6-6 トクベツなヤツ
ピシリと凍るその場。見えていないリタさんの
[声も、お歳も違うのに、いらっしゃったあなたが、とてもライナルトに感じるの]
ぐ、ものすごく核心づいている。
[『さっきの一言なんか、彼そのものに思えたわ。ポジティブな提案か、だなんて』……フフフ。『あの人、よくそうやって訊ねてきた。それはポジティブな気持ちで決めたのか、って』]
[それでさっき、リタは
内心へひとりごちるライナルト。生唾を呑む僕の掌には、いつの間にかジットリと汗が握られていた。
[あなたは、ライナルトとお知り合いなの? それとも、伝え知っていた? どういうご関係なのか、わたしも知りたいわ]
[『そう、ですね……どこから話せばよいやら』]
困惑のライナルトは、ドイツ語の後にニタァと笑んだように声を上ずらせた。追い込まれれば追い込まれるほど、ライナルトは粘着質に笑む。そうして緊張や重圧から逃れようとしているんだろう。
[フハッ、こりゃ予想外やがいね。困った困った]
リタさんからしてみれば、『僕』はたかだか孫娘の友人知人の一人にすぎない。そんな奴が、無関係なはずのリタさん自身の過去を根掘り葉掘り訊いてくるなんて、至極異質だ。快くお話していただけたから錯覚していたけれど、本来なら何かしらを疑われて当然だ。
本人確認なんて『見てもらう・聞いてもらう』のが一番早い。しかしライナルトは実体がないから『見えない・聞こえない』。皆本に伝えたときは、精神交換でなんとか区別してくれたけれど、リタさんは『普段の僕』を知らないのだから、そこでは比較できない。ライナルトのことは、僕だけが見えて聞こえ――僕だけが……『僕だけ』。
「替わって、ライナルト」
[おん?]
「僕に考えがある。意識交替だ」
[へ?]
「意識交替! 早くっ」
[お、おぉ……]
ハテナなライナルトは、素直に僕の精神を引き戻してくれた。視界の転換や突発的変動で、やっぱり「うわっ」と情けない声が出てしまう。うぐっ、頭クランクランするのは何度やっても慣れない。
「ライ――真志進くん、大丈夫?」
コソコソと窺ってくれる皆本。うわお、生身かわいい。前頭を抑えながらそろりと目を開けていく。
「ううう……だ、大丈夫だよ、皆本。ごめん、替わっただけ」
「真志進くん! おかえり」
「ふぇ、た、ただいまっ」
最高。コソコソながらこのやりとり最高。しかし、いまは噛み締めている場合ではないな。咳払いをひとつして、呼吸を整えて。
「あの、リタさん。質問に質問を重ねて申し訳ないのですが……いまお話を伺っていて、リタさんはライナルトともう一度会いたいと乞い願っているように僕は感じました。いかがですか」
「え? ええまぁ、そうね。可能なら、もう一度会いたいわ」
戸惑いの声色。当然だ、突然コロコロと話題を変えられたらそうもなるだろう。
「わかりました、安心しました」
[マシン? どっから切り込むつもりなん]
まぁ、ちょっと。
「実をいうと、僕はライナルトと血縁関係でもなんでもありません。ついこの前まで、まったく知らない人だったんです」
「まったく、知らない?」
「はい。ですがつい先日、縁あってライナルトと知り合うことになりました。彼は確かに『あのとき』に亡くなっています。だから、実体はありません」
みずからの左手首に右手を寄せる。
「ですが、僕は『最近』彼と出逢いました。どうやって? 幽体であるライナルトと、出逢ったんです」
カチャリとかすかに鳴って、それを右手がそのままキャッチ。思いのほかスムーズに金具を外すことができた。
「どういうことか、わたし、よくわかりません」
「すみません、わけのわからないことをお伝えして。でもひとまず、いまとさっきの『僕』が違うことなら、おわかりいただけますか?」
「え? あ、ええ、それはわかります」
「よかった。充分です」
僕とライナルトの話調子が違うことなら、リタさんは気が付いてくれるだろうと踏んで正解だった。視覚情報を欠いている分、他の五感が過敏になることで些細な変化を感じているはずだから。
僕は深呼吸をして、胸を張る。ライナルトに見えていないことはわかっているけれど、ライナルトに向き合うために姿勢を正す。そして内側へ向けて「そういうことで」と前置いた。
ライナルトはこれを
[は?]
は、じゃないよ。憑依おしまい。ライナルトは僕とサヨナラしなくちゃ。
[サヨナラて……なに言うとん、
急? 何を今更。ここがライナルトの目的地じゃあないか。そのために動いてきたんでしょ。
[ほやけどォンね。もっとなんやこう、あるやんけっ。最後らしいなんかとかやな]
アハハ、ないよ。ライナルトはリタさんと再会することが目的で僕にとり憑いたんだ。だから、もうなにもないよ。
口角を上げて、目を閉じる。皆本が案じるように僕を覗いたけれど、いまは集中だ。
[ないないて、そんな簡単に繰り返してくれてやな。えらい冷たい男やねけ、おん?]
