第1話

 一時間の仮眠をしたあと、俺は寝ぼけ眼を擦りながら会社へと出社する。



「おはようございます!!」



 会社に着くなり大声で挨拶をしてくる後輩の山北悠人やまきたゆうと

 爽やかな笑顔と元気が取り柄のイケメンである山北は近づいてくると不思議そうにする。



「あぁ、おはよう……」



 さすがに寝不足の今にこの大声はつらいな……。


 苦笑を浮かべながら席に着くと岸野俊きしのしゅんと俺の名前が書かれた名札を付ける。

 そして、机に伏せると山北が心配して聞いてくる。



「岸野先輩、どうかしたのですか? なんだか顔色が悪いですよ」

「あぁ、少し寝不足でな」

「また仕事のしすぎですか? 無理しないでくださいよ」

「いや、そういうわけでもないんだけどな……」



 苦笑をしながら俺はコーヒーを飲み、意識を仕事へと向けていく。

 しかし、覚醒するには至らず、小さいミスを数回繰り返してしまった。


 ◇


 昼休みになり、山北と食堂で昼食を取っていた。



「岸野先輩がミスするなんて珍しいですね」

「無理をしすぎたんだろうな。改めて休みの大切さを理解したよ。今日は残業せずに帰れるようにするか」

「それがいいですね」



 山北が何度も頷いていた。

 すると後ろから大きな声をかけられる。



「俊先輩、どうしたんですか? 元気がないですよ」



 声をかけてきたのは山北と同期入社の渡井わたらいあやせ。

 少し小柄の体。ただ、それに似合わないほどスーツの一部分が膨れ上がり、男なら誰でも視線がそこに向いてしまう。

 肩ほどまでの黒髪で顔は童顔。

 本人は気にしている様子だが、そこが可愛らしく思われて隠れた人気者だった。


 そして、なぜか渡井は頻繁に俺たちに会いに来ている。

 おそらく俺と一緒に山北がいるからだろうが、そのおかげで周りからは歯ぎしりが聞こえそうなほど羨まれてることに渡井は気づいていない。



「少し寝不足でな……」

「えっ、それってまさか……女性ですか!?」



 渡井が驚いた様子を見せてくる。


 どうしてそこで女性絡みだと結び付けてくるんだ……。


 俺は呆れながら渡井を見ていたが周りの反応は違った。

 それを聞いた瞬間にガタッと椅子の動く音が聞こえる。



「岸野先輩、もしかして彼女が出来たのですか?」



 山北も驚いた様子で聞いてくる。



「いやいや、違うぞ。ただ、家の隣の人が困っていたから助けただけだ。そんなことあるはずないだろう」



 それを聞いて渡井はホッとする。



「そうですよね。そんなに簡単に俊先輩が落とせるはずないですよね」



 何か含みを持って言われた気がする。

 まぁ、渡井はいつもこんな感じだから特に気にせずに昼食を食べる。



「俊先輩っていつもここのカツ丼ですね。さすがに栄養が偏りすぎじゃないですか?」

「これじゃないと力が出ないんだよ」



 自分でも偏食なのは理解している。

 朝はほとんど食うことが無く、昼はカツ丼、夜はコンビニ。

 栄養的にもあまりよくない生活だ。



「もしよかったら私が作ってきましょうか?」

「いや、それはさすがに悪いからな。遠慮しておくよ」

「別にいいのに……」



 残念そうな顔を見せてくる渡井。


 ◇


 定時になり、今日は早めに帰らせてもらうことになった。



「岸野先輩、後のことは任せておいてください!」



 自信たっぷりに言ってくる山北。

 それが余計に心配なのだが、必要な仕事は終わっている。

 体調が悪い奴が長居してても迷惑だろうからな。



「あぁ、あとはよろしく頼むな。それじゃあお疲れ様」

「はいっ、お疲れ様です!!」



 帰り道の途中、俺はコンビニに寄り夕食の弁当を買って帰る。

 買うのはいつもの焼き肉弁当とペットボトルのお茶。

 あまりに毎日過ぎてコンビニの店員にも「いつものやつですね」と言われてしまうほどだった。


 アパートに帰ってくると部屋の前で楓がちょうど部屋に入ろうとしていた。

 軽く会釈を交わしてそのまま部屋に入ろうとする。

 そして、俺が手に持つコンビニの袋をみて楓が怪訝そうな表情を見せてくる。



「コンビニ……なんですね」

「まぁな……」



 適当に相づちで返すと更に話を続けてくる。



「もしかして、毎日……なんですか?」

「あぁ、自炊することはほとんどないな」



 すると何かを楓は口に手を当てて考え込み、言ってくる。



「そんな不摂生をしたら駄目です。助けてもらったお礼に私が作らせていただきます」

「いやいや、そこまでしてもらうわけには……」

「いえ、そんな生活をされていたら絶対に体に悪いですから。体は大切にしてください! とにかく後から食事を持って行きますね。食べるかどうかは任せますので」



 有無を言わさずに部屋に戻っていく楓。


 まぁお礼……ということなら一食くらいもらってもいいか。

 毎日コンビニ弁当だし、さすがに飽きてたわけだもんな。


 部屋に入ると弁当は冷蔵庫に入れておく。


 まぁこれは明日の朝にでも食えば良いよな。


 しばらく待っていると楓がお盆に料理を乗せてやってくる。



「どうぞ、簡単なものですけど」



 ご飯、味噌汁、肉じゃが、ほうれん草のおひたし……といった懐かしい料理が出てくる。

 そのしっかりとした見た目の料理に思わず俺は喉を鳴らす。



「これが簡単に……出来るのか?」

「はい、それよりも冷める前に食べてください」

「そうだな、いただきます」



 俺は手を合わせたあと、まずは肉じゃがから手をつける。

 どこか暖かい味付けで思わず頬が緩みそうになる。



「うまいな……」

「これくらい普通です」



 口調はいつもと変わらないのだが、表情は少し柔らかいものになり、喜んでいるのだとわかる。

 ただ、その表情は一瞬ですぐに元の顔に戻ってしまう。



「なんだかもったいないな……」



 一瞬で見られなくなってしまったその表情のことを思って、思わず呟いてしまう。

 しかし、楓は料理のことだと思ったようで、呆れた口調で言ってくる。



「そんなこと言わずに全部食べてください」



 それから貰った料理を食べていたのだが、楓はその様子を食い入るように見てくる。


 流石に見られながらは食いづらいな……。


 そんなことを考えながら楓の顔を見る。そこでふと思った。



 これだけの容姿をしていて、しかも料理上手。

 すごくモテるだろうな……。おそらく彼氏の一人や二人くらいいてもおかしくない。

 彼氏がいるのに俺のところにいて大丈夫なのだろうか?



 嫉妬深い相手だと、これが一回限りのお礼……ということを伝えても聞いてくれないと思うが……。

 さすがに心配になり、楓に確認をする。



「昨日、部屋に連れてきた俺がいうのもなんだがこの部屋に来て大丈夫なのか? 彼氏とかが文句を言ってこないか?」

「……そんな相手いないです。別に作りたいわけでもないですから、面倒なだけです」



 もしかするとそういう仲に進展するのが面倒だから俺にもお礼をしてきたのだろうか?

 恩を返しておかないとお礼と称して付け込まれるかもと……。



「俺もそういう面倒ごとはごめんだな。今は自分のことでいっぱいだ」



 どうせ楓とも今回限りの仲だろうからな。

 明日からは以前と変わらない生活が待っているはずだ。



 そして、一通り食べ終えると楓は頭を下げて立ち上がる。



「では、私はこれで失礼しますけど、これからも不摂生はやめてくださいね」



 楓は小言を告げたあと、自分の部屋へと戻っていった。

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