第8話 舐めるとか、刺激が強すぎです。
「――ミツキ!」
わかる言葉もなにも、私の名前だ。
声の方に顔を向けようとするが、伸し掛られ動かない。
「ルークっ!」
私も声の主を呼ぶ。
「何者だ!小僧!」
私に伸し掛った男がそう叫んだのも同時だった。
「オリヴァー!ミツキを離せ」
「へっ?殿下?」
あ…、言葉が分かる。ルークだ。
張り詰めていた糸が切れるように、私の体から力が抜けた。
「オリヴァー、聞こえないのか?ミツキを離せ。彼女は私の教育係だ」
ルークの、静かだが怒気を孕んだ低い声。
「え?え?ええええーっ?」
オリヴァーが驚いた瞬間、反射的に力が込められ、くっ、と私の声が漏れるが、すぐに力は緩められ離れていく。
「もっ、申し訳ございません!」
ルークに抱き起こされると、私と対峙していたマッチョな御仁は、気の毒なぐらい青ざめて跪いていた。
「一体、なんの騒ぎだ、これは!」
私が聞きたいよ。ってあれ?ルークが私を責めるような目で見つめてくる。そしてその表情は、傷ついた少年のように歪んだ。
―――ってか、私?
「なぜだ、なぜ逃げた、ミツキ…」
なんだか今にも泣きそうな表情のルークに、私の表情も釣られそうになるが、聞き逃せない言葉に反応する。
いやいやいや、ちょっと待って。
それ、おかしくない?
「なぜ逃げたって?言葉もわからないままに追いかけられたら、そりゃぁ逃げるでしょう!え?じゃあなに?ルークはそんな時、大人しく捕まるの?」
「逃げる」
「でしょう?」
ふんっ、どうだ!私は間違ってないじゃない!
馬のように鼻息が荒くなっていたのか、私の能天気なドヤ顔はルークの何かを刺激してしまったらしい。なんだか複雑な顔をするルークの顔が、ちょっと切なげだ。
「違う!そうじゃない!ミツキ!…なぜだ、なぜ部屋から出ていったのだ?」
「え?」
何故ってトレーニング…。
「お前が居なくなったとアイラから報告が来た時、どれだけ驚いたと…」
「あ…」
何だ、そういう事か。大げさだなあ、そんなに大騒ぎすること?と、思ったけど口に出すのはやめた。
ルークが私の両肩を掴む、その手が微かに震えていたから。
「…ごめんなさい」
よくわからないけど、心配してくれたみたいだ。やっぱり大げさだとは思うけど。
「何か悪しき力に巻き込まれたかと…」
私を見つめる目が、何だか熱を帯びていく。何?
肩を掴む手に更に力が加わる。
「痛い、痛いよ、ルーク」
「あ、ああ…。すまない」
ルークが慌てて手を離した。
そんなに力いっぱいになるくらい心配していたのか…。
「いや、私の方こそ心配かけてごめん」
過保護な王太子に念押しで謝っておく。
改めて泥だらけの服を見る。地面に伸びた影を見ると、髪もボサボサだ。派手に転んだからなあ…。
短く息を吐いて、乱れた髪を直そうと手を挙げた。刹那、手首を掴まれた。
「ミツキ、血が出ている…」
「へ?ああ…」
掌を少し擦りむいていた。
「大丈夫だよ、これくらいいつものこと。舐めときゃ治っ…ル、ルーク?」
ルークが美月の手を引き寄せ、舐めた。
美月はあまりの事態に狼狽し、耳まで真っ赤に染めていった。
さらに滲んだ血を吸い取られ、ぞわりと胸のあたりが疼く。ルークが持つ手が火傷したかのように熱い。
「何をやっているんですか、あなた方は」
冷ややかな声に美月は飛び上がりそうになる。
「治療だ」
「傍から見たらイチャついているようにしか見えませんが」
後からやって来たレナードの冷たい視線に、ルーカスが美月の手を離す。
“助かった”
走って追いついてきた衛兵たちも、跪いたままのオリヴァーも、妙に甘くなっていく雰囲気に為す術もなく固まっていたため、レナードの登場に心の底から安堵した。
「それで、ミツキは……。一体どこから確認したらいいんですかね?とりあえず何をしていたんですか?部屋を出たのはご自分の意思ですか?」
「ええっと、トレーニングしようと思って、部屋を出ようとしたら言葉が通じなくなっていることに気付いて、説明するのが面倒だったのでそのままバルコニーから外へ出て、走っていました。毎日5キロから10キロは走っていたので」
「キロ?」
「私の国の距離、長さを表す単位です。それで、走っていたら後ろから追いかけられているのに気がついて、昨日のことを思い出して…、さらに何を言われているかもわからなくて逃げていました。そしたら、そこのオリヴァーさんに捕まりました。お陰様で大分走り込めましたけど」
「バルコニーから出て走る…そうですか」
ため息混に美月の言葉を反芻した。そして、
「…オリヴァー、女性の足を止めるためにしては、このボーラを使うのはやりすぎでは?」
咎めるようなレナードの声がオリヴァーに向けられる。
「申し訳ございません!兵たちが追っていたので捕まえようと。その…、あの、まさかそのような、その…格好をした、いや、ご婦人が居られるとは思いませんで、てっきり少年だとばかり…。それで、その、ボーラを使ったのは…、私が、脇を、抜かれた…からです」
しどろもどろに答えるオリバヴァーの話す内容に、
「えっ?!」
その場にいた誰もが、驚き、オリヴァーと美月を交互に見比べた。
自分の足に巻きついていた、いまはレオの手にある紐の両端に石の錘のついた武器を眺めていた美月は、皆の視線を感じ、
「え、なに?」
と慌てた。
「申し訳ございません。まさか殿下の教育係のお方とは!お怪我までさせてしまい、お詫びのしようがございません!」
跪いたまま頭を深く垂れるオリヴァーが何だか気の毒になった。
「いや、教育係の話は、今日の朝議で通達することになっていたのだ。まさか、ミツキがこんな行動に出るとは思いもしなかったからな」
ルークの声も…、何だか呆れている?
