1.

 雲が少しずつ厚くなっていた。

 昼さがり……午後二時少し前だというのに、ほとんど黄昏時のような暗さだった。

 僕の心の中に、少しだけ嫌な予感が差した。

「それで、な……主人公が町をぶらぶら歩いているときに、たまたま……」通信機の向こうで、梶田さんが、子供時代に読んだ小説の粗筋あらすじしゃべっている。

 だらだらと酒でも飲みながら世間話をしているような、呑気のんきな声だった。

 梶田さんは、ガッシリとした顎に無精髭を生やした、いかにも叩き上げの軍人といった風情の中年男だ。たしか年齢としは四十二歳だったか。

 三十年前に起きた『現実界・霊界重ね合わせ現象』以前の、平和だった世の中を知っている人、って事だ。

 そのころの少年たちは、学校という施設へ行ったり、ボールを蹴って遊んだり、ネット・ゲームという遊びにふけったり、小説を読んだりして人生を過ごしていたらしい。

 梶田さんが、少年時代に読んだという小説の話を続ける。

「たまたま、道路に飛び出した少女がトラックにかれそうになる……って場面に出くわすんだよ。で、主人公は無我夢中で、飛び出した少女を助けて、その身代わりになるみたいにして、トラックにかれて一度死ぬんだ……」