離別を寂しく想ってくれるの? ありがたいけど、ライナルトも僕ももう先に進まなくちゃ。
[先に……け、けど]
ライナルトは、これからはリタさんの傍にいてあげなくちゃ。自分の娘も孫もいるこの家で、半世紀以上望んだことを叶えなよ。よかったじゃないか。それとも、僕の努力も皆本の協力も無駄にするの? やめてよ、本当は今日塾だったんだからね、僕。
嘘だけど、の一言は奥歯で噛む。うっかり情をかける言葉を思い浮かべ続けると、その場で鼻水が垂れてしまいそうだった。それを啜ると、きっと鼻の奥がムズムズして、涙腺が刺激されて、ブワッと涙が噴き出してしまうに違いない。
[嘘や、ほんなん。いくらユズキの家に来るいうことになっとっても、マシンがおベンキョ
バレた。いとも簡単にバレた。
と、とにかくっ。早くリタさんのとこに行きな? 僕がリタさんに触れるから、そうしたら静電気を伝ってリタさんに移る。いい?
[いくない]
いくなくない。
[ワシ、マシンになんもしとらん]
そんなことない。この数日間で、ライナルトからいろーんなことを、僕は貰った。
[なんけェ、言うてみられま]
いいよ、えっとね。嫌がらせ、
[そっちかいや! ダラボケ、ほんなんコミュニケーションやねけ。フツーのこっちゃ!]
少なくとも僕の『普通』には無かったことだもん!
[あーあーいいがいいが。ほなら最後やちゃ。ワシん気持ち言うとくわいや]
口腔内を噛んで、涙の気配をやり過ごす。そんな風に
[あんなぁマシン。頼むから、頼むからやな――]
至極真面目な声色だ。「な、なに?」と
[――ヤケんなって、ツルギと恋人関係になったりしんでくれや?]
ズコン、と右肩がずり落ちる。あーもう! またベッタベタな『ズッコケ』を
[やってェンね。手近やんけ、ツルギもマシンのこと大好っきやしな? 振り向いてもらえん女より、旧知の仲で済ます可能性やってあるかもしれんがいね]
そんなわけないでしょっ。まったく、僕たちのことなんだと思ってんの?!
[あーあー、心配や心配や。二人ンこと心配やで安心して夜しか眠れん]
夜だけ寝とけば充分だよ! ていうか『振り向いてもらえない』ってなに? まだわからないって言ったの、ライナルトじゃないか。
[え? ほ、ほいだらマシン、お前]
このっ、こ、この後、タタ、タ、タイミングみて、今日、その、告白してみる、かなと。
[ほへぇ! マジけェ!]
ま、まあねっ。
ライナルトや剣が一生懸命なのを見てたら、僕も触発されたんだ。自分に正直になってみたい。それでダメなら、僕は皆本へ全力で剣の良さを伝えに向かうだけだ。うん、僕のやるべきことはあとふたつ! わあ、泣きそう。緊張と寂しさでいますぐどうにかなりそう!
まぁ、そ、そういうことだから。じゃあね、ライナルト。静電気有効活用出来る日がくるなんて、思ってもみなかったよ。
皆本がくれたブレスレットを、完全に左手首から外した。それを一旦床へ置く。大丈夫、静電気は発生していない。
これで僕の身体は、帯電体質剥き出しの状態だ。
[ちょ、待たれマシンっ]
告白の結果は、改めて皆本に訊いて。リタさんの精神世界からならいつだって皆本に会えるでしょ? ふ、フラれてたら、笑ってもいいからっ。特別だからね?
努めて明るい声色で、ライナルトへ諭す。目を開けて、右手をリタさんの左肩へ伸ばしていく。
[ワシ、楽しかったぜ? マシンとガッコ行ったの、がんこ楽しかったが]
「リタさん、ちょっと左肩に失礼いたします」
「真志進くん?」
「ダイジョブ、『移動』させるだけだよ」
[マシンの優しーい気持ち、全部全部嬉しかったぜ? マシンはワシにとって、トクベツなヤツや。な? それ忘れんでくれ]
ライナルトが話しかけてくるけれど、僕はなにとも言えなかった。
[ずっと忘れんでな?]
吸ったひと息が塩くさい。それに、わなわなと震えている。
「ライナルト、元気で」
ピタリ、リタさんの左肩に手を添える僕。その瞬間、実に五日振りに、バチッと静電気が走った。
[ありがとうな、マシン]
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