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目が覚めた。朝だった。深零は目をこする。右手で、左、右の順番に。目やにが手につく。それを取っ払う。
どうやらジンを飲んだ後、そのままカウンターで寝込んでしまったらしいと状況を瞬時に理解した。背中にはブランケットが掛かっている。目の前には真顔で朝方の時間帯の放送を見ている優がいた。チャンネルをひっきりなしに変えている。
「もうチャンネル一周したでショ」
「起きたのか。昨日は随分と凄かったな。飲んで飲んで心配になったよ流石に」
「そりゃ自棄酒…って昨日のはどうなった!?」
「見てみろ」
どのチャンネルも緊急と銘打って記者会見を同時中継している。
「昨日は言わなかったが米軍基地経由でPMCのオペレーターが国内に流れ込んできた、って話があったんだがこの件か。基地防衛訓練の
「隠してたのね」
「隠してた訳じゃない、酔っ払った、とかいうレベルじゃない程に回ってた君が悪いよ」
「まあ認める、てか思い出したんだけどさ」
「ふむ」
「中島って大使館爆破だけじゃなかった、そーいえば。ヤツはそれより各テロ組織の渡し役、というかネゴシエーターとしての側面が強かった。一介の日本人がどうしてあそこまでのコネクションを築き上げたのかは知らないけど」
「橋渡しじゃないがどの方面にも顔が利いた。フリーランステロリズム、でも言うべきかね」
「大使館を爆破した中島じゃくて、その方面の中島、そいつを殺す為にそのハズロック…だっけ?の
「わざわざ日本を選んだ理由はなんだ」
「さあ?まあセックスパーティー中ならやりやすいって思ったんじゃない?知らないけどね」
あ、あとティーをちょーだい、濃い目のアールグレイ…と深零は付け足す。
「流石に隠蔽できないか。ここまで嗅ぎつけられるとな」
「どこからかタレコミがあったと見る方が自然でしょう。隠密行動中のSATに突撃取材でもさせる気だったんじゃないの?」
アールグレイの香りが辺りに漂う。
「突撃取材かはチョイと分からないがその線はありそうだ。そして深零ちゃんの予想は恐らく当たってるよ。日本政府…だか公安だか知らないが、ナイン、まあ取り合えずナインと呼ぼう――が要請でもしたのか、それとも互いの思惑が一致したのか、ナインが中島を狩ると。その為にSATとの共同作戦?いや」
「SATはバックアップよ。ナインがしくじった時の保険。その保険がこの結果とは笑わせる」
「おや決めつけはよくない。それにしてもそんなにプライドが高い集団かね、ナインっての」
「感が囁いている。恐らく間違いない。プライドが高いんじゃないよ、ナインからしたら不確定要素を一つ排除しただけの話に過ぎない。私もだけどさ、第三者が狩場…そう狩場。ここに侵入したりしかけている時って気に喰わないの」
「気に喰わないってだけで?」
「私はそうした状況はそもそも極力避ける…けど、もし見知らぬ一般人がフラフラ入り込んできたら間違いなく無力化するよ。手段は問わない。死ぬ可能性の方が高い。そしてSATですらバックアップになる戦力。日本なら特殊作戦群くらいか。そーいうのをSATに嗅がれるのも嫌だったんだろうね。久しぶりにプロを見た。容赦のない。殺しのプロなら腐るほどいるが、そーゆーヤツらとは格が違う。出来る事なら私の手でやりたい」
「朝っぱらからブッソーなのは勘弁してくれ」
「武器商人が良く言うわァ」
「そもそも殺す事が目的なら私にやらせれば良かったのって思わない?」
「上から信頼されてなさそうだもん」
「たわけー!」
「ホントに偶然とかってないかね。深零チャンの上は警察系じゃないんでしょ?」
「それ以上聞いたら優さん、あなたの口を裂かなくなきゃならなくなる…けど間違ってない。だけど私はフリーですもの。それに私がどのラインに繋がってるのか…もう分かるんでしょう」
