7 マシン、電撃

7-1 ブレスレット

 リタさんの左肩に触れていた右手を、そっと離す僕。

 シンとした室内。ロッキングチェアに座したリタさん。左隣のキョトンとした皆本と視線を合わせて、僕はぎこちない笑みを作った。

「ライナルト、これでリタさんのとこへ行けたよ。多分」

 情けなさ全開だ。小声だし、揺れた涙声になってしまった。ズズと鼻を啜って、手の甲で鼻から下を隠す。

「完全に居ないみたい。もう、声しないや」

「……そっか、うん」

 俯いていたら、皆本はそっと「お疲れさま」と労ってくれた。

 一方でリタさんは、どこか呆けたように中空を見上げ、やがてパタリと目を閉じた。慌てた皆本が様子を窺うも、どうやら精神世界へと入り込んだらしいと察して助言する。

 静かに繰り返す呼吸――眠っているのと変わらないそれを認めて、皆本は安心したように肩を下げた。

精神世界むこうで、ライナルトの姿を見ながらお話ししてるかなぁ」

「うん。そうだと思う」

 不意に、リタさんの口元が緩やかな弧を描いた。

「あ。笑ってる、おばあちゃん」

「本当だ」

「目が見えなくても、精神世界なら見えたりするかなぁ」

「そうだといいね」

 足元の静電気避けブレスレットが目に留まる。拾い上げるも静電気は来ず、僕はしばし逡巡しゅんじゅんしてから「あのさ」と口を開いた。

「いつリタさんが、静電気でバチッとやらないとも限らないよね?」

「え? う、うん」

「皆本がせっかく僕にくれたものだけど、ライナルトがリタさんのとこに留まるためにも、これ、リタさんに着けておいてあげてもいいかな」

 チタン製の薄い板が、角度によってキラリと反射する。目を丸くして顔を上げる皆本。それから二秒間顔を見合わせたあとで、彼女はきゅんと口角を上げて大きくひとつ頷いた。

「ありがとう、真志進くん」

「いや別っ、別にそんな。む、むしろごめん、皆本の優しさ、まるでそのまま返す、みたいな」

「ううんそんなことないよ。あ、じゃあ今度、改めてなにか代わりのもの贈らせてね」

「いっ、いいよ、悪いよ。僕ばっかり貰っちゃってるし」

「わたしが贈りたいのっ。それでも、ダメ?」

 うぐぅ! 純粋極まる上目遣い、かわいい。かわいすぎる。しかもあざとくないやつだっ。ぐああ、攻撃力高い! 僕はぐらりとよろめいて、左脚が半歩下がった。

「うぅ、あの、ホントにありがとう。貰、えるなら、嬉しいよ」

「わあ、よかった!」

「そ、けど、無理だけはしないで! きっ、その、気持ちだけでも、充分嬉しい、です」

「ふふっ、はい」

 だって、僕に贈るよりもまず剣に向けた方が何千倍もいい。そうして告白した方が効果的とも考えられ……いや待てよ。剣は贈り物をしてくる女の子は得意ではないとかなんとか言っていたっけ。それの最たるものがバレンタインだったような? うぬぬ、撤回しておかなければ。

「真志進くん?」

「へえ?! は、はいっ」

「ブレスレットいい? おばあちゃんに着けてあげる」

「あっ、う、うんっ。もちろん!」

 そうだ、いま重要なのはそっちではなくてライナルトとリタさんだ。

 正直なところ、ブレスレットを手放すことは三割ほど名残惜しい。皆本がくれたものであることもそうだけれど、本当にあのブレスレットは静電気を受けないように機能してくれていたのだから。はぁ、また静電気生活に逆戻りかぁ。近々同等なものを探さなければ。

「二人で、ゆっくりお話してほしいなぁ」

 皆本がリタさんの左手首にそれを着けて、そっと離れる。まるでライナルトを封印しておく魔法道具みたいだ。

「そうだね。積もり積もった、半世紀超えの会話だろうからね」

 そう考えると、なんだか急にしっくりきてしまった。あるべきところへ戻ったというか、だるまの目を入れたというか。画竜点睛がりょうてんせいってこういうことかもしれないな。

 リタさんの抱えていた写真立てをそっと抜き取って、皆本が元あったところへと戻す。「ついでに」と、眠るようなリタさんへ薄手のショールをかけて、僕たちは部屋を出ることに。僕はなんとなく、リタさんへ一礼してから退室した。

