第3話 目の前で、イケメンが怒っています。

 刃を突きつけられるという人生最大の危機から解放された美月は、気を失いその場に崩れた。キラキラ青年は慌てて駆け寄り美月を横抱きに抱える。

 黒衣を纏った青年に目をやり、周りに散らばっている荷物を運ぶよう指示する。

「御意。…荷物を検めますか?」

「ああ、頼む」

「皆、持ち場に戻ってくれ」

 キラキラ青年の声に衛兵たちは敬礼し、指示に従う。


 美月を抱えたキラキラ青年は踵を返し、建物の方へ歩き、やがて中へと消えていった。

 黒衣の青年が後へ続く。





 ―――ああ、

 歓声が聞こえる。


 秋の女子サッカー選手権大会準決勝。ロスタイムの中、美月の放ったコーナーキックは美しく弧を描きゴール前に。両チームがせめぎ合う中、コーナーキックを勝ち取った理央が力強く飛んだ。

 相手ディフェンスがさらにその上を行こうと地を蹴る。その二人の勢いに周囲の視線が向いた瞬間、その勢いに釣られ、フォワードの玲那のマークが外れた。

 絶妙のタイミングで玲那が飛ぶ。

 美月のコーナーキックに玲那のヘディングが綺麗に合わさった。

 ゴールネットが揺れる。


「やった――――!」


 セカンドボールを拾うべく駆け出していた私は素早く方向転換し、両手を挙げて玲那と理央に駆け寄ろうとした。


「ゴキッ!」


 鈍い音がした。


 うん?


「あれ?」


 なんだか体が不安定だ。地に足がついていない?


「気が、ついた、っか…」


 振り上げた手の先に、どう見ても人の顔がある。声はそこから聞こえた。

 そして、私の拳に残る鈍い感覚に、ボクシングで言うアッパーカットを食らわしたのだと…、気づきたくないが、気づく。

 嫌な汗が全身から吹き出すのを感じ、固まった。


「…っいつまでやっている」


 青年は、固まったままの私の拳を顎で押し返し、細めた目で私を見据えた。

 声のトーンもさっきより低い。明らかに低いっ!


「ご、ごめん、なさ…い…」


 おずおずと手を下ろす。

 だが、下ろした手の置き所が無く躊躇う。

 そこでやっと、自分が抱き抱えられていたことに気づいた。


 えぇぇぇぇぇーっ?


 なんで?

 なんで抱っこされてるの?


 しかもお姫様抱っことかいうやつだよね、これ。


 ってか、コノヒト、ダレ?


 金髪の知り合いなんて居ないよねー?


 私の焦りは、手足のバタつきに充分表されていたと思う。うん。


「こら、暴れるな。今降ろす」

 そう言うと、私を抱えていた金髪の青年は、そばにあったソファーに私をそっとゆっくり座らせてくれた。


「あっ、ありがとう、ございます」

 予期せぬ事態に、耳まで真っ赤になった私の、精一杯の一言だった。


「女に殴られたのは初めてだ」



 うん?さっきのキラキラ青年だよね?


 自分の顎を摩りながら美月を見下ろすエメラルドグリーンの瞳は美しく、しかし、怒気を孕んでいる。



 ―――ああ。

 初々しく真っ赤になっていたのに、一気に引いたよ。

 イケメンが怒ると、怖いんですけど。

 そう、出来ることなら、時間を戻して欲しい。私の拳がその綺麗な顎に当たる前に。

 それにしても、怒ってもキラキラしてるってどんだけ?


 とは言え、顔が引き攣ってる。

 でも口の端は笑っているかも?


 ドM…。


 よせばいいのに、そんな言葉が頭に浮かぶ。



「……癖になりそう?」


 しまった。


 イケメンキラキラ青年の目が見開かれている。



 場をほぐそうと、つい余計なことを―――。

 後悔先に立たず。

 学校で習ったっけ。

 勉強なんて役に立たないって言ってた人がいたけど、そんなことない。ちゃんと役に立っているじゃない。まあ、後悔する前に役に立って欲しいけど。


 ―――おっと。

 呑気にしていたら、目の前のキラキライケメンの柳眉が釣り上がり、口元は鯉のようにパクパクと蠢いていた。


 怒りに開いた口が塞がらないって感じだね。きっと。

 やばい?

 どうしよっか。



「あ――…」


 なんと言い訳しようかと所在なしげに彷徨う私の手は、ソファーの座面を撫でた。

 うっとりするような滑らかな肌触りに、声が出る。

「えっ?」

 思わず自分の座っているソファーに目をやる。


 素人目にもわかる、艶やかに輝く上質な天鵞絨。

 驚いて、目の前の人物に目を向ける。


 キラキライケメン青年が身に纏っている濃紺の上衣には、襟元や袖口に銀糸で丁寧に刺繍が施されていた。

 その背後に見える壁には、美術館で見るような風景画が掛けられている。額も凝った作りで、美しく掘り込まれた装飾が目に入る。美月の部屋にある賞状を囲むそれとは異質のものである事は間違えようもない。

 ソファーの前のローテブルは磨きこまれていてしっとりと輝いている。テーブルの側面や脚も繊細に飾り彫りがされ、豪奢な造りになっている。


 ここはどこ?

 そして、あなたは誰?


 忘れていた不安感が蘇り、落ち着かなくなる。

 自分の身体がどんどん萎縮していくのを感じる。

 きっと今、さっきのキラキライケメンにも負けないくらいに、私の目も見開かれているはず。



 それが突然だった。


「プッ…、クックック。あっはっはっは――」


 部屋の中に笑い声が響いた。


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