001/109

 高級車がずらずらと並ぶ駐車場を後にした深零は地上へと上がり、信号で足止めを喰らっているタクシーをとめた。流石は都会、タクシーがこんな時間帯でも腐るほど走っている。109まで、というと運転手は了承の意を示した。今時珍しい、日産のフーガなんかを使っている個人タクシーだった。それなりの歳だ。

「へいへい、優さん」

「こんな時間からなんだい…ウチは営業時間外だぞ」

「いいハナシ、聞きたくない」

「うーん…」

 イヤホン越しに聞こえる優の声。眠たそうだ。

「例のデブ、あれ、イッちゃった」

「ええ…」

「バカな真似するからね、シロナの持ってるマンションあるでしょ」

「シロナ?ああ、アイツか。あのバカでっかいのか、いくらすんのかも想像できないような」

「そ、あそこで今頃そりゃもうお愉しみでしょう」

「おひょー怖い怖い、おじさん怖いから寝るよ、じゃあね」

 優は一方的に通話を切断する。チッ、と舌を打つとタバコが吸いたくなる。

「お嬢さん、タバコ吸ってもいいですよ。ただしあまり目につかないように、私がこの商売出来なくなっちゃうんでね」

「?」

「私もヘビーなんで分かるんですがタバコに飢えてる顔をしてっらしゃる」

 このドライバー何者だ?深零はコンシールドキャリーで携行する隠し持つP365に思わず手を伸ばしそうになるが咄嗟に抑えた。

「目立たないようにったって無理ですよ、モクモクしちゃあマルバレでしょ」

「イマドキ電子じゃないなんていいですね、ただこの車スモークガラスなんで」

 よく喋るドライバーだ。本当に個タクのドライバーはよく喋る人が多い、気がする。

「因みに何をお吸いで?」

 普通、こんな事を聞かれても深零は「それを聞いてどうするの」とか「は?」などと返すものだが今日は不思議とそのような気が起きなかった。

「ダンヒルのファインカット6mm」

「これまた珍しいのを、この商売そこそこ長いんですがそれ吸ってる女性を見かけたのは人生初めてですねえ」

「初めてですか」

「男はいましたよ、ヤクザ」

「じゃあ似たようなモノね」

「あらそうですか」

「そう、もっとタチ悪いかも」

「乗せちゃマズイお客さんだったかなァ」

「大丈夫、刃物は趣味じゃないから…金なら持ってるわ森本さん」

「それを聞いて若干安心」

「じゃあ安心した所で一本吸っていいですか」

「どうぞ」

 箱の内側に更にもう一枚の開閉式フィルム。これを剥がして一本取りだす。ペリッ、グス…と音を立てる。何処にでも打っているようなライター――ジッポーではない、少なくとも深零は胸ポケットに入れたジッポーが9mmパラベラムの強装弾を受け止められるとは思っていない。愛着なんてものはない。それよりも幾らでも買い替えられる利便性を求める。どちらかというと防弾性という意味では志保の豊かな胸の脂肪分の塊の方がまだ効果がありそうだ――で火を点けた。吸ってる本人は感じないのだが、洋モク特有のクサさをDspecなどクソ喰らえと言わんばかりの煙に載せて吐き出していく。おお、クソ野郎を殺した後の一服は最高だ。

「灰皿、あるんでどうぞ」

「これ、時代劇だとお主もワルよのうってシーンですよ」

 何処からともなく取り出された蓋つきの灰皿を受け取る。この密室だ、全身は相当タバコ臭くなっているだろう。だが知った事か。

「若いのに吸いなれてるなあ」

 ネームプレートには森本。そう書かれているのだからこのドライバーの名前は森本だろう。

「様になるでショ」

「なりますよ」

 車外に目をやると圧倒的な人の数。人混み。何処に向かうのかも分からない、おおよそ若い人の群れに目をやった。そんな雑念を口に咥えた紙巻は消し去って行く。何という事でしょう。

 煙に満たされた車内。誰一人として文句を言わない時間だけが過ぎ去って火を消し去る頃には渋谷のシンボルの前へ着いていた。料金を手早く払うと深零はこう付け加えた。

「気に入ったわ。ワタシ、普段はあんまりタクシー使わないんだけどこっちに来る時があったらまた使わせて貰っていいかしら」

「そう言って頂けると嬉しいですよ、これ番号です」

 名刺を受け取る。いかにも質実剛健と言った感じのシンプルながら、上質な紙を使っている名刺だった。名前と電話番号が特に大きく記されている。

「こういうタチの人間にも慣れてるみたいだし」

「どうかな、でもお嬢さんみたいなのは初めて載せたかな」

「安久竜子、アクリュウコよ。私の名前」

「もちろん偽名?」

「分かってるなら話が早いわ」

「アクリュース、ギリシア神話の神」

「察しまで速いとは、博識ね」

「あら適当に言ってみたんですがねえ」

「フーン、絶対テキトーじゃないわ、じゃあまた使わせて貰います」

「毎度あり、お気をつけて」

 自動ドアが開く。ごった返す人の中で凛が駆け寄ってくる。

「遅かったじゃーン」

「ちょっと手間取っちゃってね」

「うわッタバコクサッ」

「ストレス貯まればタバコは吸いたくなるものなのよ」

「そっかー、じゃあ買い物のジカン!タイムだぞっ」

 見渡す限り女、女しかいない。ここの男女比率はどうなっている。少し歩くと志保がいた。C4を起爆させれば一体何人吹き飛ぶか、あの爆弾魔なら考えそうだなと思った深零は直ぐにモードを切り替える。キルタイムは終わりだ。今は善良な一市民の時間だった。二人の友人がいる。そしてここは書ヶ谷じゃない。

 書ヶ谷じゃないんだ。


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