「ありがとうね、真志進くん」

「ううん。僕はライナルトを望むところへ戻しただけだから」

「それでも、ライナルトおじいちゃんがおばあちゃんの元に帰って来られたのは、真志進くんが真摯に向き合ってくれたからでしょ?」

 ふわり、黒茶の柔い髪の毛をひるがえして振り返る皆本。

「真志進くんは、わたしの家族の救世主ね」

 そうして、はにかむように「ひひ」と小さく笑んだ。

「そんっ、そんな、御大層な」

「ふふっ、まぁいいからいいから。あ、そうだ真志進くん、お茶くらい飲んでいってよ」

「え、けど……」

「もしかして、このあとご用事ある?」

「ううんううん! ご用事なんてべべべ別になにも特には、うんっ」

「じゃあ決まりっ。お呼ばれしてよ。わたしもちょっと、お話ししたいことあるし。ね?」

 お話ししたいこと、だって? もしや、いやもしかしなくても剣のこと、では?

 そうと決まれば乗るしかない。確実にこのタイミングが勝負だ。

「う、うんっ! じじじじゃあお呼ばれいたしまする」

「ふふふっ! 語尾が武士みたいになってる」

 ああ、この笑顔を見ているだけで満たされる。きっとライナルトの快活なところが、いまの皆本に活きているのだろう。なんだか胸が詰まる。喜びか、充足感か、誇らしさか。

 これが見られるなら、僕はいくらでも武士みたいな語尾になろう。そしてゆくゆくは、この皆本の笑顔を剣にも好きになってもらえたらいい。僕が剣に、彼女のよさをこれから伝えたらいい。そしていまから、剣攻略に向けての助言を僕がするんだ。うん、そうだ。そう決めたんだ。その隙間で、こここ告白する……とは思うけれど。

「よかったらここ座って」

「う、うんっ。お邪魔、します」

 皆本は僕をリビングに通してくれた。引かれたダイニングチェアに、まるでブリキの軋むようなぎこちなさで腰かける。

 全体的に、ヨーロピアン調の家具や小物が細部にまで飾られていて、逐一目に新鮮に飛び込んでくる。温かみのあるアイランドキッチンから、手際よくティーセットやらお菓子やらを持ってきた皆本は、僕の目の前にアイスティを出してくれた。

 背の高い切子グラスはただでさえ清涼感があるのに、そこに大きな氷とアイスティの茶色の濃淡が混ざって、ついつい喉に通したくなる。

「三〇分くらいしたら、二人の様子見に行ってみようか」

 皆本が向かいのダイニングチェアを引きながら提案を向ける。ピシイと背筋を伸ばしていた僕は、がくがくと頭を前後に振りながら「ソウダネ!」と承諾した。

「いた、いただきますっ、お茶!」

「ふふ、はぁーい。召し上がれ。ガムシロとか好きに使ってね」

 と言われながらも、緊張で認識機能がイカれているのか、僕は無遠慮な所作でストレートのまま煽ってしまった。うう、本当はレモンを入れたかったのに。

「ああ、あ、あのー、皆本」

「うん? なぁに?」

 背の高い切子グラスをギュウと両手で掴む僕。

 酷く胸がざわつく。しかし、仕方がない。だってこれから僕は、一年間秘めていた恋心へみずから終止符を打ちに行くのだから。

「えと、その、じ、じじっ、じ、実は――」

 もしライナルトがいまここに居たなら、確実にうるさくせっつかれている。「タラタラしとらんと早よ訊かれ」とかなんとか言うに決まってる。そうしたら、僕はなんと返す? 「うるさいな、いま順番に言うよ」とかなんとか前置いて、スゥ、ハァで呼吸を落ち着けるかもしれない。

 一瞬のうちにそこまでを想像し、すると背筋がゾワゾワと波打った。僕は、もうきっと一人でも言える。ライナルトが僕にかけ続けてくれた言葉たちが、僕の一歩踏み出す勇気になる。

「――ここ、こ、この前から、ちょっと気になることが、あって」

「え? うん。なに? どんなこと?」

 生唾ゴクリ。かすかに、先程流し込んだアイスティの残り香が上顎の内部に貼り付く。

「皆本は剣のこと、どう思ってる?」


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