第2話 私は敵ではありません、たぶん。

「※▽◇∵◎∀…」

「☆◎▲□※………」



 ―――なんですと?


 美月の目の前に尖頭を突きつけていた衛兵が発した声、言葉。

 …全く理解できなかった。


 ごくり…。


 思わず生唾を飲み込んだ美月の顳かみから首筋にかけて、さらに冷たいものが流れ落ちる。


 そう、衛兵の声に、やっと銀色に光る尖頭からその顔に目を向ける事が出来た、の・だ・が…。


「―――っ!」


 日本人の美月とは明らかに違う風貌に、さらに思考が混乱していく。

 最早何から考えれば良いのか判らない。



 手先が冷たく痺れている。

 顔から血の気が引いていくのを感じる。

 必死に引き上げようとしていた意識を手放しそうにる。


 こんな緊張感耐えられない―――。

 ああ、そういえば……。



 あれは、秋の女子サッカー選手権大会。

 決勝進出のかかった地区予選、対戦相手はリーグ戦でも凌ぎを削ってきたチームだった。

 互いに譲らず0対0のスコアレスドローのまま、残り3分のロスタイムに入った。

 右サイドから駆け上がってきていた、チームメイトの理央の斜め前にパスを出す。ここは理央の得意なコース。だけど相手も必死だ。リオのシュートコースに相手のディフェンスが飛び込む。

 弾かれたボールはゴールラインを割った。美月は急いでコーナーに向かう。

 延長戦は決勝のみだ。

 このままだとPK戦になる。このコーナーキックがセットプレイのラストチャンスになるかもしれない。

 乱れる呼吸、汗が滴る。鼓動も早くなっている。美月は、その全てを消し去るべく大きく息を吐いた。程よい緊張感、瞳に強い決意が宿る。

 あの時は緊張よりも、勝ちたい気持ちの方が優っていた。


 うん、そうだ。


 じゃあ今は…?


 いや、状況が違いすぎる。どれだけ頑張っても勝てる気がしない。

 ってか、勝ちたい気持ちすら、無いっ!


 そもそも比べるのが間違っている。


 ―――ああ、駄目だ。

 なんだか視界がぼやけてきた。


 ―――頑張れ私。


 ここで気を失ったら、きっとこのまま…さようならだ。


 それは嫌だ。勘弁してほしい。

 だけど、どうしたらいい?


 なにか言う?


“私はきっと、多分、あなたたちの敵ではないです!”って?


 いや、無理無理無理っ!

 でも…。


 逡巡しつつも声を出そうとするが、緊張のため、口の中も喉もカラカラに乾いていた。


「あ、あのっ…、ここは…」


 不自然に声が裏返る。


 美月の声に、目の前の衛兵は眉根を寄せ、隣の衛兵と訝しげに視線を合わせた。

 その反応が美月の裏声に対してなのか、通じない言葉に対してなのかと言われれば後者で間違いないだろうが、そんな冷静な判断も、今の美月に求める方が酷であった。



 ―――恥ずっ!


 血の気を失い青ざめていた美月の眦に、わずかに赤みが指す。



 その時だった。

 ざわざわと辺りが騒がしくなる。


 目の前の衛兵もそこに視線を向ける。

 視線の先に、別の衛兵に先導され、一見して上質とわかる濃紺の上衣を身に纏った明るい髪の青年と、上下とも黒い衣装に身を包んだ青年が走り寄ってくるのが見えた。

 気がつくと、いつの間にか美月を囲む衛兵達の周りにも、多くの人が集まっている。



 相変わらず美月には無数の尖頭が向けられていたが、衛兵たちの緊張はわずかに緩んだように感じられた。

 衛兵の一人が胸に掌を当て敬礼したあと、明るい髪の青年に何やら話しかけている。明るい髪のせいだけじゃない。やけにキラキラしている人。


 そのキラキラしている人物が、美月の方に向き直り見つめてくる。キラキラ青年の態度に、自分のことを報告されたのだと思い、頬に再び緊張が走る。


 美月の方をじっと見ていたキラキラ青年の表情が曇る。それから右手を軽く上げ何かを言った。


 思わず、ビクッと体が硬くなる。

 ―――恐い。


 キラキラ青年の合図に、瞬時に美月に向けられていた尖頭はその鋒を空に向け、素早く持ち手を整えたあと、それぞれの衛兵の右肩に立てかけられ収められた。

 直ぐに美月の前の衛兵がサッと左右に分かれる。

 その間をゆっくりとキラキラ青年が歩いてくる。



 ―――おう、眩しい!


 美月の1メートルほど前でキラキラ青年は止まった。そうして、これまたゆっくりと跪いた。

 流れるような身のこなしに周囲に集まった人々の中には、ほうっとため息をつく者もいた。この場に令嬢でもいれば、黄色い声が上がっていただろう。

 緩やかなウェーブをかいたブロンドの髪は、陽射しの中で相変わらずキラキラと輝いている。優しく少しだけ細められたエメラルドグリーンの瞳は、遠く、南の海のように煌めいて、その色の深さに吸い込まれそうになる。すっと通った鼻梁に引き締まった口許。だが、今はその両端が僅かにあがり優しさを醸し出していた。


 まるで、一枚の絵のような、そんな非現実的な光景―――。



 そのキラキラ青年が、美月に向けて手を挿頭し何かを呟く。

 呟き終えると挿頭した手を降ろし、少し顔を傾け、美月を覗き込むように見つめた。


「私の言葉が、解るか?」


 キラキラ青年の語る言葉に刹那、美月の身体は弾かれたように硬直し、息を飲んだ。


「わっ、…わかり、ます」


 日本語―――?

 違う、でも何でもいい。

 解る!


 胸から全身に熱いものが拡がっていく。緊張に冷えて痺れていた指先は、今度は歓喜に震えた。じわりと熱を帯びていく感覚に安堵し、その震える両手で口元を覆う。


 だがしかし―――、



 あれ?


 視界から色が消えていく。

 周囲のざわつきも遠くなっていく。


 あ、れ………?



 次の言葉を紡ぐ前に、美月はその意識を手放してしまった。


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