1.
雲が少しずつ厚くなっていた。
昼さがり……午後二時少し前だというのに、ほとんど黄昏時のような暗さだった。
僕の心の中に、少しだけ嫌な予感が差した。
「それで、な……主人公が町をぶらぶら歩いているときに、たまたま……」通信機の向こうで、梶田さんが、子供時代に読んだ小説の
だらだらと酒でも飲みながら世間話をしているような、
梶田さんは、ガッシリとした顎に無精髭を生やした、いかにも叩き上げの軍人といった風情の中年男だ。たしか
三十年前に起きた『現実界・霊界重ね合わせ現象』以前の、平和だった世の中を知っている人、って事だ。
そのころの少年たちは、学校という施設へ行ったり、ボールを蹴って遊んだり、ネット・ゲームという遊びに
梶田さんが、少年時代に読んだという小説の話を続ける。
「たまたま、道路に飛び出した少女がトラックに
指向性一対一通信モードを使って語りかけて来る梶田さんの声を、僕は〈HVSW−X10〉の操縦席で黙って聞いていた。
「……そして、その主人公が、あの世で女神さまに会って、異世界の貴族に生まれ変わるところから、話の本筋が始まる」
〈HVSW〉専用に開発された軽装甲操縦服のヘルメット内イヤフォンが、梶田さんの少し
「……ジュウロウ、聞いてんのか?」
梶田さんが、僕に言った。
僕の名は、ジュウロウ。
苗字は無い。
「おい、ジュウロウ、聞いてんのかよ?」梶田さんが繰り返した。「聞いてんなら、ウンとかスンとか、たまにゃ
ここ十五分くらい、ずっと梶田さんばかりが
「はあ」と、僕は気の抜けた声で返事をした。その声をヘルメットのマイクロフォンが拾い、梶田さんの〈HVSW〉へ指向性通信で返す。
梶田さんが操縦しているのは〈HVSW-T3〉
僕の〈HVSW−X10〉とは別の兵器研究所で開発された車輌だった。
〈HVSW〉というのは、霊界戦専用に開発された単座式人型装甲戦闘車のことで、要するに人間の
高さは大ざっぱに5・5メートル。
高度な操縦支援システムを搭載し、
『
その日、僕の〈HVSW−X10〉と梶田さんの〈HVSW-T3〉は、かつて
梶田さんの〈HVSW-T3〉が
「ちゃんと起きてんのか? まさか
「ははは……まさか」
ただ単純に歩くだけなら、〈HVSW〉は
可能か不可能かという点だけで言えば、『居眠り運転』も不可能ではない。
索敵能力もあるから、周囲の異常物体を発見し、認識し、警告音とディスプレイ上のマーカーで搭乗者に知らせることもできる。
しかし、完璧な人間が存在しないように、完璧な機械も存在しない。
索敵の取りこぼしが全く無い……とまでは言い切れない。
霊的な存在を機械的に感知するセンサーは、まだまだ開発途上の段階だった。この分野における人間側の技術は、完全には確立されていない。
人間と機械が
その『少しでも』が、戦場で生死を分けるかも知れないから。
だから、野営中はともかく移動中に『居眠り運転』なんでする訳がない。
「ちゃんと警戒してますよ。今のところ……」
僕は、コックピット前方の曲面三次元モニター全体に視線を走らせながら「今のところ異常ありません」と言いかけ、モニターの片隅に、その『異常』を発見した。
〈HVSW−X10〉の操縦戦闘支援装置が、僕の『注視』を感知してその部分を拡大し、解像度を上げる。
そこで初めて索敵装置も気づいて、画面上にマーカーを表示した。
「梶田さん……二時の方向……ええと、『吉野家』の看板があるビル」
その四階、ガラスの割れたビルの窓に何物かの顔が見えた。
見えた瞬間、その顔はサッとビルの奥に引っ込んでしまった。
「ああ? 何も見えねぇぞ」
一寸遅れてビルを注視した梶田さんの非難がましい声が、通信機の向こうから聞こえて来た。
僕は、ゼスチャーで支援装置に指示を出し、さっき窓に見えた何物かの映像を切り取り、データ通信で梶田さんの〈HVSW〉へ送った。
「ありゃあ、ホントだわ」と、梶田さんが言った。
〈敵〉を発見したというのに、彼の声に緊張の色は感じられなかった。
「……つっても、
敵識別コード〈ENMY-10003〉
通称〈ゴブリン〉
大きさは人間の子供くらい。
知能は低いが、すばしっこく、腕力もそこそこある。
鉄パイプにコンクリートの破片を針金で縛り付けた原始的なハンマーや、錆びた鉄パイプの一方をコンクリートの壁に擦り付けて尖らせた槍が主な武器だ。
霊体ではなく、物理攻撃でダメージを与えられる完全な実体で、精神攻撃のような超自然的な力も持っていない。
要するに、猿よりは少しだけましという程度の、最下級の
面と向かっての一対一の戦いなら、完全武装した人間の兵士が負けるなんて事は、まず有りえないけど……奴らには妙なズル賢さがあって、油断は出来ない。
そして、人間に対する悪意が凄まじい。
奴らに捕らえられ、さんざん
単独で行動しているはぐれ〈ゴブリン〉も
一説には、奴らより上位の
梶田さんの操縦する〈HVSW-T3〉が左腕を上げ、〈ゴブリン〉の隠れたビルの窓に向けてプラズマ砲を発射した。
青色に輝くプラズマ球体の直撃を受け、窓の周囲のコンクリートが砕けて四方に飛び散った。
大きな穴が開いた。今は倒壊せずに何とか持ちこたえているが、早晩、あのビルは崩れ落ちるだろう。
「たかが〈ゴブリン〉一匹に、プラズマ砲なんて」僕は思わず、ヘルメットのマイクに言った。「やり過ぎですよ、梶田さん。それに向こうだって我々に気づいた
「ダメモトでも良いんだよ。とにかく連中を見かけたら一発ぶちこまないと、俺の気が済まねぇ……お前だって、連中に
「ええ……そりゃあ、まあ……でも、無駄玉を打っても仕方がないし……万が一、あの辺りに人間が居ないとも限らないし……」
「ゴブリンの近くに人間なんて居るものかよ。居るとすりゃ、ボロ雑巾みたいにズタズタにされた血まみれの死体だろうさ」
「……」
僕は黙る事にした。これ以上この件で梶田さんと言い合うのは得策じゃない。
(梶田さん、こと相手が〈ゴブリン〉になると、いつも感情的になるんだな……見境が無くなるっていうか……)
霊界『巨人型ロボット』放浪記 青葉台旭 @aobadai_akira
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