香る生花
一輪挿しだね。
この子、好き。
「座って」
「ありがとう」
「
「うん。コーヒーしか飲ませてもらえなかった」
「あ・・・そっか・・・じゃあ、別のものでも?」
「ううん。さっきファミレスでオレンジジュース飲んだから。コーヒーでいいよ」
紫の一輪挿し。
綺麗。
楠子みたい。
「はい」
「ありがとう」
「どうするの? 明日から」
「家には戻れない」
「そうだねえ・・・」
「ねえ、楠子。本を読んでてわたし気づいたんだ」
「何を」
「人間には冒険するひととしない人がいるよね」
「まあそうね」
「楠子はどっち?」
「わたし? わたしは・・・」
今だ。
この子の人生の分かれ目にしてあげよう。
「楠子。わたしと一緒にやらない?」
「え。何の話?」
「わたし母親が持ってた小説、全部読んだんだ。ちょっとやらしいやつも狂った感じの本も。でねえ、わかっちゃった」
「何が」
「結局この人たちは自分がやれなかったことを理想の『世界観』とかありとあらゆる表現方法を使って言い訳してるんだ、って。現実世界の敗北者なんだって」
「すごいこと言うのね」
「でも、たったひとつだけ作者たちを敗北者にしない方法がある。それをわたしは一冊だけ母親が持ってた学術書で知ったんだ。精神科の医師が末期ガンの時に口述筆記した絶筆」
「どうするの」
「やっちゃうんだよ。小説に書いてあることを本当に。その医師は少年期から青年期にかけて美しい詩集や文学作品を読んで主人公たちのまるでドン・キホーテのような行動を現実でやっちゃったんだって。それは医師の仕事としてね」
「なに君代。小学生じゃないみたい・・・って小学生じゃないか。じゃあなに。わたしに美容院の仕事でドン・キホーテみたいに振る舞えって言うの? 無理ね」
「どうして?」
「ごめん。美容院の仕事、ほんとは試用期間でダメ出しされて。リストラされちゃったんだ」
「あ・・・そうなんだ。ごめんね」
「いいよ。これからどうしようかって本当に思ってた時だったから。だから君代に声かけちゃったのかもしれないけど」
「ふうん・・・仕事してないなら尚都合がいいよ」
「どうして」
「だって、仕事にすら遠慮しないで本気でできるじゃない。小説の主人公みたいなことが」
「ふ。ふふっ。ヘンな子」
ああ。
楠子、やっぱり好き。
「だからね。やろうよ」
「そうだね・・・でも、何か具体的な小説があるの?」
「うん。これ。一冊だけ持ち出して来たんだ」
わたしはヒップポケットにねじ込んであった読み込んでページがささくれ立った文庫本を抜き出したんだ。
「『月に怒鳴る狼』?」
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