 指向性一対一通信モードを使って語りかけて来る梶田さんの声を、僕は〈HVSW−X10〉の操縦席で黙って聞いていた。

「……そして、その主人公が、で女神さまに会って、異世界の貴族に生まれ変わるところから、話の本筋が始まる」

〈HVSW〉専用に開発された軽装甲操縦服のヘルメット内イヤフォンが、梶田さんの少しれた低い声をクリアに再現デコードし続ける。

「……ジュウロウ、聞いてんのか?」

 梶田さんが、僕に言った。

 僕の名は、ジュウロウ。

 苗字は無い。ただのジュウロウ。年齢は十七歳。

「おい、ジュウロウ、聞いてんのかよ?」梶田さんが繰り返した。「聞いてんなら、ウンとかスンとか、たまにゃ相槌あいづちの一つくらい打って来いよ」

 ここ十五分くらい、ずっと梶田さんばかりがしゃべっていた。

「はあ」と、僕は気の抜けた声で返事をした。その声をヘルメットのマイクロフォンが拾い、梶田さんの〈HVSW〉へ指向性通信で返す。

 梶田さんが操縦しているのは〈HVSW-T3〉

 僕の〈HVSW−X10〉とは別の兵器研究所で開発された車輌だった。

〈HVSW〉というのは、霊界戦専用に開発された単座式人型装甲戦闘車のことで、要するに人間のかたちに似せた陸戦兵器だ。

 高さは大ざっぱに5・5メートル。

 高度な操縦支援システムを搭載し、操縦者ドライバー一人で全ての操作をこなす。

ヴィークル』とは名付けられているけど、移動に車輪を使うわけじゃない。機械仕掛けの二本のあしを使って歩行、もしくは(文字どおり)する。

 その日、僕の〈HVSW−X10〉と梶田さんの〈HVSW-T3〉は、かつて加吾富かごとみ市と呼ばれていた誰もいない都市の廃墟を、縦に並んで歩行していた。

 梶田さんの〈HVSW-T3〉が前衛フォワード、僕の〈HVSW−X10〉が後衛ディフェンスだ。

「ちゃんと起きてんのか? まさか操縦室コクピットの中で寝てたんじゃねぇだろうな」

「ははは……まさか」

 ただ単純に歩くだけなら、〈HVSW〉は瓦礫がれきの多い都市廃墟の道路でも全自動で行ける。

 可能か不可能かという点だけで言えば、『居眠り運転』も不可能ではない。

 索敵能力もあるから、周囲の異常物体を発見し、認識し、警告音とディスプレイ上のマーカーで搭乗者に知らせることもできる。

 しかし、完璧な人間が存在しないように、完璧な機械も存在しない。

 索敵の取りこぼしが全く無い……とまでは言い切れない。

 霊的な存在を機械的に感知するセンサーは、まだまだ開発途上の段階だった。この分野における人間側の技術は、完全には確立されていない。

 人間と機械がおぎない合い、少しでも戦闘単位ユニットとしての総合力を向上させることが肝心かんじんなんだ。

 その『少しでも』が、戦場で生死を分けるかも知れないから。

 だから、野営中はともかく移動中に『居眠り運転』なんでする訳がない。

「ちゃんと警戒してますよ。今のところ……」

 僕は、コックピット前方の曲面三次元モニター全体に視線を走らせながら「今のところ異常ありません」と言いかけ、モニターの片隅に、その『異常』を発見した。

〈HVSW−X10〉の操縦戦闘支援装置が、僕の『注視』を感知してその部分を拡大し、解像度を上げる。

 そこで初めて索敵装置も、画面上にマーカーを表示した。

「梶田さん……二時の方向……ええと、『吉野家』の看板があるビル」

 その四階、ガラスの割れたビルの窓に何物かの顔が見えた。

 見えた瞬間、その顔はサッとビルの奥に引っ込んでしまった。

「ああ? 何も見えねぇぞ」

 一寸遅れてビルを注視した梶田さんの非難がましい声が、通信機の向こうから聞こえて来た。

 僕は、ゼスチャーで支援装置に指示を出し、さっき窓に見えた何物かの映像を切り取り、データ通信で梶田さんの〈HVSW〉へ送った。

「ありゃあ、ホントだわ」と、梶田さんが言った。

〈敵〉を発見したというのに、彼の声に緊張の色は感じられなかった。

「……つっても、ただの〈ゴブリン〉か」

 敵識別コード〈ENMY-10003〉

 通称〈ゴブリン〉

 大きさは人間の子供くらい。

 知能は低いが、すばしっこく、腕力もそこそこある。

 鉄パイプにコンクリートの破片を針金で縛り付けた原始的なハンマーや、錆びた鉄パイプの一方をコンクリートの壁に擦り付けて尖らせた槍が主な武器だ。

 霊体ではなく、物理攻撃でダメージを与えられる完全な実体で、精神攻撃のような超自然的な力も持っていない。

 要するに、猿よりは少しだけという程度の、最下級の霊界由来活動体バケモノだ。

 面と向かっての一対一の戦いなら、完全武装した人間の兵士が負けるなんて事は、まず有りえないけど……奴らには妙なズル賢さがあって、油断は出来ない。

 そして、

 奴らに捕らえられ、さんざんなぐさみものにされた挙句あげくに殺された人間の死体は、例外なく、男、女、老人、子供の区別なく、どれも目を背けたくなるほどのむごたらしさだった。

 単独で行動している〈ゴブリン〉もまれに見られるけれど、多くの場合は数体から数十体のむれをなして行動していた。

 一説には、奴らより上位の霊界由来活動体バケモノを『神』として崇めていて、その上位の活動体の命令には絶対に服従するという事だった。

 梶田さんの操縦する〈HVSW-T3〉が左腕を上げ、〈ゴブリン〉の隠れたビルの窓に向けてプラズマ砲を発射した。

 青色に輝くプラズマ球体の直撃を受け、窓の周囲のコンクリートが砕けて四方に飛び散った。

 大きな穴が開いた。今は倒壊せずに何とか持ちこたえているが、早晩、あのビルは崩れ落ちるだろう。

「たかが〈ゴブリン〉一匹に、プラズマ砲なんて」僕は思わず、ヘルメットのマイクに言った。「やり過ぎですよ、梶田さん。それに向こうだって我々に気づいたはずだから、もうとっくに逃げちゃってますよ。奴ら、すばしっこさだけは一流だから」

「ダメモトでも良いんだよ。とにかく連中を見かけたら一発ぶちこまないと、俺の気が済まねぇ……お前だって、連中にむごたらしく殺された人間なかまの死体の一つや二つ、見た事あんだろ?」

「ええ……そりゃあ、まあ……でも、無駄玉を打っても仕方がないし……万が一、あの辺りに人間が居ないとも限らないし……」

「ゴブリンの近くに人間なんて居るものかよ。居るとすりゃ、ボロ雑巾みたいにズタズタにされた血まみれの死体だろうさ」

「……」

 僕は黙る事にした。これ以上この件で梶田さんと言い合うのは得策じゃない。

(梶田さん、こと相手が〈ゴブリン〉になると、いつも感情的になるんだな……見境が無くなるっていうか……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霊界『巨人型ロボット』放浪記 青葉台旭 @aobadai_akira

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