電車内戦争

仙崎愁

第1話 収納上手のプロオタク

 地獄は簡単に作れる。もし罪を犯した者がいるのなら、そこに収納すればよい。そう、電車の中である。


 他の国ではこんなことがないらしい。それだけで理想の国ランキングに載るんじゃないか、そう思いながら、南大沢の駅で次から次へと流れてくる人混みに潰された。入口横の安全地帯で細まっているはずなのに、ぎゅうぎゅうと。


 初夏の日差しは容赦なくサラリーマンの額を大洪水にする。ほのかに、しかしたしかに感じる汗の香り。おっさんの脇たちに挟まれたマダムのしかめっ面。そうだ、ここはきっと地獄だ。そして罪人はさらに追加されていく。あかん、その三文字だけがループする。


 ゆっくりと走りだした。住めば都、言い得て妙だ。こんな地獄でも一旦落ち着いてしまえば息をつける。今日も変わり映えのしない顔ぶれだなんて、あくびをしてみたっていい。かといって、突然の揺れでまた地獄絵図に変わることは言わずもがなだ。吊革を持たんかい、と叩きたくなってやめた。言うも言わぬも不毛だ。漱石の言うとおり、まったく生きづらい世界だと思う。


 さあ、次の罪人を積み込む時間がやってきた。運命の京王堀之内駅。本当の地獄絵図になるかどうかは、この駅にかかっている。わたしの脳裏には、AKを持った少年や中身を散らした兵士の姿が浮かぶ。アーメン・ハレルヤ・ピーナッツバターだ。


 いつもここで乗車率が跳ね上がる。確実に隣人と密着することになる、それは決定事項だ。ただ問題は。


 この駅には、プロがいる。


 罪人収容のプロ。


 窓から見える待ち人たち、わたしは窓越しに天を仰いだ。


 ああ、神は死んだ。


 一言で言えば「収納上手のプロオタク」。ポニテにボーカロイドのヘッドフォン、二台持ちのスマホ、キーホルダーじゃらじゃら。ヘドバンと口パクは欠かさない、上背のある男。


 なぜだろう、いつも見るメンバー全員からため息が聞こえてきそうだ。ふざけてる場合ではない、エイメン。そしてわたしのすぐ隣のドアが、ついに開いた。


 降りる人はいない。ということはこの列すべてが純粋に加算されるわけだ。だがプロは焦らない。後ろから来る女性を先に通していた。華奢きゃしゃでマキシ丈ワンピの華やかな女性だ。最初は「紳士だ」なんて思ったが、今ではこの女性に対して祈ることしかできない。


 すべての罪人が乗車した。これだけでも十分断罪されているに違いないが、真実は残酷だ。


 プロはドアのフレームに手をかけた。その瞬間、華奢な女性の躯体くたいが吹き飛んだ。祈りは届かなかった。もう一度わたしは胸のなかでこう唱える。「神は死んだ」と。


 さあ、本当の地獄の完成だ。プロのヒップアタックによって、地獄はここに再臨さいりんした。ブリューゲルの描いた地獄、ダンテの描いた地獄。あるいはアウシュヴィッツ収容所。


 眼前にプロの腋下えきかがそびえる女性は失神寸前の顔をしている。車内のそれぞれが密着する人数は少なくて三人だろう。かくいうわたしもプロの仕事によって圧死寸前だ。


 車内をながめた後、正面に顔を戻した。プロは何食わぬ顔で頭を振っている。わずかに漏れるボカロ曲。汗のかぐわしい香り。にちゃりにちゃりと開閉する地獄の門。


 最高にクールな横顔だ。地獄製作者としては申し分ないじゃあないか。


 神がいないなら閻魔えんま様かサタンに祈るしかない。もう罪は犯さない。真っ当な人間でいると誓おう。だからどうかお願いだ。この世に電車より優れた公共交通機関を作ってください。

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