第2話

 翌日、俺は早起きをしていた。


 さすがに昨日残業もなしに帰ったわけだからその穴埋めをしないといけない。

 そう思い、起きて早々に昨日買ってきた弁当を温めて食う。


 ただ、いつもの変わらないその弁当はどこか味気ないものに感じられた。


 どうしてだろうか? もしかして味が薄くなったとかか?


 少し首をかしげながらも全部平らげると俺は慌てて家を出て行った。


 すると、出かけるタイミングが重なったようで楓もドアに鍵をかけていた。

 ただ、軽く会釈をする程度だ。


 それが隣人としては正しい対応の仕方だろう。

 そして、向こうもそれを理解しているのだろう、同じように軽く頭を下げてきた。


 特に言葉を交わすことなく俺は会社へ向かっていく。



 ◇



「岸野先輩、今日は早いんですね。おはようございます」

「あぁ、おはよう。たまにはな……」

「それに顔色は……少しはマシになりましたね。それに何か嬉しそうですけど、良いことでもあったのですか?」

「いや、昨日はコンビニ飯じゃないものを食ったからな。それのおかげかも」

「珍しいですね。一体どこのお店に行ったんですか?」

「いや、手作りの……」



 それを伝えた瞬間に山北は口をぽっかり開けていた。


 いや、お前ならいつでももらえそうだろう! なんで俺が手作りの料理を食っただけでそんなに驚いているんだ!


 さすがに山北に驚かれると突っ込みたくなる。

 すると、ちょうど会社にやってきた渡井が驚きのあまり大声を上げてくる。



「えっ、ど、どういうことですか!? まさか俊先輩に彼女が?」

「いやいや、そんなわけないだろ」



 全く、こんなことで騒ぎやがって……。

 だから恋愛ごとは面倒なんだ……。

 それにお前達も社会人なのだからこんなことで騒ぐなよ……。


 心の中で溜め息を吐く。



「そ、そうですよね。驚かせないでくださいよ……」



 なぜか安心したように渡井が微笑む。


 そこまで俺に彼女が出来ることが不自然なのだろうか?


 なぜか少しだけ悔しい気持ちをもった。

 ただ、それを気にしていられないくらい仕事が溜まっていたので、そちらに意識を向けていく。



 ◇



「やっぱり仕事が溜まっていたな……」



 昨日できなかった分、今日はしっかり残業をすることになり、日も変わろうかという時間にようやく帰ることが出来た。


 まだ帰れるだけマシか……。


 ふらつく足取りでゆっくり帰宅していく。

 もう体調も戻ったと思ったが、やはり無理をしたときにはぼろが出てしまう。


 意識も朦朧もうろうとする中、なんとかアパートまでたどり着けた。

 さすがに食欲はわかないのでコンビニにも寄らずに帰ってくると部屋の前で楓と会う。


 ただ、挨拶をする余裕も無く、そのまま部屋へと入っていく。

 その瞬間に気が緩んだのか、俺は玄関で倒れ込んでしまった。



「だ、大丈夫ですか!?」



 遠くの方から楓が心配する声が聞こえる。

 でも、意識を保つことが出来ずにそのまま俺は気を失っていた。



 ◇



 なんだろう……、ご飯が炊ける良い香りがする……。


 ぼんやりと意識を取り戻してきた俺がまず感じたのはその匂いだった。

 でも、俺に飯を作ってくれる相手はいない。


 つまりこれは夢なんだろうな……。


 まだ頭が重い気がする。

 やはり、ほぼ徹夜した一昨日の疲れが完全には取れていなかったのだろう。

 その上で今日も残業……。


 無理に無理が続いてしまって、体が悲鳴を上げてしまったのだろう。


 でも、もう明るくなってきたな……。

 さすがにそろそろ起きないとまずいか……。


 ゆっくり目を開けていく。

 すると俺の目にとまったのは制服の上から白いエプロンを着けた楓がなぜか俺のキッチンで料理を作っている姿だった。



「……えっ?」



 思わず声を漏らしてしまう。

 すると楓が振り向き、ホッとしていた。



「もう体は大丈夫ですか? 昨日は突然倒れられてびっくりしました」



 確かに倒れる前に俺のそばには楓がいた気がする。

 なるほど、急に倒れた俺を看病してくれたのか……。



「ありがとう、おかげで助かったよ」

「いえ、たいしたことはしていません。むしろ私の方こそ申し訳ありませんでした」



 なぜか楓が謝ってくるので、俺は首をかしげる。



「どうして謝るんだ?」

「倒れられたのって一昨日に私の鍵を探してくださったのが原因ですよね?」



 確かにそれも原因の一端ではあった。

 でも、全ての原因がそれ……というわけではない。



「体調も管理できなかった俺のせいだ。お前が気にする必要はないぞ」

「いえ、それでも責任の一端が私にあるのなら、看病するのも私の仕事ですから……」



 そこまで責任を感じなくていいのにな……。

 そう思いながらゆっくり起き上がろうとする。

 ただ、体が動く気配がなかった。



「あれっ?」

「無理しないでください。すごい熱が出てますから……」



 楓がおかゆと一緒に薬を持ってきてくれる。



「一応常備してる薬を持ってきましたけど、あとからお医者さんに行ってください。それから会社は休んでください。そんな体調でいけないと思いますけど――」

「それなら連絡を……」

「私がしておきます。連絡先を教えてください」

「いやいや、さすがにそれは駄目だ。俺がしておく」



 楓に連絡をされた日にはどんな噂を立てられるかわかったものではない。

 それを考えるなら多少無理してでも俺がかけておくべきだ。



「そうですか。では早いうちにした方が良いと思います。もう、結構な時間ですから……」



 スマホの画面から時計を見るとすでにいつもなら家を出ている時間だった。

 俺は慌てて体調不良の連絡をする。



 ◇



 予想外の休みが出来てしまったな……。

 ちょうど明日は週末で会社が休みというこのタイミングで風邪を引いてしまうとはな。


 俺はゆっくり体を起こすと楓から受け取ったスプーンでおかゆを掬う。

 そして、それをゆっくり口に含む。


 本音を言えばもう少し味が濃くても良いのだが、病人の俺を気遣ってくれたのだろうか? 優しい味が口の中に広がる。



「うん、うまいな……」

「ただのおかゆです。練習すれば岸野さんでも出来るようになると思います」



 やはり褒められるのには弱いようで、一瞬照れた表情を見せてくれる。

 しかし、すぐに顔を背けていた。



「俺は料理はからっきしだからな。本当に助かったよ」

「いえ、気にしないでください。あのとき助けてもらったお礼ですから。これから体調がよくなるまで私が料理を作りに来ます」

「さすがに毎日は大変だろう」



 俺の世間体とか……。



「そうですね……。確かに二人分の食費となると大変ではありますが……」

「自分の食費くらい自分で払う。ただ、言ってるのはそういうことじゃ……」

「いえ、私の気持ちの問題です。食費もいただけるのでしたら一人分も二人分も変わりませんので」



 まぁ、このまま俺の体調が悪くなっていきでもしたら楓も夢見が悪いんだろうな。

 ゆっくり寝たら数日で治るだろうし、それまでの付き合いだと考えるか……。



「わかった。ただ、ここにいる間の食費は全部俺が受け持つ。それくらいはさせてもらっても良いか?」

「……わかりました。ではよろしくお願いします」



 こうして俺の体調が治るまでの間、楓が食事を作ってくれることになった。

 なんだか妙なことになったなと眉をひそめながらも俺はもう一口おかゆを食べる。


 やっぱりうまいな……。

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