第13話 婚約者。
「なんだ?分からなかったのならもう一度言おう」
私の興奮とは相反して、ルークはしれっとしている。
寧ろ楽しんでいる?
その態度も私を興奮させる。
そして、今度はちゃんと聞いておけよと前置きまでした。
そういう事じゃあないんだけどっ!
「たった今から俺とお前は婚約者となる。公式行事にも参加することもあるだろうから、そのつもりで」
執務室のソファーに、美月とルーカスは向かい合わせに座っていた。ソファーの背もたれに肘をつき頭を預けていたルーカスはその体の向きを美月の方に向き直す。
なんだか上から目線も腹立たしい。そりゃあ、王太子サマだけど。
「いや、そのつもりもなにも!なんでそうなるわけ?」
それを聞いているっていうのに!
「案ずるな、フリだけだ。ただし、フリだと知っているのは国王陛下とその側近、後はここにいるメンバーだけだ」
ああ、なんだ、フリね。
―――って違う!
危ない、一瞬納得するところだった。
「だーかーらー、なんでそうなるのかを聞いているんでしょうがっ!」
妙に機嫌のいいルークも、なんだか癇に障る。
なにそれ、大人の余裕?
「ならば聞くが、お前はエアージョンのサミュエル王子が来たら、大人しく付いていくのか?」
「行くわけないでしょう!どうして変態王子と一緒に行かないといけないのよ」
論外だ。そんな選択肢はない!
「変態って…、まあ良い。一緒に行かないというのであれば、それ相応の理由が必要だろう」
「そりゃぁ、そうですけど」
確かに、王子相手に拒否するだけじゃ無理かもしれないけど。だけど…。
「その時に、今のままのただの客人だと、弱いのだ。あの王子のことだ。婚約者ぐらいでないと連れて行かれるぞ。いいのか?」
「よく、ない、です」
「まあ、嫌というのであればそれでも良い。ほかに適当な策があるならな」
「うっ…」
美月はほかの三人の顔をちらりと見る。
レナードは仕方ありませんねと肩をすくめる。
アイラは気の毒そうに眉根を寄せ、オリヴァーは、…慌てて目を伏せた。
―――ああ、終わった。
「と、いうことだ。じゃあよろしく頼むぞ、婚約者殿」
ルーカスは美月の手を取り、そっと指先に口づけ、にやりと笑う。
赤い顔をした美月は奥歯を噛み締める。
むうぅぅぅ~。
悔しいけどしょうがない。
「…わかった。よろしくお願いします」
がっくりと項垂れた私を責めないで欲しい。
これから先が思いやられるよ。
……先?
――ああっ、そうだ!肝心なことを忘れていた。
「そうだ!ルーク、お願いが…」
先程まで赤い顔をしていた美月が、突然ルーカスの手を両手で握り返す。
危ない、危ない。
忘れるところだった。
驚いたのはルーカスだった。
「っなんだ?」
「サッカーの練習をさせて欲しいの!どこか場所を貸して頂戴。お願い、なにかしていないと落ち着かないのよ。ルーク…」
美月が潤んだ目でルーカスを見つめていた。
くっ、これでは形勢逆転だ。
反則だろう!
「分かっ…た。騎士団の訓練場の北の一角を貸そう。走るのも筋トレとやらも好きにすると良い」
ぱあっと美月の顔が明るくなった。
「本当?ボールも使って良い?」
「好きにしろ、いいな、オリヴァー」
「はい。承りました、殿下」
「やったー!ありがとう、ルーク!」
美月はガバッという音が聞こえそうなくらい勢いよくルーカスに抱きつき、しかし、すぐに離れた。
「あとは?まだなにか話がある?」
満面の笑みでルーカスを見つめる美月。鼻歌でも歌いそうなくらいにご機嫌だ。
「細かい打ち合わせが、ある、だろう」
美月が離れていった姿勢のまま固まったルーカスの、眦周囲はほんのり赤い。
「わかった、早くやろう!」
上機嫌の美月の前で固まるルーカスに、一同の気の毒そうな、生暖かい視線が向けられた。
しばし呆然としているルーカスを、暫くそっとしておこうとレオが口を開いた。
「そういえば、ミツキ、そのドレスはとても良くお似合いですよ。見違えました」
「本当?ありがとうレオ。私、外で走り回っているから日に焼けているでしょ。腕なんか三段階に色が変わっているし。だから、袖のあるタイプのドレスで良かったわ。このドレスの深紅色と黒のレースとリボンのせいか、ちょっとだけ色白に見えるしね」
「ミツキ、あなたは十分にお美しいですよ。レディが、ご自分のことをそんな風に言ってはいけません」
レオ、紳士だね。
「そうだ、良く似合っている、ミツキ殿。俺の脇をすり抜けていった“小僧”と同一人物には見えないな」
オリヴァーもレナードに続き美月を褒め、軽くウィンクをする。
いい顔だ。さっきまで顔を伏せていたとは思えない。
「ありがとう。これもアイラの見立てのおかげだね」
「まあ、そんな。ミツキ様がとてもお美しいので、わたくしも張り合いがございます」
可憐で可愛いアイラに言われると、お世辞とわかっていても照れる。
「みんな、褒めすぎだよ。まあ、でもありがとう!」
なんだか機嫌を取ってくれているのが分かるけど、褒められるのは悪くはなかった。そこでふと思い出す。
「…あ、そうだ。ルーク、これ、ありがとう。とっても綺麗だね。ルークの瞳の色みたい」
美月は、透き通ったエメラルドグリーン石のついたネックレスの鎖を持ち上げた。
心此処にあらずといったルーカスだったが、不意に話を振られ、現実世界に引き戻される。この天然娘の言動は、ルーカスにとって破壊力抜群だった。
「…ああ、それは、術を施しているから、身に付けている間は会話が通じなくなることはない。どうやら一日も持たないようだったのでな」
「へえ、そうなんだ。すごいね。ありがとう」
言葉に関しては、ホント助かる!凄い、魔法って便利。
先程までの不機嫌さは何処へやら。破顔した美月は、ネックレスを嬉しそうに見つめていた。
「あ、ああ」
素直に礼を述べられると、どうも調子が狂う。他にも石に秘めた術があったが、言う余裕はなかった。
「でも、婚約者って無理がない?大丈夫なの?」
私の素朴な疑問を聞いてみる。
「何がだ?」
「だって、私はここに昨日来たばかりでしょう?昨日の今日で、だよ?」
「互いに一目ぼれという設定だ。それなりに振る舞えよ?」
「それなりにって言われても…。私、サッカー一筋だったから色恋沙汰とは無縁だったんだけど」
「そうか。それは良かった」
「いや、良くないでしょう、ルーク」
なんで良いのか、人の話聞いてた?
