隣に並んでいる自分を想像する。いや、それこそないでしょう!

 のぼせ上がった顔をパタパタと手で仰ぎながら、「それ以外の力が関わっている場合」というテーマに意図的に、半ば無理やり意識を変えた。が、…それ以外の力って何?死んで転生とか?神様パターンとか?実はこの国の人間だったとか?


「うーん。どれもこれも私の貧相な発想の域を出ないなぁー。やっぱりルークに聞かないと解らないかも…」


「何をだ?」

 ぼそっと呟いた言葉に、頭の上から返事が返ってきた。


「ひゃあっ…!」

 その声が、息が、美月の左耳を掠めていく。

「なん、ルーク、どうして…」

「一緒に晩餐をと来たのだが、我が婚約者殿は、何やら書き物に夢中になっているから声がかけられなくてな」

 そう言いながら、一層近づいてきたルーカスの唇が、耳許に触れた。


「!!」


 ぞわりと背筋が震える。肩にそっと置かれた手がすっと鎖骨をなぞる。

 やっ、もう、いろいろ無理な気がする。


「ル、ルーク?あの、そんなに近づかなくても…」

「何を言っている。まだ、序の口だ」

 そう囁きながら降りてきたルーカスの唇は、美月の頬に口づけて離れていった。

「ひゃんっ」

 口づけられた頬から体の中心に向け、痺れが走る。

 美月は初めての刺激に目を潤ませて、恨めしそうにルーカスを睨んだ。真っ赤な顔をしている美月を、困ったように見つめ、ルーカスがため息をつく。

「こら、俺を煽るな。止まらなくなる」

「誰のせい、だと…」

 互いに目が逸らせず見つめ合っていると、ルーカスの瞳が熱を帯びてきた。

 美月の左肩に置かれていたルーカスの右手に力が入る。ルーカスを見つめる美月の右頬に、ルーカスがそっと左手を沿え、その唇に親指を這わす。

 ぞくぞくと全身が戦慄く。今にも泪がこぼれそうに潤んだ美月の瞳を覗き込むように、ルーカスの顔が近づいてくる。


 全身の熱が、顔の集中したみたいに熱い。

 動悸に胸が張り裂けそうだ―――。



「無粋なことはしたくないのですがね」


 突然の声に固まった。


「…無粋だな」

「申し訳ございません、殿下」

 美月は声にならない悲鳴を上げる。


「止まらなくなる前にお止めした方が宜しいかと思いまして」

 開かれたままの寝室のドアを、今更ながらにノックするレナードの声が響く。


 ルーカスの手に一瞬力が入るが、静かに離れていった。

 その手をじっと見つめる。喪失感と触れられた熱がないまぜになって、なんだか変な感じだ。

 ってか、喪失感って―――。


「仲がよろしいのは結構なことですが、婚約初日から寝室に籠るのはいかがなものかと?」


「――!」


 忘れてた!

 そうだ、ここは寝室だった。後ろにはベッドもあるしっ。


「だから、扉は開けていただろう?」

 どこか不満げなルーカスの声に、レナードが肩を竦める。


「晩餐の支度が整ったようですよ。寝室でいちゃつく婚約者のお二人に、侍女殿が声をかけあぐねていたので、私が対応させていただきました。どうします?続きをされますか?」


 レオ~、何を言っているの―――?

 いや、もう、本当に勘弁してください。


 俯いたまま、真っ赤な顔を上げる事が出来ないでいると、ルークがくしゃっと頭に手を乗せた。ドキッとして顔を見上げると、私を見てフッと口元を緩めた。


「いや、ありがとう、ウェリントン公爵」

「では、私はこれで」

 やっと顔を上げた美月に、レナードが微笑み、退室していった。


 