「ふふん。ノーコメント。ならホントに偶然ってないかな、割とマジでさ。君の狩りとナインの狩場が偶然一致したっていう」
「だったら、もしそれをナインが嗅ぎつけたら私も消されるんじゃない」
「無抵抗ならな」
「あのしどろもどろしてる公務員ぐらいには抵抗するよ」
画面の中では記者からの質問に何とも言えぬ神妙な面持ちで同じ質問に対して同じ回答を繰り返す担当者がロボットのように見える。
「そりゃ説明しようがないだろう、警察の精鋭SATが壊滅させられたんだからな。しかもビルを制圧できる人数。このボンクラ頭レベルじゃそもそも情報が来ないだろうに」
「同意。優さんの情報網を持ってしても掴めない情報をこのメガネ男が知ってるとは思えない」
「それもそうなんだが、情報が降りてこないって事だ」
「だろうね。もし仮に中島の殺しを日本の警察がナインに依頼してそれが実行されたとして、そんなの知ってるのは最高級の機密関与資格を持つ人間だけだもの。トップすら知らない可能性がある。そういう専門部署だけのさ」
「今日、学校はよ」
「土曜隔週の休み。休みよ。イチオウは私ほら、学生だし?学業を優先しなくちゃならない」
「よく言ったもんだ、じゃもう帰るかい」
端末を見る。凛から連絡が入っている。
「うん、今日は友達と出かけなくちゃならない。予定が入ってる…。一っ風呂浴びないと。流石に臭うね」
「車は」
「仕上がってるんでしょ、貰っていく」
「ならエンジンをかけておく。ゆっくり飲んどけよ」
きっかり濃い目に淹れられたアールグレイが身に染みる。タバコを一本取りだすと口に咥えて火をつけた。煙を吐き出す。カウンターにはマッチが置かれていた。気の利く優が階段を降りていく音がする。今日はまだ書ヶ谷に銃撃の音が響いていない。静かでいい。
本当に不良少女だな、酒を飲み、タバコもやり、車も乗り回し、挙句の果てに殺人。世の為になる殺人。深零はそう思った。私はそう信じている。己の内の殺人衝動――これは誰にでもあるが比較にならないあまりに肥大化したソレ。自己紹介で趣味はマンハントですとは言い難い世の中で、表裏一体の世界で成し遂げている。
優が戻ってきた。
「センキュ、仕上がりはどう」
「最高さ。乗ればわかる。満タンにしてあるから、サービス」
深零は預けていた荷物を受け取った。中には狙撃銃一式が入っている。それと通学用のカバン。
「じゃ優さんヨロシクね、何とかして調達して。チップは勿論弾むから」
「オジサン頑張っちゃうわもう」
「頑張っちゃって。じゃあね、ありがとう」
「いいさ、下まで送ろう」
「いいよ大丈夫。営業時間外まで居座り続けたのは私だから。さっさと手間かけさせずに帰る」
「いいのかい?じゃガレージは此方で閉めておくよ」
「よろしく。また来るね」
階段を降りる。何度開け閉めしても重い扉を開けると、振り向かずに閉じた。ラベンダーのフレグランスではない、金と人と排気の臭いがする。生を実感する。
普段なら強固なシャッターで閉じられている一階のガレージだが今は開いていた。主の帰りを待っていた、黒いポルシェ。964ターボ3.6。何度見ても惚れ惚れするボディ。肉感的で流麗で、グラマーかつスレンダー。
陽の光に照らされて鈍く妖しく光る。シートに荷物を投げるとシートについた。エンジン暖気済み。いつでも大丈夫だろう。タバコに火をつける。お前の主は私が最後だ3.6。好き勝手に乗らせて。静かにクラッチを繋ぐと走り出す。空冷ターボエンジンの音。いい仕上がりだ。やはりあの男はウサンクサイが信用できる。
今日も忙しくなりそう。
深零は独り言をつぶやいた。アクセルを吹かす。この汚い街にさようなら。を告げる。
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