あれ、もしかして、全部ワタシノセイ、デスカ?
ルークの生暖かい視線。
「あー、朝からお騒がせしました」
なんか納得いかないけど、しょうがない。もう一回謝っとこう。
「御免ね、ルーク。レオも。オリヴァーさん、今度そのボーラの使い方教えてください。それで今回のことは不問に…」
にっこり微笑んで幕引きをはかろうとした美月の声に、ルーカスの声が重なる。
「駄目だ。ミツキに怪我を負わして、後ろ手に締め上げたんだぞ」
いや、この場合、しょうがないんじゃない?
―――と思ったんだけど、どうもルークは…、怒っている?
「うん。確かに、その言葉だけ聞いていたらひどいよね。だけどそうなった経緯は聞いていたでしょう?だって、兵に追いかけられている怪しげな格好の人間が城内にいたらどう思う?ここは王太子である貴方もいるし、王も王族の方々もお住まいになっているんでしょう?その王城を守るべく素早く対応した彼の態度は賞賛に値こそすれ、罰を受けることはならないのでは?」
自虐ネタなのが悲しいけど、仕方がない。
「しかしだな…」
「聞いて、ルーク。私は、サッカーが他の人よりも少しは上手だったから県の選抜チームにも選ばれて、他の娘よりも随分優遇されてきたの。選ばれたんだから当然だと思ってた。自分に力があるからだと、勘違いしていたの。だけど違った、自分の力なんて何も変わっていない。自分が持っている力と与えられるものは別だわ。与えられるからには全てに責任がついてまわる。そのふたつをきちんと分けて、そして責任を果たすように私は教育されてきた。ルーク。あなたは私なんかよりずっと多くのものを持っている。与えられているものも私の想像をはるかに超えているでしょうね。そして、それに伴う責任も十分すぎるくらい分かっているはずよ。彼は、彼らは、この王城を、ううん。あなたたち王族を、命をかけて守っているわ。ルークは、何を大事に生きているの?そして、あなたが守るべきものは何?」
「ミツキ…」
「本当は分かっているんでしょう?」
美月の瞳は、真っ直ぐにルーカスを捉えていた。信じて疑わないといった風に。実際、昨日も今日も助けてもらった。心細く不安でいっぱいの時に、手を差し伸べ助けてくれたのはルーカスだ。…ちょっと面倒くさいところもあるけど。
「…ミツキ」
ルーカスはしばらく美月を見つめていたが、やがてオリヴァーに向き直る。
「オリヴァー、すまなかった。少し熱くなっていた」
「もったいないお言葉です、殿下」
オリヴァーは更に深々と頭を下げた。
珍しく熱くなっているルーカスに、どうしたものかと思案していたレナードは、肩を竦め、ふっと笑った。そろそろ時間だ、ルーカスに目配せする。
「…ああ、朝議の時間だ。レオ、行こうか。…ミツキ、後で部屋に行くから待っていてくれ」
「うん。わかったわ」
すぐに笑って返事をした美月だったが、その後はレオの手からオリヴァーに返されるボーラを見ていた。それも執拗に。
美月はこの原始的な武器に、すっかり魅入られていた。瞳がキラキラと輝いている。
そんな美月をジト目で見ていたルーカスは、去り際に一言。
「ああ、それから、ボーラは危ないからダメだ」
「えええっ」
「じゃあ後でこっそり…」
小声でオリヴァーに伝えたつもりだったのに聞こえていた。
「ダメだ」
チッ…
心の中で舌打ちした。
諦めないもんね。
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