第28話
「行ってらっしゃい」
楓に見送られることに少し恥ずかしい気持ちになりながら小さく手を振って出かける。
「あぁ、行ってくるよ」
玄関のドアに手を掛けると楓が慌てたように言ってくる。
「あっ、岸野さん。お弁当忘れてますよ。あと、この家の鍵はどうしましょうか?」
「そうだな……、ここに合い鍵を置いているから好きに使ってくれて良いよ」
俺は玄関にある小さな下駄箱。
その上に置いている小さな籠の中にハンコや合い鍵などが入っていた。
「えっと、さすがにそれは――」
「大丈夫だ。美澄を信用してるからな」
不安そうに聞き返してくる楓。でも、もう何度もこの部屋に通っている楓なら安心して任せられる。
「わかりました。大切にお預かりさせて貰いますね」
「あぁ、それじゃあよろしく頼むな」
俺は弁当箱を受け取ると今度こそ会社へと向かっていく。
◇
「岸野先輩、今日はなんだか機嫌が良いですね」
会社に着くと山北が声を掛けてくる。
自分ではなかなか気がつかないが、どうやら機嫌が良いのが顔にまで出ているようだった。
「そうだな。久々に昨日遊びに出かけてな」
「岸野先輩一人で……ですか?」
「……お前は俺が一人で遊びに行って喜ぶような寂しいやつに見えるのか?」
「で、ですよね。それじゃあ一体誰と……?」
「いや、単なる知り合いだ」
「……俊先輩、その言い方だとすごく怪しいですよ」
山北と話していると渡井が気になったようで、話に加わってくる。
「そんなことないだろう?」
「それじゃあどこに行ってきたのですか?」
「遊園地だな……」
「……やっぱり知り合いじゃないですよ、それ! すごく怪しいやつですよ!」
渡井が大声を上げてくる
「それにわざわざ遠くの遊園地に行くなんて――」
「いやいや、渡井。ちょっと待て。俺は遠くの遊園地には行ってないぞ? すぐ近くにあるだろう?」
「えっと、それってあまり乗り物がない小さな子供が行くような……」
「あぁ、そこだ」
「えっと、俊先輩。もしかして、親友の子供と行ってきたのですか?」
「いや、それも違うが……」
渡井に説明していると山北が何かひらめいたようで言ってくる。
「もしかして、岸野先輩はあの妹さんと行ってきたのですか?」
山北が妹と思っているのは楓だったな。
「まぁ、それに近いか……」
「そ、それなら私も呼んでくださいよ! 言われたらすぐに飛んでいきましたよ」
「いや、休みの日に上司からの連絡なんて嫌だろう?」
「確かに普通の上司なら嫌ですけど、俊先輩からの連絡は別ですよ!」
「わ、わかったよ。今度またそんな機会があったら声を掛けるから……」
「約束ですからね!」
渡井の押しに負ける形で頷いてしまう。
さすがに楓と一緒に出かけるときは声を掛けられないが、ハルと出かけるときにでも声を掛けよう。
◇
昼休み、いつもと同じように山北と向かい合うように座って弁当を食べる。
「今日もお弁当なのですか? よく続けられますね」
「まぁ、慣れたらな……」
逆に楓が作ってくれることの方が普通になってきたもんな。
今急に作って貰えなくなったらその方が心配になる。
弁当箱を開くと色鮮やかなおかずが並べられている。
ただ、いつもと違ってそれだけではなく、弁当が入れられている袋包みには他にカードのようなものが一枚入れられていた。
「んっ、なんだこれ?」
徐にそのカードに書かれた文字を見る。
『岸野さん、今日も頑張ってください』
短いながらも丁寧に書かれている文章。
これはおそらく楓が書いたものだよな?
今までこういったものは貰ったことがない。
一行書かれているだけなのだが、それでも嬉しい気持ちになってくる。
そのカードを見て、俺は思わず微笑んでしまう。
「岸野先輩、どうかしましたか?」
山北が不思議そうに聞き返してくる。
「いや、何でもない。それよりも午後からも頑張っていくか!」
少し機嫌がよくなり、そのまま弁当を食べていく。
するとそんな俺の様子を山北は不思議そうに眺めていた。
◇
それから一日機嫌良く働くことができた。
仕事の進み具合も今までだと考えられないくらい好調で残業もなく帰れることになった。
そして、家に帰ってくると窓から良い匂いが漂ってくる。
もしかすると楓が先に来て料理を作ってくれているのかもしれない。
今までは俺が帰ってきてから作ってくれていたので……。
突然部屋に入っては楓が驚いてしまうかもと一応部屋の扉をノックする。
「はーい。少しお待ちください」
中から楓が声を出す。そして、すぐに扉を開けてくる。
「あっ、岸野さん。お帰りなさい」
「ただいま。先に料理を作ってくれていたんだな」
「えぇ、時間をかけた方が美味しいものが作れますから……」
「あと、今日も弁当をありがとう。あのカードのおかげでやる気が出たよ」
それを聞いて楓は顔を赤くしていた。
「それならよかったです……。このほうが岸野さんも元気になるかなって思いまして……」
もぞもぞと手を弄ぶ楓。
さすがにカードを書くのは勇気がいるようだった。
「それならこれからも入れさせてもらいますね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます