握る手首

「これを男が現実にやるのは犯罪的だけど女がやるならその感覚は失せるよ」

楠子くすこ。男だろうと女だろうと、いきなり手首掴んだら犯罪だよ」

「でもやらないと」

「まあ・・・ね」


 このシーンは小説序盤のクライマックスなんだよね。


『見えない通り魔』が通行人13人を無差別にナイフで刺す。

 犯行現場は浅草のサンバカーニバル。

 三社様と観音様のお膝元で起こるその卑怯な殺戮の犯人は溢れかえる観客に紛れてまんまと逃げおおせようとするんだけれども、レンジがそれを阻止するために取った方法が彼も無差別に通行人の手首を握って、脈拍の微妙な変化や異常でもって犯人を探り当てようとする方法。小説ならではと思うことなかれ。


 わたしと楠子は類似するシチュエーションを探して池袋の東口あたりをパトロールする。


君代きみよ。ずっと昔、池袋で通り魔があったの知ってる?」

「知ってる」

「どうして?」

「母親が持ってる小説の中にその事件をエピソードのひとつにしてるやつがあった」

「ふうん。ネットとかで知ったんじゃないんだ」

「スマホとかPCとか一切触らせてもらってない。テレビも押入れの中で毎晩隙間から覗くだけ」

「え!? まあ・・・監禁されてる訳だから情報コントロールもされてたんだね。じゃあ、アナタの情報源って」

「小説」


 ふ。

 わたしにとって小説の方がよっぽどリアルだよ。

 だってさ、こうやって楠子と二人で池袋の実際の道路を歩いてるけどまるで生きてない。

 人間の表情は薄いしビルの壁面は陰影がないし何より色がついてない。


 たった一行の文章の方がよほど濃かった。


「そろそろいいかな。ねえ、楠子」

「うん」

「わたしたちはレンジの上を行くよ」

「上? なにそれ」

「レンジは犯人を追ったよね。わたしたちは未然に防ぐ」

「え? どうやって」

「手首握って」


 当然ながら楠子は嫌がったよ。

 だって何も起こってないのに見ず知らずの通りかかった人の手首を握る。

 下手したら通報されちゃうよね。

 だからわたしは楠子にこう言ったんだ。


「握るのは男だけね」


 サンシャイン通りをサンシャインを見上げながら奥の方へと進んでいく。


「このあたり、だよね。小説の描写は緻密だな」

「そう・・・東急ハンズのこのあたり・・・」

「行ってらっしゃい」

「行ってくる」


 楠子の歩行姿勢ってすごく綺麗・・・

 男女含めても頭ひとつ抜けるぐらいの長身で・・・わたしが読んだ小説の中にもちょっとこういうヒロインはいなかったな・・・


「あの、すみません」

「は、はい?」

「失礼します!」


 おお。

 握ったよ。


「え? あの・・・」

「すみません。大丈夫です。失礼しました・・・」


 わあ・・・走るのも速い速い!


「ちょっと君代わたしこんなの無理無理大体なんでわたしがこんなっ!」

「大丈夫大丈夫。小説を超えたいでしょ?」

「小説を超える・・・?」

「わたしはさ。今にして思うんだよね。だって母親とわたしの読書遍歴は一致してるんだよ? 本当に危険思想みたいな小説も中にはあったけど概ね人間の深みとか最後の最後の尊厳みたいなものを書いてた。でも母親は実の娘を虐待してる。ねえ、どうして?」

「それは・・・君代とアナタのお母さんは違う、としか」

「じゃあなんで違う?」

「ごめん。まだわたしには分からない」

「本気かどうかだよ」

「え」

「わたしは主人公たちの突き抜けた行動が本気だと思ってる。でも母親は『どうせ作り話よ』って思考した」

「・・・そうだね」

「だから『どうせあのひとの暴力には逆らえない。わたしも一緒に君代をいたぶるしかないんだ』って短絡するんだよ」

「短絡・・・そうか。短絡ってこういう使い方するんだね」

「どうする? 楠子」

「行くわ」


 さすがわたしに声かけてきただけあるね。

 楠子は容姿だけじゃない。

 精神もヒロインだよ。


 楠子は午前中かけてクールビズのいでたちをした男たちの手首を多分30人は握った。正直脈拍そのもので判別するのは難しいかもしれないけど楠子は相手から感じる雰囲気で躊躇なく人を傷つける行動に直結する人間かどうかを見極めていった。

 離れて分析するわたしも大丈夫だと判断できた。

 何人かはサディスティックな嗜好の持ち主そうな感じだったり明らかに人を虐めて成長してきたような男もいたけどね。


 なんで分かるかって?


 父親と母親見てりゃ分かるよ、それくらい。


 それよりも一人困った人がいてさ。


「すみません失礼します」

「え? あの・・・」

「ありがとうございます。大丈夫でした」

「あ、あのっ!」

「は、はい」

「す、すみません、一目惚れしました! もしよかったらカフェで少しお話ししませんか!」

「え? でもその筒の資料。お仕事の途中でしょう?」

「はい。顧客へ持っていく図面です。これからプレゼンです」

「そんな大事な時にお引止めしてすみませんでした。どうぞお急ぎになってください」

「いえ。もしここで貴女と別れたらもう会えないでしょう。アナタはまったく素性の分からない男に連絡先を教えるようなひとではないでしょうから」

「あ、あの・・・」

「お母さーん!」

「き、君代!?」


 潮時だね。助け舟出そっか。

 わざとらしく楠子の腕に絡んで・・・と。


「お母さん。お父さんが早く来てって」

「あ!? ご結婚されてたんですね! 失礼しました!」


 あららら。可哀想なことしたかな。行っちゃった。


「君代。わたしが一体何歳っていう設定?」

「まあまあ。助かったでしょ? でも真面目そうな人だったね」

「そうだね」


 まあ平日の昼間だから大体まともな人が多いのかな。


 だからこそ異常が混じり込むと周囲も異常に染まってしまう。


「あの」

「・・・・・・・・・・・・・はい」

「失礼、します」


 あ。

 ダメだ楠子!


「楠子! 逃げて!」


 ああ。

 また護れないのか?

 レンジ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る