「では、我が婚約者殿、お手をどうぞ」

 ルーカスの慇懃に差し出された手を取り、エスコートされるがままに寝室を出た美月は、感嘆の声を上げた。

 いつの間に運び込まれたテーブルの上には、銀の食器やカトラリーが美しく並べられ、その中央は色とりどりの花で飾られていた。

 その脇に寄せられたワゴンの上には、数々の器や皿に盛られた料理が所狭しと並べられている。


「俺たちの婚約祝いだそうだ」


 ささやかだがな、と、優しく微笑むルーカスのエメラルドグリーンの瞳に吸い込まれそうだ。まるで、本当に自分が婚約者なのだと、勘違いしそうになる。


 やー、もう倒れそうだよ。

 何とかして欲しい、このキラキライケメン王太子。


 だが、見とれてばかりではいられなかった。美月自身も婚約者然として振舞わなければいけなかったからだ。


「まあ、ルーク。私は幸せすぎて倒れてしまいそうよ」

 いろんな意味でね。

 そんな思いを胸に、隣で微笑む王太子を見上げる。

「?」

 なんか肩が揺れている?



 給仕を先に済ませて、ルーカスが人払いをする。

 二人きりになると、ルーカスが堪えきれないように、くっくっと笑いだした。

「ミツキ、顔が引きつっているぞ」


「え、嘘っ?上手く出来たつもりだったのに!」

 慌てて両手で顔を揉みほぐす。


 たまらずルーカスはプッと吹き出した。

 美月は腹を抱えて笑うルーカスを睨む。


「ちょっと、ルーク!笑いすぎでしょ!」

 思わず頬を膨らませる。


「変に作ろうとするな。ミツキはそのままでいい」

 ひとしきり笑った王太子は楽しそうに言った。


 そう?

 それなら、いいけどね。



 さあ、食べるぞと促され、テーブルを彩る沢山の食事を楽しんだ。ルーカスが説明しながら勧めてくれる料理を、サッカー女子のプライドにかけて次々と平らげていった。

 色気も何もあったもんじゃないなと思いながらも、ニコニコと嬉しそうなルーカスの笑顔を見ていると、「まあ、いいか」と気にしないことにした。

 実際、ルーカスと共にする食事は、互いの国の話題や、もちろんサッカーのことなど話題が尽きず、時間が瞬く間に過ぎていった。


「ミツキはよく食べるな」

「当たり前よ!しっかり食べないと走れないし、力も出ない。相手チーム―――敵に飛ばされちゃうもの。あー、でも流石にお腹いっぱい。美味しかったー」

 ふふふっ、幸せだ~~。


「そうか、それは良かった。まあ、あれで足りないと言われたら困るがな。もう皆下がらせたし」

「大丈夫、それくらいは我慢するから」

 そう言って、互いに声を出して笑った。


「だが、残念だな。まだデザートがあったが…」

「え、あるの?」

 思わず身を乗り出す美月。銀製のケーキドームを開けると、小ぶりだが、丁寧に作られた代物だと分かる艶やかな赤いソースのかかった桃色のムースや、フルーツをふんだんにあしらったタルト、クリームを何層にも重ねたケーキなどが並んでいた。


「うわ、綺麗!美味しそう!」

「…食べるのか?」

「もちろん!だってデザートは別腹だよ?」

「なんだ、それはっ」

 ルーカスは若干呆れながらも、お茶を入れる為のお湯を魔法で沸かす。

 その様子を美月は目を細めて見ていた。

「魔法って便利だね」

「…王太子を便利扱いするのはミツキぐらいだな」

「ふふふっ」

 何とでも言って。

 贅沢にも、王太子の入れたお茶。デザートと一緒に堪能しよう!

 さあ、いざ。


 口に含んだとたん蕩けるあま~いクリーム。その上にかかったソースの爽やかな甘酸っぱさが何とも言えない。絶妙なハーモニー♪

「ん~~~。美味しいー。あ~~~、シアワセ」

 蕩けた表情で頬を押さえる。だって、本当に蕩けそうだ。


 暫くその様子を見入っていたルーカスは溜め息混じりに呟く。

「お前…、その顔、他所(ほか)でするなよ」

「ん?」

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