第29話
「そういえば明後日から夏休みなんですよ」
夕食を食べていると楓が思い出したように言ってくる。
「そういえばもうそんな時期だな。美澄は何かする予定はあるのか?」
「いえ、私はいつもよりバイトを増やそうと思ってるくらいです」
「そうか……。それなら家にいるときはこの部屋を使うといいよ。流石に冷房無しだと夏は辛いからな」
「大丈夫ですよ。うちにも扇風機くらいはありますし」
「流石にそれだけじゃ暑いだろう?」
「な、慣れれば平気です!」
ここまで頑なに言ってくるなら無理に……とはいえないな。
「まぁ、無理そうなら使ってくれたらいいからな」
「わかりました。そのときは使わせていただきます」
今はこのくらいで仕方ないか。
◇
翌朝、いつものように見送られながら会社に向かう。
昼のメッセージカード一つでここまでテンションが上がるって、俺は子供か!?
と言いたくもなるが、事実楽しみにしてる気持ちを抑えきれないので案外俺は子供なのだろう。
「岸野先輩、今日も機嫌が良さそうですね」
「あぁ、ちょっと楽しみなことがあってな。昼飯が楽しみだな」
「良いおかずでも入れてきたのですか?」
「まぁそんなところだ」
不思議そうにする山北をよそに俺はわくわくしながら昼を待った。
◇
今日はどんなことが書かれているのだろうか?
弁当箱を開けるとまずカードを探す。
するとわかりやすい位置に入れられていた。
『今日は岸野さんの好きなおかずを入れておきました』
書かれていたのはこれだけなのだが、それでも頬が緩んでくる。
「俊先輩、何を見ているのですか?」
後ろから覗き込むように渡井が聞いてくる。
「い、いや、何も見てないぞ?」
「……? あれっ、何か持っているように見えたんですけど……」
サッとポケットの中にしまい込んだおかげで渡井に気づかれずにすんだみたいだった。
ただ、半信半疑で俺の回りを何か探しているようだった。
「やっぱり何もないですね。私の気のせいでした。でも、俊先輩のお弁当、今日もすごいですね……」
俺の弁当箱を覗き込んで渡井が感嘆の声を上げてくる。
「そ、そうか?」
「そうですよ。中のおかずは全て手が込んでますし、よくここまで作れますよね?」
「ま、まぁ朝から頑張ってるからな……」
俺は苦笑を浮かべながら答える。
ただ、料理が出来る渡井が行ってくると説得力があるな。
楓……、そこまで手の込んだものを作ってくれていたんだな。
感謝しないとな……。
「本当に岸野さんが作っているのですか? 例えば彼女さんが作ってくれているとかじゃないのですか?」
「いや、そんな相手がいないことは渡井も知っているだろう?」
「そうですね。うん、そうでした……」
わざわざ二回も言われると心がチクッと痛む。
ただ、そんな俺とは引き換えに渡井は小さくガッツポーズをしていた。
◇
わざわざ楓がカードを書いてくれているのに俺が何もなし……というのは申し訳なく思えてきたのでせっかくだから俺からもカードを書いてみることにする。
何も言わずに書くのできっとそれを見た楓は驚くだろうな。
少し口元を緩めながら楓に日頃の感謝を言葉にしておく。
『いつも弁当を作ってくれてありがとう』
本当ならもっとしっかりとした言葉で書きたいのだが、俺の語彙力だとこれが限界だった。
それを弁当箱に入れておくと家へと帰っていく。
◇
「お帰りなさい。今ご飯を作っていますので」
部屋に入ると楓が笑顔で迎えてくれる。
これで何の関係もないただのお隣さんだなんて信じられないよな。
俺は苦笑しながら弁当箱を流しに置いておく。
「あっ、岸野さん。洗い物も私がついでにしますので置いておいてください」
「すまんな……。ありがとう」
楓にお礼を言うと俺は風呂の準備を始めておいた。
そして、料理の準備が終わると楓は先に片付けられるものの洗い物を進めていく。
するとその瞬間に俺が入れておいたカードを発見したようだった。
「あれっ、これは私が入れたカード……じゃないですよね? えっと……」
楓がカードに書かれていた言葉を読み始める。
そして、その瞬間に嬉しそうな表情を浮かべていた。
「えっと、これって岸野さんが……?」
「あぁ、美澄に一方的に書いてもらうのは申し訳ない気がしてな。俺も返していくことにしたんだ」
「これは……思ったよりうれしいですね」
楓は少し頬を染めて照れていた。
その表情を見て俺はいたずらが成功した気持ちになる。
「そうだよな。意外と嬉しくて美澄にも……と思ったんだ」
「ありがとうございます……」
小さく微笑む楓。
「それよりも飯が冷めてしまう。さっさと食わないか?」
「そうですね、ではお箸をどうぞ」
楓から箸を受け取ると俺は夕食を食べ始める。
◇
そして、食事が終わると楓は部屋へと戻っていった。
すると、部屋の中に静寂が訪れる。
「やっぱりこうなると寂しくなってくるな……」
すでに楓と一緒に食事をすることが普通になりつつある。
だからこそ帰って行った後が少し寂しい。
一緒に暮らしているわけじゃないから仕方ないんだけどな……。
俺は苦笑しながら準備しておいた風呂に入る。
そして、出てくると玄関がノックされる。
こんな時間に誰だろう?
さすがに寝間着姿で出るのは悪いかと思ったが、緊急事態かと思い、扉を開ける。
すると、そこには申し訳なさそうに鞄だけ持った楓がうつむき加減に言ってくる。
「岸野さん、こんな時間にすみません。ただ、他に行くところもなくて……」
「とにかく中に入れ」
「すみません……、ありがとうございます」
楓が部屋の中に入ってくる。
いつものように向かい合うように座ると事情を聞いてみる。
「それで一体何があったんだ?」
「はい、実は私の部屋が配管の故障で水漏れしてしまいまして……。部屋中が水浸しで寝泊まりできるような状態じゃないんです。一応大家さんには連絡したのですけど、完全に直るまでの寝泊まりする場所がなくて……」
楓が顔を伏せながら申し訳なさそうにしてくる。
「そうか……、それならうちに泊まっていくか?」
ただのお隣さんならこんなこと言わないのだが、楓ならすでに俺の部屋に泊まっていったこともある。
だから困っているなら……と軽い気持ちで聞いてみたのだが――。
「ほ、本当にいいのですか? 実は私もそれをお願いしようとしたのですけど、岸野さんにご迷惑を掛けると思って言い出せなくて……。ありがとうございます……」
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