「ですが、ミツキは、女性に対しての態度が随分と長けていましたが?」
てか、レオ。
私の恋愛対象は女性じゃあないんですけど。
「あ〜あれ、あれは私が生き延びるための手段だったからね」
「どういうことです?」
レオの訝しげな表情と皆の視線が美月に向けられる。
「サッカーって、男の子が主流の競技なの。私は子供の頃から男の子に交じってプレイしていたのよね。それはいいんだけど、なにせサッカーしている男の子達って格好いい子が多くて、女の子にすっごくモテるのよ。そんな中で一緒にプレイしてるとそれはもう、羨ましがられて、妬まれて恨まれて大変なわけ。で、私が身につけた技が、“女子を敵に回さない”。女の子には懇切丁寧に接していたら、いつのまにか女子にモテモテで、今度は男子のチームメイトから恨まれたわ。わっはっはっ」
美月の乾いた笑いと、一同の乾いた空気が満ちていた。
「では、大丈夫ですよ、その女性に向ける眼差しを殿下に向ければ、良い雰囲気になれそうですよ」
「ふーん。それでいいならやってみる。ありがとうレオ」
うん、なんとなく道筋が見えてきた感じかな。
気のせいか、ルークが引きつった笑顔を向けてきた。
なんで?
「ミツキ殿、ちょっといいか?そのサッカーとやらのことも聞いたことがないが、ミツキ殿の国は遠いのか?」
おお、団長殿。サッカーに興味がおありで?
「あー、うーん。遠いと思う。だって、日本ていう国、知ってる?」
「いや…」
「でしょう。わたしもハーヴェロードとかエアージョンとか聞いたことがないし、自分がどの位置にいるのか全然わからないもの。近くないことだけ分かるわ」
異世界だけど、と思いつつ、オリヴァー団長の質問に答えた。
私も、この世界のことを少しは知っておいたほうがいいかもね。
それと、ついでに確認しておかないと――。
「ねえ、ルーク。確認したいんだけど、私の行動は制限される?」
「まあ、多少はな。護衛の数は増やすからな、くれぐれも撒いて居なくなるなよ」
ルークの片眉が上がっている。
うぅっ、チクリと刺して念を押された。
「はい、…すみません」
「サッカーの練習は許可するが、時間は制限するぞ。放っておけば一日中でもするだろう?」
「よくご存知で」
「それから、婚約者として過ごす時間が加わるが、それ以外はまあ、制限するつもりはない。城内で過ごすなら構わん」
あくまで、城内―――。
でも広いし、目的の場所も城内だからいいか。
「ありがとう。それじゃあ私、昨日自分が現れた場所で、何か変わりはないか探ってみようと思うの。突然現れたのだから、逆もありえるかも知れないじゃない?変態王子が来る前に帰る方法がわかれば、会わずに済むかもしれないし」
頼ってばかりじゃいられない。自分でもなにかしないとね。
うん、なんだかちょっとやる気が出てきた。
ルーカスはそんな美月を暫く眺めたあと、天を仰ぎ、目を閉じた。
嬉しそうに笑う美月が、なぜだか急に存在が遠くなったようだった。
「…わかった。許可しよう」
仕事に戻るというルーカスの言葉に、美月とアイラは執務室を後にする。
そうして翡翠の間に戻る前に、美月は早速東の正門前に来ていた。
陽が傾き始め、美月や護衛につく騎士たちの影を地面に長く描かせていた。
「わかってたけど、変わったところはない、わね」
もしかしたら、時空の歪のようなものでもないかと思ったが、何も変わりはなかった。
「まあ、あっても分からないかもね」
嘆息しつつ、後ろに控えている騎士に目をやった。
「ねえ、ちょっと私を抱えてここに落としてくれない?」
「出来ません!ご勘弁を!」
即答だった。
まあ、そうだよね。一応、王太子の婚約者って事になっちゃってるし。
どうしたもんかなー。と、とりあえずその場でぴょんぴょんと跳ねてみた。
当然のようになんの変化もなかった。
陽の傾きは早く、空は茜色に染まり始めていた。美月は一旦部屋に戻り、明日に向け対策を練ることとした。
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