第2話 異臭騒ぎ

 いつもより十分早い電車は我々に安息をもたらす。砂漠のなかのオアシス、あるいは台風の目のように。


 今日は鮨詰めにならずにすむ。これはきっと天国への道なのだろう。神はわたしをよく見ている。死んだなどとのたまってすまない。


 いつもの電車、いつもの駅。そのはずなのにどこか違う。まだ浅い場所にいる太陽が背を押してくれている。今日はいつもと違う一日になってくれそうだ。わたしは入口の端、安全地帯に背を預けた。


 おかしい。


 なにかがおかしい。


 わたしのなかで働くエージェントが違和を発している。


 そう、臭いのである。


 鼻が異臭の発生源をサーチすると、間違いなく隣で座っているおっさんなのである。仕事柄よく嗅ぐ香り。どれだけ嗅いでも慣れない香り。排泄物の匂いだ。


 わたしの安息の時間は終わった。仕事でも便の香りに苛まれ、朝までも。まったくこの世は悪臭に満ちている。


 みな彼の前のつり革に掴まっては去っていく。間違いない、彼らは避難している。わたしはどうしたものか。


 そこでわたしは意固地になってしまった。発揮しなくていい忍耐力が湧いてしまった。あるいは逃げることで、こちらまで恥ずかしくなるような感覚に囚われやしないか、そんな心配も胸にあった。


 せっかくのゆとりある車内。もちろんプロオタクの影すらない。彼の周りはエンプティ、半径一メートル。途中駅である程度の乗客が来ようと、エンプティ。


 さようならわたしの一日。満を持して迎える労働の優雅さは便の彼方へ。もちろんその日の勤務で患者さんが失禁したのは言うまでもない。


 そしてわたしはふと思う。彼、予言者か? と。


 わたしの今日の運勢を、わざわざ早い時間の電車に乗って伝えてくれたのか? と。

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